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タイムスリップできたら必ず会ってみたい朝鮮王朝「三大伝説美女」!

  • 2024.9.14

数多くの韓国時代劇で描かれてきた朝鮮王朝時代の女性の中で、歴史的にも美女として魅力的な女性は誰だったのか。その候補として挙げたいのが、『哲仁王后~俺がクイーン!?~』でシン・ヘソンが演じた哲仁(チョリン)王后、『赤い袖先』でイ・セヨンが扮したソン・ドギム(成徳任)、『トンイ』でパク・ハソンが演じた仁顕(イニョン)王后である。

もしもタイムスリップできるなら、真っ先に会ってみたい女性たちだ。

●『哲仁王后~俺がクイーン!?~』の哲仁(チョリン)王后

キム・ソヨンという名前だった哲仁王后は、1837年に生まれている。当時の朝鮮王朝で絶対的な権力を握っていた安東(アンドン)・金(キム)氏の一族の出身だ。1851年、美女として有名だった彼女は、哲宗(チョルジョン)と結婚し、王妃に冊封された。性格は口数が少なくて、感情がおだやかだったと言われている。

そういう意味では、徳があって、女官たちを困らせることもなかった。そんな哲仁王后は哲宗との間に息子を出産していたが、残念ながら王子は夭逝してしまった。

なお、哲宗は側室だけでなく宮女にも手を出すことが多く、女性問題でトラブルをたくさん起こしているので、哲仁王后も内心ではかなり戸惑いがあったものと思われる。1863年、哲宗は酒と女に溺れて早死にしてしまった。以後、哲仁王后は質素に暮らし、1878年に41歳で亡くなっている。

『赤い袖先』のソン・ドギム、『トンイ』の仁顕王后、『哲仁王后~俺がクイーン!?~』の哲仁王后
左から『赤い袖先』のソン・ドギム(写真=NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)、『トンイ』の仁顕王后、『哲仁王后~俺がクイーン!?~』の哲仁王后(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

●『赤い袖先』のソン・ドギム

宮女として王宮に奉職していたソン・ドギムは、イ・サンの「承恩(一夜を共にすること)」を二度にわたって拒んだ。そこまで頑固な宮女はおそらく朝鮮王朝の歴史上でもいなかったはずだ。本来、宮女は「国王と結婚した女性」とみなされる。そんな宮女の最大の野望は国王から承恩を受けることだ。

しかし、その承恩を二度も断ったソン・ドギムは意志の強さを持った女性だったのだ。ただし、イ・サンに後継ぎがいなかったことから後にソン・ドギムが王子を産んでいる。しかし、王子は世子になった後に早世してしまい、悲しみで衰弱したソン・ドギムは1786年に亡くなった。

●『トンイ』の仁顕(イニョン)王后

仁顕王后は19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の正妻。「朝鮮王朝実録」の記述を見ても人格的に優れていることがよくわかる。しかも、評判の美女であった。けれど、粛宗は張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛し、仁顕王后は1689年に廃妃されてしまった。実家に戻された後も「自分は罪人ですから」という理由で粗末な生活を続けて、反省すら示していた。

その一方で、側室から王妃に昇格した張禧嬪は贅沢三昧で傲慢な生活に明け暮れた。こうした2人の対応によって仁顕王后は聖女としてあがめられ、張禧嬪は悪女として評判を落とした。1694年に張禧嬪は王妃から側室に降格し、廃妃となっていた仁顕王后が再び王妃に復帰した。1701年、仁顕王后は長く病床についたあとで亡くなった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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