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会ったこともない。友達でもない。でも「生活」に愛を注ぐ彼女の存在は、私の日々の栄養

  • 2024.9.15

あっ。新しい動画上がってる。

初めて見るサムネイルの中でにこっと笑う彼女の姿。くりくりした目元はいつ見ても可愛らしくて、花が咲いたような笑顔は癒しをくれる。彼女の「生活」が新たに供給されるたび、私自身の「生活」にもみずみずしさが取り戻されていく、気がする。

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彼女のことを日常的に気にかけるようになったのは、去年の5月頃から。
それ以前から、彼女の存在自体は知っていた。日常を動画で切り取り、いわゆるvlogとしてインターネット上に公開していた。その活動は恋人と共に行っていて、基本的にカメラマンである彼が彼女の姿を映す形だった。切り取られた画面の中には彼女しか映っていなくても、カメラの向こう側には確かに彼がいることが伝わってきて、そんなふたりの間から漂うあたたかな空気感が好きだった。

けれど、ある日彼女が「終わり」と「始まり」を伝える動画をアップした。それが去年の5月の話だ。「終わり」は、彼と別れたこと、そしてふたり名義でのクリエイター活動は終了すること。「始まり」は、新たにひとりでクリエイター活動をリスタートすること。大切なメッセージを伝えるその動画は、アプリを開いた直後、ホーム画面のトップに表示された。きっと、それがすべてのきっかけだった。

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涙ぐみながらも、まっすぐに言葉を届けようとする彼女の姿に息を呑んだことをはっきりと覚えている。哀しくて、どうしようもなくつらいことは想像に難くなかった。けれど彼女は、「これからはこんなことをやりたい」「あんなこともやりたい」と、涙を湛えたまま、目をきらきら輝かせながら未来の話もした。「終わり」は、決して不幸なだけなんかじゃない。そう思わせてくれる強さが、彼女にはあると思った。同時に、「彼女にはこの先、もっともっと幸せになってほしい」とも思った。友達なわけでも会ったことがあるわけでもないのに、手を伸ばせばすぐそこに彼女がいて、「きっと大丈夫だよ」とハグしたくなるような、そんな感覚に陥りそうになった。

以来、彼女の個人アカウントはしっかりチャンネル登録して、新しい動画がアップされればすかさずチェックした。見れば見るほど、私は彼女のことをさらに好きになっていった。

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とびきりキュートな佇まいが大きな魅力ではあるけれど、私は彼女の「生活」に対する向き合い方がとても好きだ。目で見た景色、耳に流れ込んできた音、鼻先をかすめる香り、食べたときの味わい、肌をさらった触感、それらすべてを愛おしんでいることが伝わってくる。今この瞬間、目の前を流れていく1分1秒に惜しみなく愛を注いでいるような、そんな雰囲気を漂わせている。だから私は、彼女の「生活」を動画を通して覗き見るたびに、自分自身の「生活」をも見つめ直せる。私ももっと、何気ない日常を大事にしたい。心地良いと思える生活を、自分の手でつくっていきたい。なんてことを考えていたら、萎れかけていた心もいつの間にかしゃんと立ってくれている。彼女の生活は、あるいは彼女の姿は、私にとって栄養そのものだ。

彼女が暮らす家も「素敵」がそこかしこに綻んでいるような空間で、特に白を基調にした仕事用デスクの雰囲気には心惹かれた。惹かれるあまり、私も自分のデスク周りを白で統一させようと目下計画中だ。元々使っていたイスは真っ黒で、まだまだ使えそうだったけれど思い切って真っ白なイスに新調した。デスクは白、キーボードも白だからここは良し。ダークグレーのマウスも近い将来買い替えたい。でも彼女はマウスじゃなくて白いトラックパッドを使っていた。なら私もトラックパッドにしようかな……要検討。

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過ぎていく日々をいつくしみながら、時には旅にも出かけながら、五感を澄ませて愉しそうに生きる彼女の姿は私の憧れだ。年は私よりもいくつか下だけれど、生き方の良し悪しに年齢なんて関係ない。それに、若ければ若いほど、胸躍る可能性が未来にたくさん眠っているはずだ。だからこそ私は、「大丈夫!」と彼女のことを力強く応援したくなる。

憧れると同時にエールも贈りたくなる、不思議で特別な存在。
いつもたくさん力をもらってます。だからあなたもずっとずっと元気でいてね、しおちゃん。

■こじまりのプロフィール
東京在住のライター。不登校、抑うつ、適応障害の経験あり。HSP気質。話すことは苦手だけど、書くことでなら想いを昇華させられると信じて早20年。ことばがあれば、きっと泳いでいける。

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