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川久保玲独占インタビュー──「新しい」とは自由であること

  • 2024.9.24
川久保のヴィジョンを映すコム デ ギャルソン青山店<br /> 1989年に東京・南青山にオープンして以来、シーズンごとの川久保玲のメッセージを発信し、ブランドと私たちとを繋ぐ場所として存在してきた青山店。2023年には、1999年以来24年ぶりに大規模な改装がなされ、2階フロアを増床。コム デ ギャルソン・ガールをはじめ、ノワール ケイ ニノミヤ、川久保玲がセレクトしたインポートの小物などの売り場も設けられている。服や印刷物と同様に、空間のデザインもすべて川久保玲が行うことで、コム デ ギャルソンというブランドがもつ唯一無二の個性をより強固なものとしている。
川久保のヴィジョンを映すコム デ ギャルソン青山店 1989年に東京・南青山にオープンして以来、シーズンごとの川久保玲のメッセージを発信し、ブランドと私たちとを繋ぐ場所として存在してきた青山店。2023年には、1999年以来24年ぶりに大規模な改装がなされ、2階フロアを増床。コム デ ギャルソン・ガールをはじめ、ノワール ケイ ニノミヤ、川久保玲がセレクトしたインポートの小物などの売り場も設けられている。服や印刷物と同様に、空間のデザインもすべて川久保玲が行うことで、コム デ ギャルソンというブランドがもつ唯一無二の個性をより強固なものとしている。

私はヴォーグ・ランウェイからの依頼で、断続的にコム デ ギャルソン( COMME DES GARÇONS)のショーのレビューを担当してきた。その間に川久保玲の仕事に関する私なりの理論は進化してきた。この理論は一種の生存戦略で、ショーを見た直後に決まって私を襲う、不安で胃のあたりがざわざわするような、不快の一歩手前の感覚を乗り越えるための理論武装とでもいうべきものだ。

このえも言われぬ感覚は川久保のショーの後だけに生じるもので、同じ思いを引き起こすデザイナーはほかにはいない。というのも、「ある程度はわかりやすい説明を」というヴォーグ・ランウェイの思惑に、これほど徹底的に抵抗する作品を披露しているデザイナーは、そもそも川久保以外に存在しないからだ。

大半のショーは、比較的ストレートにその意図を言葉で伝えることができる。なぜなら、これらのショーで披露されるコレクションは「答え」となるべく作られているからだ。つまり、これらのアイテムを買って着る人が抱えているニーズや欲求、あるいは価値観に答えを出すもの、ということだ。また、大半のコレクションはある種の「服の形をした確実な何か」を構築しようとする試みでもある。

多くのファッションデザイナーにとって、この確実性が構築できることこそがクリエイティブ面での成功であり、ブランドのアイデンティティとなる。だが、コム デ ギャルソンのレビューが突出して難しいのは(少なくとも私の生存戦略的な理論によれば)彼女以外のデザイナーがみな、「答え」をデザインしようとしているのに対し、川久保玲がデザインしているのは「問い」だからだ。

最先端のモードとともに童心に返る場所<br /> 白を基調とし、曲線が印象的なコム デ ギャルソン青山店。商品が見えそうで見えない構造は、まるで童心に返り服とかくれんぼをしているかのように、店内を歩くたびに新鮮な驚きと発見をもたらしてくれる。春夏、秋冬シーズンごとに変わるディスプレイやコンセプトも、すべて川久保自身によるもの。2024 -25秋冬コレクションでは、ショップの入り口正面に同シーズンのルックが4体並び、訪れる人の感性を挑発する。
最先端のモードとともに童心に返る場所 白を基調とし、曲線が印象的なコム デ ギャルソン青山店。商品が見えそうで見えない構造は、まるで童心に返り服とかくれんぼをしているかのように、店内を歩くたびに新鮮な驚きと発見をもたらしてくれる。春夏、秋冬シーズンごとに変わるディスプレイやコンセプトも、すべて川久保自身によるもの。2024 -25秋冬コレクションでは、ショップの入り口正面に同シーズンのルックが4体並び、訪れる人の感性を挑発する。

コム デ ギャルソンを立ち上げた1969年以来、川久保は徹頭徹尾カテゴライズを逃れている。確かに、彼女が最も尊敬を集める日本のファッションデザイナーであることに疑問の余地はないだろう。だが彼女はしばしば、自身を「ビジネスウーマン」と定義している。その作品は一貫して「アバンギャルド」と呼ばれ続けているが、ブランド創設から55年以上が経った今に至るまで、彼女に追いつくどころか、近づくことができる者すら皆無という状況だ。

