1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. 31歳のダブルケアラー「仕事を辞めるしかないのか」。祖母の介護で「もう無理…」と感じた夜

31歳のダブルケアラー「仕事を辞めるしかないのか」。祖母の介護で「もう無理…」と感じた夜

  • 2024.9.25
タレントの松嶋尚美さん(52歳)が、3年前から家庭では子育てと介護のダブルケアラーだと告白。家族内にふたり以上の要介護者がいる場合にも使われる言葉だ。介護の相手は様々で、31歳で祖母と母の介護に明け暮れる女性の話を聞いた。
タレントの松嶋尚美さん(52歳)が、3年前から家庭では子育てと介護のダブルケアラーだと告白。家族内にふたり以上の要介護者がいる場合にも使われる言葉だ。介護の相手は様々で、31歳で祖母と母の介護に明け暮れる女性の話を聞いた。

タレントの松嶋尚美さん(52歳)が、3年前から家庭では子育てと介護の「ダブルケアラー」として奮闘していることを告白した。もともと松嶋さんは都内で夫、12歳、11歳の子どもたちとの4人暮らしで、足の不自由な87歳の母は大阪で妹家族と暮らしていた。

その妹が心筋梗塞で倒れたことが発端となり、松嶋さんは夫の勧めで母を東京の自宅に迎え入れたのだという。

子育てと介護が重なる状況を「ダブルケア」という。また、家族内にふたり以上の要介護者がいる場合にも使われる言葉だ。実際、ダブルケアになって四苦八苦している人たちは大勢いるだろう。

大好きな祖母が倒れ、20代で介護生活に

「母が離婚したので、私は祖父母と母の4人で暮らしてきました。大学生のころに祖父が亡くなり、それからは祖母と母と女3人の生活。祖母も母も仕事をしていましたから、それぞれが自由に行動していて、とても楽しい生活でした」

過去形でそう話してくれたのは、アスカさん(31歳)だ。現在、母は60歳、祖母は88歳となった。

アスカさんが大学を出て就職し、5年がたったころ、祖母が脳出血で倒れた。今から4年前だ。入院した祖母を、母とアスカさんは交代で見舞った。少し麻痺が残る状態ではあったが、3カ月後には退院、自宅で生活するようになった。

「ほっとしたんですが、どうも祖母の様子がおかしい。認知症が始まっていたんです。もちろん病院にも連れていって投薬もしてもらったし、刺激を与えるために母と私で連れ出したりもしました。

祖母はお芝居が好きだったので見せにも行ったのですが、全部見ていられる状態ではなかった。

地域の福祉ともつながり、ヘルパーさんを派遣してもらったりして1年ほどは頑張ったんですが、祖母が母に『どこかで会った?』と言ったのをきっかけに、母のモチベーションが下がってしまって。これ以上、介護はできないと言いだして」

祖母の横で寝ていたら「何かが」降ってきた

母は勤務先に話して、介護休暇や時短を組み合わせて働いていた。アスカさんも会社には事情を話し、残業はほとんどしなかった。

「母は、『あなたがもし仕事をずっと続けていきたいなら、ここでキャリアが閉ざされてしまうかもしれない』って。確かにそうなんですが、それでも私はなんとか家で介護したかった。祖母は家が大好きでしたから」

そう言って、さらに頑張ろうとしたアスカさんだが、ある夜、祖母のベッドの横に布団を敷いて寝ていた彼女の顔に何かが降りかかった。あわてて起きると、祖母が脱いだおむつを振り回していた。もう無理……。アスカさんも音を上げた。

祖母を施設に預けるしかなかった。

今度は母が……!?

自宅近くの施設に預けたので、アスカさんはときどき祖母のところへ行った。祖母は娘のことは忘れても、孫のことは忘れていなかった。

「家に帰ろうと泣くんですよ。せつなくて申し訳なくて。でもそれを母に言ったら母が傷つくだろうと思うと言えない。一方で、介護から手が離れてめいっぱい仕事ができるようになったのはうれしかった」

母も何かから解き放たれたように仕事に精を出していた。ところが、それがたたったのか、2年前、今度は母が倒れた。

「母も脳の病気で、倒れて手術をしてから2週間も意識がなくて。やっと目が覚めたと思ったら記憶が曖昧になっていた。そんなときに限って、施設にいる祖母が体調を崩して入院することになり、私はふたつの病院を行ったり来たりする日々が続きました」

母はいくつか病院を転院したが、これ以上のリハビリは望めないということで、半身麻痺が残った状態で退院した。家をバリアフリーに近い状態に改築し、母を迎え入れた。

「母を施設に入れる気にはなれなかった。母も意識はしっかりして、記憶も戻っていましたから。ただ、家に帰ると『あれ、おばあちゃんは?』って。おばあちゃんは施設に入れたでしょと言ったら、そうだったっけって」

母は定年を目前に退職を余儀なくされた。もちろん介護保険をフルに使って、ヘルパーさんを頼んではいるが、母のわがままでヘルパーさんに迷惑をかけていることが発覚、アスカさんは母に諄々(じゅんじゅん)と言い聞かせた。

「頭は比較的はっきりしているのに体が思うように動かないから、イライラするんでしょうね。自分で何でもテキパキやるタイプだから、ついヘルパーさんに偉そうに指図したり文句を言ったりしてしまう。でもヘルパーさんとしては気を悪くするのも当然だから、私は板挟みになりました」

祖母と母の「ダブルケアラー」になった

さらに施設にいる祖母も入退院を繰り返し、そのたびにアスカさんが行く羽目になる。落ち着いている時期でも、1週間に2回は祖母のもとへ行かないと、祖母はとたんに体調を崩す。母もまた、アスカさんに頼りきりだ。

「杖や簡易歩行器を使えば、家の中をなんとかひとりで歩けるはずなんですが、私がいるとトイレに行くにもいちいち呼びつける。もちろん助けるのは構わないけど、寝不足が続いて仕事に行くのは、だんだんきつくなってきました」

いっそ仕事を辞めるしかないのかと悩んだが、相談に乗ってくれたケアマネージャーが、「仕事を続けられるようサポートしますから」と言ってくれたので踏みとどまっている。今、仕事を辞めたら、いつかアスカさんがひとりになったとき食べていけなくなるのが目に見えているからだ。

「母も施設に入れるしかないかもしれないと思い始めています。母はごねると思うけど、これで私が倒れたら、私は何のための人生だったのかと悔やむに違いない。母を犠牲にしてでも、私は私の人生を生きていきたいという方向に傾いています」

それによって罪悪感を覚えるかもしれないけど、とアスカさんは苦い顔をした。31歳で介護に明け暮れ、きょうだいも親戚もいないから身内に相談できず、共感も得られない。

ひどく孤独なんですとアスカさんはつぶやいた。

亀山 早苗プロフィール

明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。

文:亀山 早苗(フリーライター)

元記事で読む
の記事をもっとみる