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【大泉学園】牧野記念庭園企画展『植物にかけた夢 〜伊藤篤太郎と牧野富太郎〜』 朝ドラで注目された牧野博士と深い縁

  • 2024.9.19

皆さん、ごきげんよう!

LIVING東京地域特派員の西村美鈴です。

今回は、NHK朝ドラ『らんまん』の主人公のモデルとなった植物学者・牧野富太郎博士の住居跡である牧野記念庭園を訪れました。現在、こちらでは企画展『植物にかけた夢 〜伊藤篤太郎と牧野富太郎〜』が開催されており、10月6日(日)まで楽しむことができます。

草木の精・牧野博士

出典:リビング東京Web

牧野富太郎博士は、幼いころから植物に魅了され、自らを『草木の精』と称するほど植物への深い愛情を抱いていた人物です。1862年、土佐藩の豪商の家に生まれ、幼少期には私塾などで国学や漢学、さらには西洋の近代科学まで幅広い知識を身に着けました。そのため小学校の授業には物足りなさを感じて退学するも、自然の中で独学を続け、やがて日本の植物分類学の礎を築き上げました。

研究のために惜しみなく投資し、最終的に約1億円もの借金を抱えることもありましたが、不思議なことに追い詰められた場面では必ず助けてくれる人が現れたといいます。彼の魅力的な人柄が、多くの支援者を引き寄せ、生涯にわたり研究を続ける力となりました。卓越した観察力と探究心は1500種以上の新種発見に結びつき、世界的にも高く評価されています。

『日本植物学の父』として広く知られる博士の研究は、現在も多くの研究者や植物愛好家に影響を与え続けています。

東京都練馬区に位置する牧野記念庭園は、博士が晩年の30年以上を過ごした住まいの跡地と庭が残る特別な場所です。庭園には、妻の壽衛(すえ)の名を冠して博士が命名した「スエコザサ」など、多種多様な植物が植えられ、博士の自然への愛情が今も息づいています。静かな庭の佇まいは、博士のひたむきな研究姿勢と自然に対する深い敬意を訪れる人々に伝わってきます。

園内には、博士の業績を伝える記念館があり、常設展示室と企画展示室では、博士が使用した植物採集道具や、自筆の緻密な植物図などが展示されています。書屋展示室では、博士が生涯を通じて熟読したり執筆したりした書物を垣間見ることで、彼の思索の深さを感じ取ることができます。また、講習室では植物に関する講座やワークショップが定期的に開催され、訪問者が植物学についての理解を深める機会が提供されています。

牧野記念庭園は、牧野博士の情熱と功績を伝え、彼が追い求めた自然の美しさを感じ取れる場所として、多くの人々に親しまれています。

 

出典:リビング東京Web

スーツ姿のまま民家の屋根に登って植物採集をする牧野博士

牧野博士は、スーツ姿のまま民家の屋根に登って植物採集をするほど、植物への情熱があふれていました。 その飽くなき探究心と行動力が、多くの人々を惹きつけました。

出典:リビング東京Web

牧野博士の書斎には、工夫を凝らした道具が並び、部屋中に本が所狭しと置かれています。『繇條書屋(ようじょうしょおく)』と書かれた額は、博士が深く尊敬していた、日本で初めて理学博士となった伊藤圭介の書いたもの。

企画展『植物にかけた夢 〜伊藤篤太郎と牧野富太郎〜』

現在、牧野記念庭園では、日本植物分類学の発展に多大な貢献をした二人の植物学者、伊藤篤太郎(とくたろう)と牧野富太郎に焦点を当てた企画展『植物にかけた夢 〜伊藤篤太郎と牧野富太郎〜』が開催されています。二人は幼少期から植物に親しみ、それぞれ異なる道を歩みながらも、植物学における偉大な功績を残しました。

 

出典:リビング東京Web

企画展『植物にかけた夢 〜伊藤篤太郎と牧野富太郎〜』の会場の様子

伊藤篤太郎は、博物学者である祖父・伊藤圭介の影響を受け、日本人で初めて植物に学名を付けた人物として知られています。一方、牧野富太郎は、東京大学の植物学教室で学びながら、日本産の植物に最も多くの学名を付けた植物学者として認知されています。また二人は東京大学植物学教室で研究を進める中、矢田部良吉教授によって教室への出入りを禁止されるという不運にも見舞われました。

本企画展では、明治8年(1875年)に行われた『破門草事件』に関連する採集旅行で描かれた植物図や、二人が全力を傾けて取り組んだ植物図説集『大日本植物図彙』(伊藤篤太郎著)と『大日本植物志』(牧野富太郎著)の一部が展示されています。さらに、練馬区に寄贈された初公開の『大日本植物図彙』の続編とされる未刊の4図が初めて公開されるなど、非常に貴重な資料も展示されています。

この企画展は、伊藤篤太郎と牧野富太郎という二人の植物学者が歩んだ道と、彼らの植物研究への情熱を再認識する貴重な機会となっています。二人の研究成果とその影響力に触れながら、植物学の魅力や奥深さを感じられる展示になっています。

 

出典:リビング東京Web

この度寄贈された『大日本植物図彙』の続編とされる4図

出典:リビング東京Web

牧野博士の写真入り年賀状

当時としては珍しい、自分の写真入りの年賀状を送っていた牧野博士。 そのユーモアあふれる茶目っ気が偲ばれる1枚です。

牧野博士は、「雑草という草はない」と語り、どんな植物にも固有の名前があると主張しました。彼は、人間の都合で「雑草」と呼ぶことを嫌い、どんな植物にも敬意を持って接しました。その植物への深い愛情は、人との接し方にも表れており、植物を愛する人であれば、たとえ子どもや初心者であっても分け隔てなく同じ目線で向き合い、植物の魅力を伝えることに尽力しました。その温かい姿勢は多くの人々に愛され、支援者が絶えることはありませんでした。

博士は生涯で1,500種類以上の植物に学名を付け、40万枚もの標本を収集し、日本の植物学を世界に誇る水準へと導きました。また、現在でも研究者や愛好家の必携の書とされる『牧野日本植物図鑑』を刊行し、その影響は今も続いています。激動の時代を生き抜き、昭和32年(1957年)に94歳でその生涯を閉じるまで、牧野博士は常に植物と共に歩み続けました。彼の生き方は、好きなことを追い求めることの大切さを今なお私たちに語りかけています。

牧野記念庭園を訪れると、鬱蒼とした庭や本に囲まれた書屋から、今も牧野博士の息遣いが感じられるようです。皆さんもぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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