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誰よりも眩しかった彼女が患ったうつ病。自分を貫く覚悟を知ったとき

  • 2024.9.19

小2から中学卒業までの間、恐らく最も長い時間を一緒に過ごした友達が居る。

◎ ◎

放課後に公園の遊具で、今だったら絶対に怒られそうな危なめの使い方をして遊んだり、10歳ちょっとの年齢で2人で電車を乗り継いで原宿に行ったり(今考えるとよく親が許してくれたなと思う。当時は自分のことをしっかりしているから平気とか思ってたけど、小学生なんて幼過ぎて怖い)などと、少し刺激的で大きめな思い出にはかなりの確率で彼女が居る。

そう、そして彼女自身がかなり刺激的な女の子だった。

目鼻立ちがはっきりしたエキゾチックな美少女で、醸す雰囲気もやることなすことも独特だった。歌と踊りが大好きで、ふいに歌いだしたりするような子。
運動神経も人当たりも良くて、声の大きいタイプではなかったけど存在感があり、周りから一目置かれていた。私はそんな彼女と親密な関係で居られることが密かな自慢だった。

◎ ◎

私は比較的お堅めな家庭に生まれたと思う。

と、言うと少し誤解されてしまいそうなのだけど、両親は優しかった。「勉強しろ」と怒られたことなんて一度も無いし、俗にいう”毒親”でもなかったと思う。

ただ両親はあまりにも”王道”の人生を歩んでいた。受験してそこそこ良い学校に行き、大きな企業に入って職場結婚して、家を買って子どもを産んで……。そういうことを造作もなく出来てきた人達だ。

私もそうすべきだと、別に強制されたわけじゃない。でも、何となくそうすることが1番喜ばれるんだろうなと思ってしまった。

そして他者に褒められることを何よりも強いお守りにしてしまう私のような人間は、そのルートに乗るための努力をした。別に努力すること自体は嫌いじゃなかったけど、周りの目ばかり気にしたが故の努力は、私の何か大切なものを削り取っていくような気がした。

◎ ◎

それに比べて!彼女は眩しかった。
周りの目を臆せずに自分を貫き、大きな将来の夢をまっすぐに見つめている。

正直、私のような他人軸の人間は少なくないと思う。むしろ多数派だとすら思っている。周りの期待に応えようと、周りから良い評価をもらおうと、万人受けする人生を目指す、そんな人間は。

私はむしろ普通で、彼女は特別なんだと思った。彼女は本当に眩しかった。
高校に入り、私たちは少しだけ疎遠になった。
とはいっても定期的に会ってはいたけど、私と彼女の身を置く環境が違い過ぎて、私は自分のことが嫌いになり過ぎて、昔のような親密さは影を潜めた。

大学に入学した私は、時間をかけて少しずつ自分を許すことに寛容になり始めた。私は私というただ1人の人間であり、どうせいつか死ぬならやりたいようにやってやろうと吹っ切れた。

◎ ◎

そうすると、彼女に会いたくなった。彼女は私が成人してからようやく出来るようになり始めたことを、ずっと昔からやっていたから。やっぱり彼女は凄い。

親交は途絶えていなかったけど、高校の時の私たちは会っていただけだった。またあの頃みたいに、彼女と真っすぐ向き合いたいと思った。

久々に会った彼女は見慣れない薬を持っていた。精神科で貰ったらしい。彼女はうつ病になっていた。

その日、「なんか辛くなっちゃうんだよね」と笑う彼女を思い出すと、今も私は泣きたくなる。

本当は知っていたのだ。中学時代、彼女が自由気ままに振る舞うことをよく思わない人が居ることも、その明るさが良くない人間を引き寄せてしまうことも。

でも私は「彼女は特別だから」と。きっと何があっても大丈夫なんだろうと思っていた。

それは違った。彼女はただ、覚悟があっただけだ。絶対に自分自身、ありのままを貫くという覚悟が。

◎ ◎

その日、私たちは将来の不安とか悩みとか、色んなことについて沢山話した。

深夜の帰り道、街灯がぼんやりと薄く照らす道路を歩きながら「まあお互いやれるだけやろうね」と励まし合って別れた。

あれから数年、多分彼女の病気はそこまで良くなっていないと思う。でも彼女はそれを受け入れながら、自分の夢に向かって努力を続けている。

私はもう、彼女が自分らしさを貫けているのは特別だから、なんて思わない。
目指す方向は違えど、私も彼女のように、辛さも怖さも受け入れて自分の「なりたい」を貫いてみせる。

彼女が居たから、私は他の誰でもない自分自身を貫いて磨き上げることの尊さを知った。今も、ずっと眩しい。

■真村 べにのプロフィール
文章を書くこと、音楽、お笑いが好きです。強くて優しい人間になりたいです。女子校生活6年目に突入しました。

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