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Netflixシリーズ「極悪女王」が女性たちに刺さる理由──「女子プロは自分らしさを肯定できるサンクチュアリ」

  • 2024.9.17

誰も“正しさ”に責任を持つことなどできない

1970年代〜80年代にかけて、空前の女子プロブームが日本中を席巻した。ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペアに続き、長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュ・ギャルズも大人気に。リングの上で闘い、歌い踊る国民的アイドルになっていく。そしてそのライバルとして登場するのが本作の主役である悪役レスラー・ダンプ松本だ。本作では長与千種を唐田えりかが、ライオネス飛鳥を剛力彩芽が、そしてダンプ松本をゆりやんレトリィバアが演じている。

プロレス興行において“正義” 対 “悪”というどんな観客にもわかりやすい勧善懲悪的アングルを展開していく上で、ベビーフェイスとヒールの存在は欠かせない。みんな正義のベビーを応援し、ヒールを本当の悪党だと信じて憎む。ダンプは日本中から嫌われ、誹謗中傷や殺害予告を受けながらも、プロとして悪役レスラーを演じ続けた。一体どんなメンタリティで日々を生き、リングに立っていたのだろう。ダンプがなぜヒールとして覚醒したのかを描く本作は、映画『JOKER』のプロレス版とも言えそうだ。私は本作を観て、「テラスハウス」に出演していたヒールレスラー・木村花のことをどうしても思い出さずにはいられなかった。誰もが加害者にも被害者にもなりうるソーシャルメディアの時代、善悪や正しさがいかに主観にすぎず曖昧なものであるかを改めて学べる作品でもある。

夢をかける青春時代、少女たちの連帯

ストーリーありきで行われるプロレスは本来、徹頭徹尾ショーであり、見世物である。レスラーたちは常に観客を喜ばせるために一致団結して試合を盛り上げ、観客を熱狂させた後、ハッピーエンドを提供する。正義も悪も本来なく、ライバル選手を認め合いそれぞれがただ自分自身の物語のために闘っている。それでも全日本女子プロレスが求めたのは、女同士の“リアルなバトル”だった。リング上で激しい闘いをみせるために、経営者である松永兄弟は普段から対戦相手同士の精神をコントロールし、いがみ合わせていたといわれている。ベビー対ヒールの闘いはリング上だけではなかったというのだからおそろしい。

ただ本作は、そんなミソジニーまみれのわかりやすい女同士のバトルは主題とはしていない。むしろ弱さをかかえながらぶつかり、手をさしのべ合って生きる少女たちのシフターフッド作品なのだ。決して裕福とはいえない家庭環境のなか、プロレスに夢をかけるしかなかった少女たちの奮闘、連帯の青春時代をメインとしてしっかり描いてくれている。お金もなく、いつもお腹をすかせながら練習に励む毎日。少女たちが切磋琢磨して、リングに上がれるようになるまでの日々に胸が熱くなる。

男性社会で消費される女子プロレスラーたち

華やかな舞台の裏側には、たいがい黒幕がいると相場が決まっている。演者となる少女の後ろには、権力を握り続けていたプロデューサーの中年男性がいるという構図は今も昔も変わらない。物語の時代背景は80年代で、今よりもっとゴリゴリの男尊女卑の空気があり、その上プロレスという特殊な男社会という環境下は少女たちに過酷な試練を与えることとなる。

本作で描かれる全日女子プロレスでは、経営者である松永兄弟の存在感が際立っている。高司(村上淳)と俊国(斎藤工)、国松(黒田大輔)はオーディションに集まる何千人というプロレスラー志望の少女たちから、金の卵を選び抜き、育て上げる才能があったに違いない。選手たちには男・酒・タバコ厳禁の三禁ルールを課し、いがみ合わせてリングで闘わせる。そして選手が稼いだ金のほとんどを吸い取り、湯水のごとく使う。選手を人ではなく「商品」と捉えていたから、そんなことが容易くできたのだろう。そんな金と欲にまみれた世界で成り上がろうとする少女たち。この不均衡な男女の構図も、本作は包み隠すことなく描いている。そこにも制作陣の意志が感じられた。

