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娘と2人で暮らす覚悟とは。夏(目黒蓮)の自己犠牲と見守る側の難しさ 『海のはじまり』10話

  • 2024.9.12

目黒蓮演じる月岡夏が、大学時代の恋人・南雲水季(古川琴音)の葬儀の場で、彼女の娘・南雲海(泉谷星奈)に出会う。人はいつどのように父となり、母となるのか。生方美久脚本・村瀬健プロデューサーの『silent』チームが新しく送り出す月9ドラマ『海のはじまり』(フジ系)は、親子や家族の結びつきを通して描かれる愛の物語だ。第10話、海のために生きようとする夏と、“友達”として海に接する百瀬弥生(有村架純)の対比が印象を残した。

現実化し始めた父子2人きりの関係性

夏の恋人だった弥生が、彼と別れ、海の母親にならないとの決断をした第9話。続く第10話では、シングルファーザーとして海と2人で暮らすことを決めた夏の“自己犠牲”ともいえる精神が、色濃く、ときに痛々しく描写される。

9話で、夏は弥生に「3人が無理なら、どちらか選ばなきゃいけないなら、海ちゃんを選ぶ」と言った。そして弥生と離れ、海と“親子”2人での暮らしに焦点を定めた。どちらも良いとこ取り、だなんて器用なことは夏にはできず、だからこそ、責任を果たさねばならない意識が彼を自己犠牲に走らせるのかもしれない。

かつての水季を追うような姿勢で、海と2人っきりの関係性を構築しようとする夏に、ストップをかける人々がいた。

まず、夏の会社の先輩にあたる藤井博斗(中島歩)。親としても先輩である彼は、夏の相談を受け「親がストレスでぼろぼろになったら、子どもに二次災害だよ?」「自覚とか責任とか、そんなんで子ども育たないよ」と、具体性のある的確な言葉で、育児の現実を目の前に示す。

水季の元同僚・津野晴明(池松壮亮)もそうだ。弥生と別れ、海と2人で暮らしていく予定だと、スマホのメッセージで津野に報告した夏。津野からは、端的に現状と未来を確認するような、淡々とした言葉が連続で届く。「1人でどうするんですか?」「このまま南雲さんのお宅でお願いしてもいいと思いますけどね、俺は」と、これまでと変わらない辛辣(しんらつ)さだ。

一方、夏が素直に頼る意思を示したのは、母の月岡ゆき子(西田尚美)だ。彼女は、海を1人で育てようと思っている夏に対し、「1人は無理よ、お母さん知ってる。無理」と、経験者だからこそ言える強さで、ひとり親家庭のつらさに言及した。

しかし、ある意味で、夏の“自己犠牲”をより強固にしたのは、南雲家からの言葉だったかもしれない。水季の母であり、海の祖母である南雲朱音(大竹しのぶ)は、これまでも夏に対して厳しい言動を向ける場面が多かった。今回も、海を引き取ることを決めた夏に「しっかりしてよね、ってこと」「意地悪を言えば、奪うようなものなんだから」と、彼の心を刺した。

仕事も、海との暮らしも、すべてをできるだけ1人で担おうとする夏に、弥生の「誰も悪くないんだから、ちゃんと大丈夫なところに流れ着くよ」といった優しい言葉が、慈愛をともなって響く。しかしこれだって、母になること、家族になることから離れた彼女だからこそ言える、第三者的な発想と言えなくもない。

弥生の見出した新たなポジション

夏と別れた弥生は、これから海とどうやって接していくのか。夏と弥生が離れてしまったことに対し、海は責任を感じてしまわないだろうか。しかし、そんな心配は杞憂(きゆう)であるかのように、海は弥生が母にならないこと、夏と別れてしまったことを自然に受け入れているように見えた。

それはきっと、弥生が海に対して、親でも教師でもない“大人の友達”という、新しいポジションを提示したからかもしれない。

母にならないから、夏と別れたから。そんな理由で、海と弥生が一生会えないことにはならない。弥生はあえて軽やかに「友達ってね、会いたいときに会って、頼りたいときに頼ればいいの」「海ちゃんのママにはなれないけど、友達にはなれる。友達になってくれる?」と言ってみせた。

夏と別れた弥生の選択は、捉えようによっては、子どもである海にとってトラウマになりかねないものだった。弥生が海の母親にならなかったのは、夏と海と弥生の3人でいることが我慢ならなかったからであり、つまるところ、夏と2人でいられない現実に違和感が積もっていたからだろう。

一方、海にとっては、親にも祖父母にも、ましてや同年代の友人にも相談しにくい出来事を、電話でそっとたずねられる“大人の友達”は、稀有(けう)な存在だ。こうして、海はこれからも、世代や性別を問わず“友達”を増やし、世のなかに点在する「わからないこと」を解決する道を、手繰り寄せていけるようになるのかもしれない。

「古い記憶」と「新しい記憶」

水季とともに歩いた学校の廊下、校庭、学校からの帰り道。水季がいつどのタイミングで、ほどけた靴ひもを結び直したか。その場所がはっきりとわかるくらいに、水季との記憶は海のなかに変わらずに在り続けている。

水季との変わらない「古い記憶」が、転校し、夏とともに暮らすようになれば「新しい記憶」に塗り替えられていく――。おそらくそれが、海が頑(かたく)なに転校を拒む理由なのではないか。

ギリギリまで転校を嫌がり、強く反対していた海。しかし、最後には夏の説得を受け、涙を流しながら転校を受け入れた。大人の都合でいろんなことを変えさせられてきた、子どもの海。彼女が夏の希望を汲んだのは、夏が子どもの側に立ち、何事も「決定事項」ではなく「相談」という形で話をしてくれたからだろう。

海が新しい暮らしを受容した理由として、重要なメタファーを感じさせる「名前」が使われていることも印象的だ。「海」と「水季」という名前は、海の「さんずい」が水を意味していることから「ちょっとおそろい」。苗字が月岡に変わっても、名前で母と繋がっていると思えるからこそ、海は変化を前向きに受け入れたのかもしれない。

住む家が変わる。ともに暮らす人が変わる。学校が変わる。苗字が変わる。それは、人生丸ごと取って代わるほどの変革に違いない。それでも海は、柔らかく受けとめ始めた。第10話の終盤に見せた彼女の笑顔は、夏との暮らしが始まり、新しい関係を築いていくことについて、不安や怖さなんて1ミリもないかのような表情だった。

■北村有のプロフィール
ライター。映画、ドラマのレビュー記事を中心に、役者や監督インタビューなども手がける。休日は映画館かお笑いライブ鑑賞に費やす。

■モコのプロフィール
イラストレーター。ドラマ、俳優さんのファンアートを中心に描いています。 ふだんは商業イラストレーターとして雑誌、web媒体等の仕事をしています。

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