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力強い声で言えた「やっぱりいりません」は、私の中で人生最大の一歩だった

  • 2024.9.22

日常で「はて?」と思うことがあるときって、たいてい自分の中の正義と何かがずれたことが起こった時だが、その正義を盾に戦える人ってどれくらいいるのだろうかと思った。

◎ ◎

私は長らく、この「はて?」と思う原因を作ってくる世の中の敵に対して、まったく異論を唱えることができずに生きてきた。その原因はきっと、自分が傷つくのが怖いという、「敵からの反逆」から来る怯えだ。まったく、何もこっちは悪くないのに何を怯えているのだと思われかねないが、私はRPGゲームの中で戦う勇者のように、敵の反逆に対抗することができない。ゲームの中の彼らには、「感情」というものがなくて、こう言ったらこう思われるだとか、彼らにも彼らの正義があるのだとか、そんなことは考えない。だからこそ、果敢に戦うことができる。だけど、私は人間だし嫌なものは嫌だ。好きなものはとことん好きで、嫌いなものはとことん嫌い。おかしいと思ったら、それはおかしいに違いない。そう思っている。

例えば、理不尽なお願い、無茶ぶり、残業、出たくもない会議、話したくもない相手、などなど。世の中には試練がいっぱいあって、それを乗り越えた先にはどうのこうのという、いわゆる「英雄談」もたくさんある。この日々を乗り越えたら、また一つ大人になれるだとか、ものの見方、視野が広がるだとか、いろいろな試練を乗り越えようとするたびに、周りの大人はそう言ってくれた。だけど、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉もあるが、その熱さという名のつらさを忘れられない人だっているのだ。のど元を過ぎたとしても。

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私は、はてと思うことを我慢して放置し続けると、何が起こるのかいろいろな場面で見てきた。例えば、職場に古くから残る、もう不必要な慣習。ただ「続いてきた」というだけで何も利益を生み出さないのに継続させられていることを見ると、この会社はこの先も、前進も衰退もしない現状維持なのだろうなと思う。
他にも、「自分は間違っていない」と人からの注意を聞き入れなくなってしまった人。彼らなりの頑固さなのか、維持なのか、そういうスタンスなのか、性格なのか知らないが、明らかに周りを不愉快にさせる人。私はそういう人は周りがいかに「我慢」しているのかに気が付けなくなった、独裁的でかわいそうな人だと思う。

だけど、それらの「はて?」な感情をいくら持ったとしても、それを放置し続け、敵からの反逆を恐れ続けていたのは私だ。
このエッセイの応募を見て、そんな行動できていない自分に気が付いた。感情を抱くわりには、自分を押し殺す。私はいわゆる社会の鴨まっしぐらで、完全なイエスマンになっている。それって、自分がなくなったのと一緒だ。

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この頃、そんな自分を変えたくて一つ心がけていることがある。それは、「じゃない方を選ばない。であるほうを選ぶ」ということだ。この言葉は自分で作り上げた言葉なのだが、私はついつい「こうあるべき」と社会に植え付けられた方を選ぶ癖がある。正社員の方が偉いとか、会社は何年続けた方がすごいとか、はて?と思っても反逆しないことが大人だとか、何でも引き受けて自分の時間を減らすことが美徳だとか。
だけど、これらは自分のなかでぜったいに「じゃない方」に変わりはないのだ。だから、私はずっと苦しかった。

先日、はじめて「はて?」と思う敵と戦った。こっちが客であるのに変わりないのに、とても高圧的に接してくる店員さん。これまでの私だったら、こんな感情はかくして商品を購入していたはずだ。
だけど、私はもうちがう。ただ一言、今まで発したことないような力強い声で言えた「やっぱりいりません」は、私の中で人生最大の一歩だったと思う。
これからも、私は私を崩さない。

■ももりんのプロフィール
本が好き。保育士をしています。

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