本気の肉体改造と、圧倒的に再現度の高い試合

これまでプロレスをモチーフにした作品はあったが、ここまで腹を据えた作品はあっただろうか。もちろんこれはドラマだが、ただの再現ドラマだと思ってはいけない。むしろドキュメンタリーといえるのかもしれない。ゆりやんレトリィバア、唐田えりか、剛力彩芽ほか俳優陣は実際に2年かけてトレーナーとともに筋肉や脂肪をつける肉体改造を行い、本作のプロレススーパーバイザーを務める長与千種の女子プロレス団体Marvelousの稽古場に通い、体作りや技の習得をしていった。その“本気”は試合シーンに如実にあらわれている。

プロによる吹き替えの準備はあったが、99.9%(!!)を彼女たち自身で演じているという。毎月の血液検査や健康診断を含め、そのための体調やメンタルケア、安全面についてもしっかり考慮があったそう。総監督は白石和彌。さすが安心の白石組の現場だ。ゆりやんレトリィバァの怪我の報道もあったが、本作を観たらそれも納得した。ここまで本気で実際のレスラーと同じメニューをこなしていたら、いくら気をつけていたとしても起こるときは起こる。それだけ全身全霊で作品に挑んだということだ。この荒野で一生懸命闘い続けることを決めた彼女たちに、最大の拍手とリスペクトを送りたい。

ただの再現ドラマではないといったが、再現度の高さも見どころの一つ! 実在人物を演じる上での役としての再現はもちろん、当事の試合映像と見比べても試合運びはほぼ同じ。トレース具合が半端ないのだ。さらに1985年8月28日、全日本女子プロレスの大阪城ホール大会で行われた、長与千種 VS ダンプ松本の伝説の一戦「髪切りデスマッチ」までも当事の熱狂そのまま蘇っている。試合シーンだけでなく、俳優陣の演技のすばらしさも言わずもがな。それぞれの覚悟のぶつかり合い、一瞬たりとも目が離せない。

女が女を「推す」にはワケがある

そもそも女子プロレスの起源は、芝居小屋やキャバレー、ストリップ小屋で酔客相手に見せるショーだったともいわれている。最初のうちは女子プロレスラー=男性が性的にまなざす対象としていた節があったように思う。それを変えてくれたのが観客の少女たちだった。女子プロ人気とともに客層の男女は逆転し、男性客メインだった会場は女性客が大半を埋め尽くすようになる。

この理不尽な社会で生きなければいけない少女たちは、リングの上で懸命に闘う女子選手に自身を重ね合わせ、その姿に希望を見出していたのだ。まばゆいスポット、投げ込まれる無数の色鮮やかな紙テープ、黄色い声援。少女たちが血まみれの闘いに尊敬や畏怖の混じり合った気持ちを抱き、自分ごとのように涙を流すのはなぜか。きっと幾度倒れても立ち上がり、敵に向かっていく選手の姿勢に何かを託し、そして受け取っていたからだろう。きっと「虎に翼」ファンなら、この気持ちがわかるはず!

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日本社会ではいまだに、女性が身体的な力を身につけることを歓迎しないムードを感じる。可愛くておしとやかで、できるだけか弱い存在でいてほしい。そんな“女らしさ”や美の規範の呪縛に抗うかのように、クラッシュ・ギャルズは髪型や仕草など、努めて「中性」的なイメージをつくっていた。そんな2人に憧れ、応援したくなる気持ちは十分にわかる。

一方で、夢中になる人のなかにはレズビアンであることを隠して生きてきた少女たちもいただろう。まだセクシャリティをオープンにはしづらい時代、その子たちにとって女子プロは自分の恋愛感情を素直に表現できる救いの場所であったに違いない。多くの少女たちにとって、女子プロは自分らしさを肯定できるサンクチュアリだったのだ。女が熱狂した本気の女子プロレス、観たらあなたも魂が震える経験をすることになるだろう。

Netflixシリーズ「極悪女王」

9月19日(木)Netflixにて世界独占配信

Photos: Courtesy of Netflix Text: Daisuke Watanuki Editor: Nanami Kobayashi

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