服のデザインという支柱の周囲に、川久保は自身の美学に基づく、空間デザインやグラフィックデザインを包含した営為を構築してきた。その目的は、100%自身でつくり上げた小宇宙の中で、自らの作品を提示することにある。

「その意味は『意味などない』ということです」と、彼女は1995年にイギリスの新聞に対し語っている。この言葉は、彼女の小宇宙の中核をなしているように思われる「服の形をした実存主義」の理念を、これまでで最もわかりやすく示した例と言えるだろう。

ファッションにも語りかけてくるものはあるが、実際の言語と比較すると、その内容はあいまいで不明瞭だ。その意味では、ファッションは音楽により近い。ゆえに、大半のデザイナーは自身のショーに関する議論に文脈を与えようと、そのための材料の提供に躍起になる。

一方、川久保は、せいぜい短い声明を発表する程度だ。「ANGER(怒り)」と題された2024 - 25年秋冬コレクションでは、彼女はこんな言葉を綴っている。「これが私の今の心境です。私は世界のあらゆること、特に私自身に対して怒りを抱いています」(今回、ヴォーグ ジャパンで撮影された写真のルックは、すべてこのコレクションから川久保自身がセレクトしたものだ)

このショーに付された声明は、彼女がこれまで発した中でも言葉数の多いものだった。ここでいま一度、ヴォーグ ジャパンが撮り下ろした写真を見ながら、あのショーを思い返してみよう─ 発表された全17ルックのうち16体が黒の服で構成された(最後のルックのみ白だった)コレクションは、これまでの歴史上で女性向けファッションで提示されてきたフォルム、そして川久保自身の過去の作品の極北を踏まえつつ、それらを覆すものだ。

そこからは、彼女の声明にも通じる、一つところに押し込められることへの緊張や抵抗の感覚が読み取れる。だが、川久保が今抱えている「怒り」というのは、正確にはどこから湧いてきているものなのだろうか? なぜ自分自身に怒りを覚えているのだろうか? どのような「事項」に対して、激しく怒っているのだろう?

これらの問いは、彼女の作品に対して投げかけられてきた、典型的な疑問だ。この記事の執筆に際して、ヴォーグ ジャパンから川久保に質問を送る機会を設けたいとの申し出があった。つまり、私は彼女に「答え」を求める、非常に貴重な機会を手に入れることができるということだ。もちろん、私は編集部からの申し出を快諾し、24の質問を送った。

これほど多くの質問を送ったのは、答えてもらえるものはごくわずかだろうと考えたからだ。そして私の読みは正しかった。それでも、彼女からの答えは(残念ながら「怒り」の詳細については説明がなかったものの)どれをとっても、心を捉えて離さないものだった。

─あなたはかつて「シーズンごとに、ファッションで何か新しいことを見つけることを意図している」とおっしゃっていました。あなたにとって何かが「新しい」ものとなる条件は何ですか?

川久保玲(以下・RK) 「『新しい』とは、前に進むこと、ポジティブであること、自由であることです。これを実行するには、何か新しいものを探し、何か新しいものを創る必要があります。それが私の場合は服なのです。『新しい』とは、私たちが生きていくために必要なものですが、今まで見たことがない、新しい価値観やイメージに対して、人は自動的に抵抗を示すものです。私はこれまで、頻繁にそうした体験をしてきました」

─「新しい」ということが、これほどまでに固有の価値を持つのはなぜでしょうか?

RK 「価値観は生活様式、いかに明晰な意識を持って生きるか、という点に結びついています。これはまた、創作活動とも関連を持つものです」

デザインという行為において川久保の専売特許となっている、「新しさ」を持つスタイルは、本質的に見慣れないものだ。なぜなら、彼女がデザインする服は、それを着る者を、既存の型にはまることを徹底的に拒否する、抽象的で彫刻と言ってもいいほどのフォルムへと導くからだ。そして、彼女が言うように、見慣れないものに対して「人は自動的に抵抗を示す」ものだ。しかしながら、すべての人がこのように反応するわけではない。少数派ながら、不確実で見慣れないという感覚に良い意味でのスリルを覚え、刺激的と感じる人も存在する。このように、「答え」よりも「問い」を得られることに喜びを見出す、例外的な感性を持つ少数派の人たちが、コム デ ギャルソンの商業的成功を支えている。

この夏、私は18歳の息子を伴って、川久保が手がけた最新の室内空間、パリドーバー ストリート マーケット(今年5月にオープン)を訪れた。この店舗が見えてくると、息子は「なぜショーウインドウからまったく売り物の服が見えないのか?」と不思議がった。さらに店に入り、中を見て回ると、今度は「なぜ店内の壁がカーブを描いているの? まるで抽象的な迷宮の中にいるように感じる」と問いかけてきた。

