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昔も受験戦争の象徴だった「科挙」!インチキ試験も横行していた

  • 2024.9.13

韓国時代劇の中で、朝鮮王朝を舞台にしたドラマでは「科挙」というものが頻繁に出てくるが、この制度が朝鮮半島で行なわれるようになったのは、8世紀の新羅(シルラ)時代からであり、高麗(コリョ)にもしっかり受け継がれていた。

新羅といえば、現在テレビ東京で放送されているイ・ヨウォンが主演を務める『善徳女王』の舞台となっている国である。

今回、テーマに取り上げた「科挙」とは官僚登用試験のことで、重要性を増したのは朝鮮王朝が建国されてからだ。

たとえ家柄がどんなによくても、科挙に通らなければ官僚として任官されないので、両班(ヤンバン)の師弟たちは、必死になって勉学に励んでいた。

科挙にはいくつかの学科があったが、花形はなんといっても「文科」である。ここが、今で言う超難関学部に相当する。

他には「武科」「雑科」などがあったが、政治の中枢までのぼりつめるのなら「文科」に受からなければならなかった。

科挙は原則的に3年に1回実施された。まずは「初試」と呼ばれた1次試験が各地方で行なわれ、受かった者が2次試験に該当する「覆試」に臨む。問われるのは、中国の古典や儒教(朱子学)の理解度だ。

「覆試」に合格すると、王の御前で「殿試」を受ける。今の就活にたとえれば、希望する会社の最終面接で社長に相対するようなものだ。成績優秀な両班の師弟たちも、王の機嫌を絶対にそこねないように必死だったことだろう。

科挙の試験
朝鮮王朝の科挙制度を再現した行事が今でもしばし行われる。
科挙の八弊とは何か

一応は厳格に行なわれていたように思える科挙も、実は高官の息子が優遇されたり、今でいう裏口入学のようなものが横行したりしたようだ。そんな風潮に憤って、最高学府だった成均館(ソンギュングァン)の高官が、1818年に「科挙の八弊」を告発している。

この場合の「八弊」とは、以下のような不正だ。

・答案用紙をすりかえてしまう

・参考書を試験会場に持ち込む

・カンニングをする

・事前に試験問題を手に入れる

・受験生をすりかえてしまう

・怪しい人物が試験会場にもぐりこむ

・外で書いた答案用紙を提出する

・文を作成するときにおかしな細工をする

この「八弊」を通して科挙に合格して官僚になった人が確実にいたわけであり、そういう人が出世をしたとすれば、政権内部が腐敗していくのも、やはり避けられなかったことだろう。

成均館の高官が科挙の現実に憤ったのも無理はない。

上記の文章を見るだけでもどれだけ「科挙」の試験で不正が多かったかがわかる。そんなことまでして試験の合格したい人が多かったのを見ると、「科挙」の試験がよほど難しかったのではないかと思う。

朝鮮王朝時代に行なわれているイメージの強かった「科挙」の試験が、新羅の時代から行なわれていたのは意外だった。こういった歴史の事実を調べてみるのも面白いものだ。

文=大地 康

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