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まひろの物語が帝を、彰子をあやつり始めた!平安時代の読書は音読、読み聞かせが基本です!

  • 2024.9.19

「光る君へ」言いたい放題レヴュー

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光る君へ 第35回「中宮の涙」あらすじ&今週も言いたい放題まひろの描く物語に帝も、彰子もあやつられていくよう!まひろの告白に道長びっくり!

 

今週のお当番、N子です。先週の第34回「目覚め」では、「源氏の君ってオレのこと?」「もしかしてあの人?」と誰もが心当たりのあるキャラやエピソードの連続に、宮中でまひろの描く物語が流行り始めていく様子がワクワクさせてくれましたが、今週も面白かった!

金峰山詣でと言えば、宣孝さんを思い出すなあ

今週、いきなり道長たち一行が金峰山詣で、いわゆる御岳詣でに出発するシーンから始まりました。金峰山詣での道行の過酷さにびっくりしましたね。山道は険しく、ぬかるみに足は取られるし、岩山をよじ登る様子はまんまロッククライミング。金峰山詣での難しさ、それでも行くという決意、だからこそ得られるであろう霊験に、道長が賭けたとでも言うべきでしょうか。中宮彰子の懐妊を願って、御岳詣でを決行した道長です。

しかし、こんな苦行とも言える旅とは思ってなかったす。だってN子が御岳詣でと聞いて思い出したのは、今は亡きまひろの夫、宣孝さんの大変陽気なお姿です。

 

 

まひろがまだ少女だったころ、宣孝さんが「どうじゃ?この衣装は?似合っておるだろう?」とハデハデなお衣装を見せびらかしに来たとき、宮中の使者として御岳詣でに行くって言ってましたよね?あの恰好で金峰山詣でが出来たとは思えないんですが……。

往生際の悪い伊周……抗えば抗うほど転落へのアクセルを踏むだけなのに……

この機に乗じて、道長暗殺を画策する伊周も、武者たちと金峰山へと向かい、道長の道中を狙っています。計画を弟の隆家にいさめられても伊周の暴走は止められません。それでも兄を思う隆家は、金峰山での急襲を阻止。道長一行の命を救います。

 

 

隆家がなぜ自分を止めるのか、伊周にはわかりません。自分たちの運命が下降する直接的な原因は、隆家が花山院に矢を放ったこと、そして頼みの綱だった妹・中宮定子の死でした。お前のせいでこうなったのに!と詰め寄る伊周ですが、隆家は意外に冷静でしたね。自分の非を認めたうえで、生き方の転換を勧めていました。伊周の耳には届いていないと思うけど……。

 

 

来週以降、まだまだ続く伊周の暴走も注目です。

帝、そして彰子さまの記憶と感情を教育していく……まひろの物語はある種のセラピー?

まひろの局に一条帝がやってきました! 光る君の物語の展開についてお尋ねです。白い夕顔の花の咲く家の女はなぜ死ななければならなかったのか?と。生霊の仕業だと答えるまひろ。「誰かがその心持の苦しさゆえに生霊になったのやもしれません」と付け加えます。

 

 

 

「左大臣の心持はどうなのであろう?御岳詣でまでして、彰子の懐妊を願う左大臣の想いとは……」と、ここで一条帝は道長の金峰山詣でについて話しを変えましたね。まひろは親心ゆえと答えていましたけれど、いやいや、これは道長の政治的圧力ですよね!

生霊によって亡くなった夕顔の話しと、左大臣道長の娘・彰子の懐妊祈願のための金峰山詣で。これだけだと話しが繋がりませんが、帝は物語の中で、光る君と、亡くなっていった女君たちを、自分と定子さまに重ねているのでしょう。

 

 

 

定子さまへの過度な寵愛が、左大臣・道長をはじめ宮中をざわつかせ、定子さまだけでなく、周囲の人々の心を傷つけ、そして心労と軋轢を与えてしまったのかも……ということを指しているのではないでしょうか。

