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家族であろうと理不尽には立ち向かう。心地よく暮らすために、私は声を上げた

  • 2024.9.18

子どもが全員成人して社会人になった実家暮らしの核家族。さて、家事は誰がどうする?

◎ ◎

私の家族は父、母、兄、私の四人暮らしだ。家事の大半を私がこなしている。始まりは私が一九歳のときだった。このとき私は大学生だったが、持病のために入院を繰り返しており、学校に通うことに困難を感じていた。学業と治療の両立は高校時代から厳しかった。限界を悟り、退院したら大学を中退することを決めていた。この先のことは何も決めていない。治療と休養のこと以外は考えられなかったのだ。

そうは言っても、ずっとこのままというわけにはいかない。退院できたものの、家にいるだけで私は何もしていない。次第に焦りと罪悪感が出てきた。何もできずにただ養われて生きていくのだろうか。私は家族のお荷物なのではないだろうか。外に出て動くことができないのならば、せめて家の中のことをやろう。そう思い、休み休みではあるが家事をするようになった。

洗濯、ご飯の支度、掃除、ゴミ出しから、名前のないような家事を淡々とこなした。体調的につらいことも多々あったが、「自分は何もしていない」という罪悪感に追い詰められ、無理を押してやった。次第に家族の中で、「私が家事をやって当たり前」という空気ができた。なんで私だけ、と虚しくなることもあったが、他の家族は外に出て働いているわけで、モヤモヤしてもなかなか言い出せなかった。「あなたがやってくれるおかげで時間ができたから、さらに仕事入れちゃった」、「友達と出かけてくるから」家族は空き時間にどんどん予定を入れるようになった。本当は少し家事を分担したいと言いたかったが、今まで私の通院や学校への送り迎えで家族の時間をたくさん奪ってきたので、それも言い出せなかった。

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さて、時は経ち、私は徐々に回復し、パートタイムで少ない日数ではあるが、外に出て働き始めた。しかし、私の家事負担は変わらない。「あなたのおかげで助かってるよ~」と家族は言うが、はて?相手の屈託ない言葉を受け入れられない自分がいた。

確かに私のほうが働いている時間は短いかもしれない。しかし、病気を言い訳にするつもりはないが、体力がないながらも、私だって「外で働いている」という他の家族と同じ土俵に立ったのだ。感謝されるのも、人の役に立てるのも嬉しい。しかし、「助かっている」と言えば今まで通り家事を全てやってくれると思われている気がしてならない。

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私がひねくれているのだろうか。今なら、声を上げてもいいのかもしれない。みんなの分の家事をやってほしいとは言わない。でも、せめて自分のことは自分でやってほしい。

私は小さな行動から始めた。食器が洗われずに残っていたら、「食器よろしくね」と声をかける。洗濯物は畳まず、それぞれに分けて部屋の前に置いておいた。もし誰かが家族分の片付けなどをしてくれたら、全員に聞こえるように「ありがとう」と言う。わざとらしさには注意。すると、家族が少しずつ家事を分担してくれるようになった。

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家族会議を開いて思っていることを論じなくても、こういう声の上げ方もある。目的は心地よく暮らすことであって、バチバチにぶつかり、誰かがストレスでイライラしたり、家族関係がギクシャクしたりすることは私も望んでいないから。家族であろうと理不尽には立ち向かう。自分の中の「はて?」を、小さな行動からでも解決していく大切さを知った。

■シオヤキのプロフィール
難病と生きる20代前半女性。

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