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【黒柳徹子】キュリー夫妻は本当の献身をした人たちだなぁと思うのです

  • 2024.9.11
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第28回】物理学者・化学者 マリー・キュリーさん

私は今まで、舞台上で何人もの実在した人物を演じてきました。その中でも、心から「この人のことが大好き!」と思うのがキュリー夫人です。「偉人伝」なんかに真っ先に登場する人物ですし、ノーベル賞を2回も受賞した科学者だということは皆さんもご存知でしょうが、私がキュリー夫人を素敵だなと思うのは、素晴らしく一途な情熱の持ち主だからです。

戦争が終わってしばらくしてのこと。まだ食べ物もロクになくて、東京の街もゴタゴタしていたとき、女学生だった私が初めて観た大人の映画が『キュリー夫人』でした。女性の科学者が二度もノーベル賞をもらうような仕事をしていることが驚きでしたし、夫人が夫を心から愛し、尊敬して、二人して一途に研究に没頭している姿にも心を打たれました。二人が惹かれ合っていく様子なんかはユーモアたっぷりで、「人生は、人との出会いによって変わっていくんだなぁ」「何かに打ち込むって素晴らしいことだなぁ」なんて、いろんな感情が溢れたことをよく覚えています。以来、私はキュリー夫人に興味を持って、さまざまな伝記を読みました。

19世紀後半、現在のポーランドのワルシャワで生まれたマリーが物心つく頃には、祖国は帝政ロシアに併合された状況にありました。帝政ロシアは知識層を監視してその行動に制限をかけていて、祖父も父も科学者で、母は教育者だった一家は地位や財産を奪われ、貧しい生活を強いられ、挙げ句、母と姉を病で失ってしまうのです。当時はまだ、「女性には研究者の才能などない」という偏見が、はびこっていた時代で、マリーがパリのソルボンヌ大学に進学したのは、女性でも科学教育を受講可能な機関がそこくらいしかなかったからでした。

大学で学士号を取得後、当時から天才科学者の誉れ高かったピエールと出会い、恋に落ちます。映画『キュリー夫人』で二人が惹かれ合う様子は、笑ってしまう場面もありながら、まるで魂の共鳴のように描かれていました。心から信じられる人と出会うと、人はこんなにも強くなれるのかと思いました。ピエールに出会わなければ、彼女の人生は、まったく違ったものになったでしょう。

夫妻は、今からは想像もできないような艱難辛苦を経験しながら、それでも自分を信じて、新元素「ラジウム」を発見します。さまざまな有用性が認められたラジウムですが、10年もの長い期間をその精製のために費やしたにもかかわらず、キュリー夫妻は特許を取らなかった。後になって、「なぜ特許を取らなかったのですか?」と聞かれたマリーは、「人生最大の報酬とは、知的活動そのものである」と答えています。私は、「本当の献身は宇宙も助ける」というアメリカの諺がすごく好きなのですが、まさに、キュリー夫妻は世のため人のために献身した人たちだなぁと思うのです。

1992年、私は、『喜劇・キュリー夫人』という舞台で、キュリー夫人を演じることになりました。1964年に創立された青年劇場という劇団が主催する舞台で、原作は、夫人の次女エーヴさんが書いた『キュリー夫人伝』。世界一優れた伝記といわれています。演出を担当なさった飯沢匡先生は初演当時、「アスファルトの一種であるピッチに熱を加えて煮詰め続ける。その作業は10年間、劣悪な条件のもとで行われた。その辛苦を喜劇の目で描いている。それこそが喜劇作家の人間態度と感じた私は、この劇に飛びついた」とコメントを寄せています。確かに、「辛苦を喜劇の目で描く」というのがいかに難しいことか! 先生は、私がキュリー夫人を演じることに対して、「品格があって喜劇の味を出せる人はなかなか見つからない」とも言ってくださいました。

飯沢先生は初演から2年後の1994年にお亡くなりになりましたが、私のキュリー夫人の旅は2006年まで15年間(!)続きました。またある時期から、私は次女のエーヴさんと手紙のやり取りをするようになりました。彼女は、ユニセフ第二代事務局長の奥様だったのです。私が、舞台の写真をお送りしたら、「母は、こんなに綺麗じゃなかったです。でも日本でも母が知られているのは感激です。日本の皆さまによろしく」というお返事をいただきました。

バスに揺られながら地方都市を回る芝居の旅は、決して優雅なものではありません。科学者だけでなく舞台人もまた、情熱がないと続かない職業であると思います。でも、当時スタッフの人たちから「お疲れじゃないですか?」と声をかけられるたびに、「俳優・黒柳徹子が疲れていることはあっても、キュリー夫人が疲れていることはありません。大丈夫です(笑)」と答えていたことも、今はいい思い出です。

マリー・キュリーさん

物理学者・化学者

マリー・キュリーさん(キュリー夫人)

Marie Curie (1867-1934)1867年、物理学教師の父と女学校の校長を務める母のもと、5人きょうだいの末っ子として、ロシア領ワルシャワに生まれる。1891年、物理学と数学を学ぶため渡仏。フランス人物理学者ピエール・キュリーと出会い、結婚。共同で研究を開始。ベクレルが発見した放射線の研究を押し進め、放射性元素ポロニウム、ついでラジウムを発見。新元素ラジウムの単離(分離精製)に成功し、1903年、ベクレルと夫ピエールとともにノーベル物理学賞を受賞。夫を不慮の事故で亡くし、その後任としてパリ大学初の女性教授となる。1911年に単独でノーベル化学賞を受賞。ラジウム研究所所長として後進の指導にもあたる。1934年、長年にわたる放射線被曝のため再生不良性貧血で死去。

─ 今月の審美言 ─

「『本当の献身は宇宙も助ける』というアメリカの諺が好き。まさに、キュリー夫妻は本当の献身をした人たちだなぁと思うのです

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト

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