中宮・彰子さまの藤壺でも、まひろの物語が読まれていました。女房たちは、光る君の言動に喧々諤々です。彰子さまはまひろにこっそり伝えます。若紫は幼くして宮中で育つことになった自分のようだと。そして「若紫を光る君の妻にしておくれ」とまひろに懇願さえします。

 

 

宮中の誰もが、光る君に、登場する女君に自分を重ねて読み進めているまひろの物語。帝も光る君に、彰子さまも若紫に自分を重ねているのです。

 

 

誰もが物語の中へ自己投影し、物語世界をなぞり、思いを馳せたわけです。

 

 

帝も、彰子さまも例外なく、物語の世界に自分に重ねることで記憶と感情を癒し、再教育されていく……。まるでセラピーのような物語ではありませんか!

「今宵、藤壺に参る」と道長に告げる一条帝。それは摂関政治の根幹を受け入れるという宣言

まひろも、彰子さまの変化に気付いています。心が動いているから、「若紫を光る君の妻にしておくれ」なんて、まひろにお願いしちゃうんですよねえ。自分の願望がそこに込められていました。

 

 

まひろから、自分のお気持ちを帝にお伝えになられたら……と提案されたところに、一条帝のお渡りです!思い余って「お慕いしております!」と絶叫する彰子さまに、一条帝もまひろも仰天です。私もたまげました。

一条帝はドン引き。「……また参る」って、すごすごお帰り。そりゃそうでしょうよ。彰子さま、お願いです。こういうことはまず和歌とか書いて、お届けしてみようよ!そこから始めてみようよ!って思ってしまいました。でも、道長もまひろに直球勝負な歌を送ってきてたもんな……こりゃ血だな。

 

 

そのあと私が驚いたのは、清涼殿に奏上しにきた道長に直接、「今宵、藤壺に参る」って告げたことです。道長に、ですよ!これは金峰山の霊験?……かもしれないけど、っていうより、摂関政治、および宮中の政治的秩序を守っていくよ、という、一条帝の宣言だと、N子は受け取りました。

帝である自分が、政治的バックグラウンドを顧みず、ひとりの女を愛し続けるとどうなるのか。帝は、まひろの物語を読み進めていくことで、自らの間違いに気付いたのです。

 

 

摂関政治の根幹は、何と言っても、まずは、強力な政治的、経済的な後ろ盾のある娘が入内し、中宮=后となり、子を為す、ということです。そしてその子の後見には外戚が摂政や関白を務め、主に人事権を掌握し、政治を進めるのです。

まずは、その位に見合った后との間に子を設けなければいけないのです。愛情の分配比率を間違ってはいけなかったのです。そこに私情を挟む余地は、天皇としては、本当はなかったのです。

 

 

だから一条帝は、「今宵、藤壺に参る」=このシステムを受け入れ順守しますと、藤壺の女房たちにでもなく、側近の行成にでもなく、直接、道長に告げたのだと思います。

定子サロンで雪遊びしたあの日々は遠い。雪が知らせる楽しかった青春時代の終焉

突然の帝のお渡りに、藤壺の女房たちは大わらわです!みんなの騒ぎをよそに、ゆったりと支度される彰子さまは、いつになく艶めいています。

 

 

藤壺へ向かう一条帝の前に、はらはらと雪が舞い降りてきました。ふと足を止めて、天を仰ぎ、雪のちらつくのを眺める一条帝。セリフはありませんし、説明的なシーンが入るわけでもありません。ただ、ふと立ち止まって、はらはらと舞い降る雪を見ているのです。

 

雪と言えば、あの楽しかった雪遊びをした日々ですよね。「香炉峰の雪は?」と定子さまが清少納言に問いかけ、するすると御簾を上げて、庭に降り積もった雪をみなで眺める……。あの頃は、今は亡き最愛の定子といつも一緒に、楽しく過ごしていました。

 

 

あの楽しかった雪遊びの日はもう戻らない……。一条帝の青春は本当に終わったのです。それを一条帝自身に教え諭すように降る雪、とN子は解釈しました。

あれ?道長、気付いてなかったの?不義のくだりは……石山寺の夜、忘れたのかな?

