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26歳にして「第二の人生」。嫁入りで、両親の干渉はパタリと止んだ

  • 2024.9.26

結婚して夫の姓を名乗り始めてから、第二の人生が始まった。「第二の人生」なんて20代にそぐわない表現だが、本当に第二の人生なのだから仕方がない。

田舎育ちの私の両親は勤勉で堅実で、子供達には地に足をつけて真面目に生きることを望んだ。家から通える大学に進学し、卒業後は地元の市役所で働いて、地元の男性と結婚するのがいい、と聞かされた。一度、フリーランスで働くのも悪くないかもとポロリと本音をこぼした時は、そんな不確かな働き方は許されない!と大騒ぎになった。両親の価値観にがんじがらめにされながら、心の中では絶対に自由を掴み取ってやると決心していた。

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ハタチで家を出た。学生寮暮らしで門限があったけれど、親からの視線や往復4時間の通学から解放されて、自由の羽が生え始めた。それでも、学費を出してもらっている以上は両親の庇護下にあったし、アレをするな、コレをしなさいと両親に強く言われると、その言い分を飲むしかなかった。

22歳で就職した。デザインや企画をするのが好きだったけれど、なんとなく「そういうことは仕事にしてはいけない」という刷り込みがあって、お堅い業界を選んだ。一人暮らしができるよう、家賃補助が手厚いことだけが絶対条件で、あとは何でもいいやと思っていた。両親はこの会社を気に入り良い会社を選んだと喜んだが、私は全くと言っていいほどその会社の文化や流儀に馴染めなかった。最悪な人間関係に巻き込まれ限界を感じた頃に、趣味がキッカケで今の夫と知り合い、結婚を理由に会社を辞めた。

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退職してから結婚に至るまで、どこに住むだの、結婚前に同居は許さないだの、結納をすべきだの、両親からは注文の嵐だったが、何とか結婚に漕ぎ着けると、両親からの干渉はパタリと止んだ。よその家に嫁入りをしたのだから、もうとやかく言うことは無い、ということらしい。26歳にして、私の羽はぐんと伸びた。

しばらくの休眠期間を経て、広告代理店に入社した。学生時代に広告業界に就職したいなどと言おうものなら、両親は顔を真っ赤にしてもっと落ち着いた業界にしなさいと説得してきただろうが、結婚した私に両親は「無理せずにね」としか言わなかった。仕事は想像以上に激務でプレッシャーもノルマもキツかったけれど、なんとか食らいついた。どんなにつらくても、自分の意思でこの業界に飛び込んだのだと思うと少し胸がすく思いがした。しばらく勤めてから、自分のペースで働きたいと、会社を辞めてフリーランスに転身した。両親はもう何も言わず、むしろ私が激務から解放されたことを喜んだ。自営業として課題は山積みだが、大好きな企画の仕事ができて毎日幸せに生きている。

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そして先日、29歳を迎えた。振り返ると、20代の大部分を「自分らしい生き方」を模索し勝ち取ることに費やしたように思う。20代最後の1年は、ますます自分らしさに磨きをかけて、羽を大きく広げる年にしたい。もっと企画の仕事を請けたいし、かねてからの夢だったブランディングの仕事にもチャレンジしたい。海外から仕事を受注したいという目標もある。

どうすればそんな仕事に巡り会えるのかは手探り状態だが、自分ならきっと夢を叶えられるだろうと信じている。今や大きく育った羽で、何処へでも好きに羽ばたいていけるのだから。

■わさびおむすびのプロフィール
夫と二人暮らしの新米フリーランサー。ポッドキャストとアニメと旅行が好き。わさびブーム到来中。

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