もともとこの店を訪れたのは、特徴的なカットの、ブラックデニムのバギーパンツを探すためだったが、結果的に(少なくとも父親である私の心情としては)はるかに教育的で刺激的な体験となった(加えて、お目当てのジーンズも見つけることができた)。息子はこの店に刺激を受けて、気がついたことを表に出し、反応するよう促されていた。

今では大半の若者にとっては、二次元の世界で、デジタルに買い物をするのが当たり前になっている。こうした場では、衣服という形をした「答え」が極限までストレートに提示されているのが常だ。そんな今の時代に、型破りかつ、時に意図的な不明瞭さをまとう三次元の体験は、とりわけ貴重なものに感じられる。

川久保は、自身の型破りな衣服の周囲に、型破りな空間を形作ってきた(ドーバー ストリート マーケットではここに、ほかのデザイナーの服が加わる)。これは1975年にコム デ ギャルソンの第一号店を青山にオープンして以来、一貫している点だ(なお、旗艦店である青山店は1989年に現在の場所に移転している)。

コム デ ギャルソンおよびドーバー ストリート マーケットのエコシステム内にあるすべての店舗の室内空間に加えて、川久保は自身の小宇宙に含まれるすべてのブランドに関して、広告やパッケージ、ダイレクトメールなどの印刷物のデザインも手がけている。さらにこうした取り組みの中で長年にわたり、多くのアーティストやクリエイターと、ジャンルの壁を越えた自由なコラボレーションを行ってきた。これはある意味、創造における対話の形だろう。ただし対話を主導するのは、常に彼女だ。

「答えられない問い」を発し続けるデザイナーの思考

そこで私は、川久保への膨大な質問リストの中に、このような問いを加えた。

─こうした空間や平面のデザイン(どちらもファッションのデザインに近接しているものの、その性質は異なります)のインスタレーションは、服を形作るという、ご自身の核をなすクリエイティビティにどのように反映しているのでしょうか。

RK 「“インスタレーション”は、服について考え、服を作り上げる過程とまったく同じです。言い換えれば、服を作ること、空間や印刷物に取り組むことなどを含め、私の仕事はすべて、同じ価値観と美的感覚によって作られているということです。

同一の美的感覚によって作られた空間に衣服を配置することで、問題はないのです。とても単純な話です。とても平凡でコンサバティブな服が、抽象的なデザインの建物や空間に置かれている場合もありますが、そうした時間の浪費は、コム デ ギャルソンの店舗内では生じません。空間と服は同じ創造の源泉と美的感覚から生まれているからです。

私はアーティストではありません。私の仕事はすべて、ビジネスに紐づいています。とはいえ、ものを創っている時に、ビジネスについて考えることはありません。私が創るのは、自分が新しいと考えるもの、そして私自身が刺激を受けるものです。この過程から生まれる作品が、私をビジネスに近づけてくれます。

空間の創出と服の制作は、同じ価値観に基づいています。この二つは、完全に同一の作業です。その後出来上がったものを見た人が、空間がクールだ、あるいは力強いと感じることもあるでしょう。この空間を気に入った人だけが、コム デ ギャルソンの服を着るのでしょう」

答えを提示するのではなく、問いを誘発する服や空間、平面をデザインすることで、川久保は自身の「美しいカオス」が自由に展開できる美学を持った小宇宙を創り上げた。私自身の生存戦略から導き出された理論も、コム デ ギャルソンのショーは、決して「理解される」ものではないことを裏付けている。そしてこれこそが、わかりやすさを退け、とてつもない複雑さを好む人たちにとっては、このブランドの魅力の中核となっている。なぜなら、コム デ ギャルソンを「理解」することなど決してできない、と認めることが、逆説的にこのブランドを理解する糸口になるからだ。

これは、川久保の創り出すショーをレビューするという任務を受けた者にとっても、大変心強い逆説だ。それでも、レビューを書く身として、何か自分の文章のよすがとなる引用がないかと、常に探している立場から、私はこう問いかけずにいられなかった。

─あなたの作品に埋め込まれている、ソースコードのようなものはあるのでしょうか? ご自身のこれまでの人生、あるいは文学、アート、歴史を学んだ体験から得られたものなどはありますか?

RK 「私はどうやら、何かに特別な愛着を抱くタイプの人間ではないようです。ですから、自分が敬愛する人物や、特定の時代や文学に触発された記憶はありません。私が創り出すものは、私自身の問題意識、私の頭の中にあるものの表現以外の何ものでもありません。つまり、すべては私の価値観、ということです。もちろん、見解が一致しない人がいることも理解しています。私はそうした人の存在を受け入れます。それが自由というものです」

VOGUE JAPAN 11月号 コム デ ギャルソン特集

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