 

 

金峰山から戻ってすぐ、物語の進捗状況を確かめに、まひろの局を訪ねてきた道長。凄いなあ、本当に物語頼りになってるわー。

 

「この不義の話しはどういう心つもりで書いたのだ?」

「……わが身に起きたことでございます」

 

道長は、まったく気づいていなかったのでしょうか?賢子は、あの、石山寺での一夜のときの子ですってば!今後、賢子も彰子さまの女房となり、大出世を果たすわけですが、道長が目をかけてあげた、ってことなのでしょうか??? そんな気がしないでもないですね。

『源氏物語音読論』―――平安時代の読書とは、声を出して読み聞かせることだったのです

 

前回、そして今回を見ていて、気付いたことなのですが、宮中でまひろの物語を読んでいる皆さま、読んで聞かせています。前回であれば、公任が妻に、斉信はなんと彰子さまの女房である小少将の君に、宮中の女房たちも全員、読み聞かせ状態でした。

 

 

これは、TVドラマとして、どんな内容を読んでいるのか、視聴者に知らせるという側面もありますが、実は平安時代に本を読むというのは、読み聞かせ、まさに音読することでした。

『源氏物語音読論』は、戦後すぐの昭和25年に、玉上琢彌という国文学者によって発表された論文です。国文学、特に平安時代の作品を学ぶ大学生なら、まず手に取るのがマストだと思います。岩波現代文庫で読めます。

 

 

物語は黙読するのではありません。声を出して音読されていました。声色をまねるのがうまかったり、朗読上手な女房などがいて、姫君に読んで聞かせるのです。絵巻物広げて、絵と合わせて見ながらお話しを聞いていたかもしれません。音読をすることが前提で書かれていたことも伺えるようです。

玉上先生は核心的なことを、ずばりと書いています。

 

 

物語は、姫君成人後にわたっての、生活の指導書であったのである。男女のなかをいみじくも「世」と呼んだ平安女人の生活は、物語以外、何に教訓を求めえようか。

 

 

……まさに。奥ゆかしくて、子どものまま時が過ぎてしまった彰子さまの情操教育、生活指導書を担ったのが『源氏物語』として、「光る君へ」に描かれているではないですか! 大石静さんは、『源氏物語音読論』も読んでいたのかも?

ちなみに先週の第34回で女房たちに読み聞かせていたのは、NHKの人気アニメ「おじゃる丸」のメインキャラクター・坂ノ上おじゃる丸の声優、西村ちなみさんだったでそうです!

 

文学へのリスペクトを痛いほど感じる「光る君へ」

「光る君へ」ってとても文学的な作品ですよね。それはもちろん『源氏物語』という小説を題材に取っているわけだから、文学的でないわけがありません。

小説などを読む際、「行間を読む」と言います。書かれていないけれど、そこに込められた意味、感じ取れる気配、そこから導かれる余韻、いかようにも読める行く末などが、行間に、作品世界に存在しているものです。

 

 

「光る君へ」にも行間が存在しています。今回は特に、一条帝が藤壺へ渡ることを道長に宣言~はらはらと舞う雪を見ながら物思いにふけるシーンに、それを感じました。

登場人物に説明させ過ぎてしまう映像作品が多いけれど、「光る君へ」は違います。説明は最小限に。文学作品でいうところの行間を映像で表現しています。見た人それぞれが受け取る行間の深みや色が多彩なのも、毎回わくわくさせます。

 

 

行間を見せる、読ませる、そのていねいさ、細やかさに、感服します。本当に映像による文学作品だなと思います。

女房は見た!衝撃のラストから来週もわっくわくです

ラストに左衛門の内侍がジーーーーッツと、まひろと道長をのぞき見していましたね。きっとふたりがデキているって言いふらすに違いないです!

 

 

来週以降、倫子さま、久しぶりに降臨かしら? ウチの殿と中宮さまをよろしくねっ!とか、余裕の笑顔で言いそうだけど。

 

 

来週はいよいよ彰子さま出産と、『紫式部日記』爆誕です。展開がどんどん早くなってきました!

「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……

Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!

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