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結婚わずか3ヶ月で別居した35歳会計士。「妻とはもう無理」と思った理由とは

  • 2024.9.11

東京に点在する、いくつものバー。

そこはお酒を楽しむ場にとどまらず、都会で目まぐるしい日々をすごす人々にとっての、止まり木のような場所だ。

どんなバーにも共通しているのは、そこには人々のドラマがあるということ。

カクテルの数ほどある喜怒哀楽のドラマを、グラスに満たしてお届けします──。

▶前回:23時の恵比寿でナンパされ、バーに行った28歳女。しかし30分後、後悔したワケ

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Vol.11 <ウイスキーいろいろな飲み方> 桂龍一(39)の場合


18時前頃。クライアントの会社で監査業務を終える。

21時頃。虎ノ門の事務所に持ち帰ったいくつかの仕事を切り上げる。

21時半頃。日比谷線に乗り、恵比寿の単身者用マンションに帰宅する。

23時頃。簡単な夕食を取り、風呂に入って、ジャパニーズウイスキーをロックで飲んで、横になる──。

判で押したように変わらない毎日。単調なルーティンをひたすら繰り返すだけが、龍一の日々だ。

いや、この2週間に限って言えば、龍一にはもう一つだけルーティンがある。

それは、会社帰りの日比谷線の中でLINEのトーク画面を開き、送ったメッセージに「既読」の文字がついていないのを確認することだった。

今夜も疲れ切った体を電車の揺れに任せながら、吊り革につかまっていない左手でスマホを操作し、深いため息をつく。

『もう一度、ちゃんと話したい』

2週間前に仁美宛てに送ったメッセージは、未だに既読にならないままだ。きっと最後にバーで会ったあの夜に、問答無用でブロックされてしまったのだろう。

― これが、因果応報…ってやつなのかな。

仁美が返事してくれないことを、自分がどうこうできるとは思わない。

なぜなら龍一自身、妻の沙耶香からのLINEを、もう長いことスルーしている立場なのだから。

緑色の吹き出しが並ぶ仁美とのトークルームに対し、沙耶香とのトークルームは、ほとんどが沙耶香から送られてきた吹き出しで埋め尽くされている。

『龍一さん、見て!美味しそうにグラタンが作れたよ♡』

『ネイル変えたの、かわいいかな?』

『おはよう〜!今日も1日がんばってね』──。

どのメッセージをとっても他愛もない話題であることが、龍一にとっては恐ろしくさえ感じる。

― なんで、こんな…。

がっくりとうなだれたのと同時に、車内アナウンスが恵比寿に到着したことを告げる。

うねるような人波に乗って改札に流されながら龍一は、沙耶香と、そして仁美に、思いを巡らせるのだった。

「離婚しよう」

沙耶香に初めてそう伝えたのは、たしか、今から3年ほど前のことだったはずだ。

当時の龍一は、35歳の若さで独立し、自らの公認会計士事務所を立ち上げたばかり。何もかもが波に乗っていて、気が大きくなっていたのかもしれない。

友人の紹介で出会い、沙耶香の方からの猛烈なアプローチに押されるがまま半年でスピード結婚。

しかしいざ一緒に生活を始めてみると、気の強い沙耶香のことをどうしても愛しいと思えず、わずか3ヶ月ほどで龍一から離婚を切り出すことになった。

「絶っっっ対に嫌!恥かかせないでよ!!」

半狂乱になった沙耶香の拒否を受け、半ば無理やり恵比寿にひとり部屋を借りて別居を始めたちょうどその頃、事件を通じて仁美と出会った。

そして、「助けていただいたお礼に…」と、名刺を頼りに事務所を訪れてくれた仁美を見て、強く感じたのだ。

― ああ、アクの強い沙耶香とは全然違う。そばにいるのが、こんな人だったらよかったのに。

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お礼の流れで2人で食事に行き、会話が弾み、次第に何度も会うようになり…。

― きちんと離婚したら、交際を申し込もう。

そう思っていた矢先に、仁美の方から「付き合ってください」と告白された。

一方の沙耶香には、もう何度も離婚したいという意思を伝えている。

きっと沙耶香とは、すぐに別れられる。だとしたら今、既婚者であることを下手に伝えてしまい、仁美を失いたくない…。

そんな不埒な考えさえ起こさず、全てを正直に仁美に告げていたら──今頃は何かが違っていただろうか?

恵比寿駅から別宅への帰路になる明治通りをトボトボと歩きながら、龍一はまたしても大きなため息をついた。

― このまま部屋に帰っても、また1人で寝るだけか…。

無性に孤独を感じるのは、夜の空気に、ほんの少しだけ秋の気配が混じり始めたからだろうか?それとも今日が龍一の、39歳の誕生日だからだろうか?

誕生日など、この歳になってまで特別気にするようなものではないことは、重々理解している。

けれど、薬指にまだ付けている結婚指輪───そこに埋め込まれた誕生石のサファイアが、否が応でも今日が特別な日であることを龍一に意識させる。

― 本当なら、きっと仁美がお祝いしてくれていたはず。

一度そんな考えが浮かんでしまったら最後、仁美との思い出が染み付いた恵比寿の部屋に、このまま帰る気にはなれなかった。

かと言って、沙耶香の待つ本宅に帰ることも考えられない。

結局龍一は、どっちを向いても辛い現実から逃避するため、帰路の途中で目についたウイスキーバーに負け犬のように逃げ込むのだった。

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「いらっしゃいませ」

沈鬱な表情の龍一を迎え入れたのは、ハキハキとした明るい印象のバーテンダーだ。8席程度のカウンターの向こうには、びっしりと壁一面にウイスキーのボトルが並んでいる。

「へぇ…」

その見事な光景に感銘を受けたものの、龍一の口から蚊の鳴くような声しか出なかったのは、入った瞬間に仁美のことを思い出したからだ。

仁美との始まりも、終わりも、バーだった。

仁美の思い出から逃れたくて直帰を避けたのに、よりによってバーに来てしまうなんて。自分の考えの浅さにはつくづく嫌気が差す。

仁美との関係が破綻したのも、浅はかな考えが原因だ。既婚者であることを告げなかった結果、仁美を傷つけてしまった。

「BMWに乗っていますが、別の家に置いてあって…」

初めてご両親を紹介された時。車好きだという仁美の父に問われるがまま、うっかりそう答えてしまったことで、興信所をつけられる羽目になったのだ。

ご両親の強い反対で別れざるを得なくなったことは、無理もない。

わからないのは、2ヶ月前に「やっぱり、龍一さんが好き」と仁美が突然戻ってきてくれたことだった。

そしてまた、なぜだかわからないまま、痛烈な別れが訪れた。

『奥さん、大事にしてね』──。

仁美の口から最も言われたくなかった、最後の言葉を思い出す。苦痛に思わず頭を抱えたその時、他の客の対応を終えたバーテンダーが、龍一に注文を尋ねた。

「お待たせしました。どうしましょうか?」

「ああ、なにかクセのない、ジャパニーズウイスキーをロックで…」

と、そこまで言いかけた時だった。ふと、らしくない考えが龍一の脳裏をよぎる。

― そんなの、このくだらない毎日と同じじゃないか。

今日は、現実逃避に来たのだ。とことん普段と違うことがしてみたい。

そう考えた龍一は、半ばヤケになって言い捨てた。

「いや…何か、特徴的な味わいのウイスキーをお願いします」

「かしこまりました」

爽やかな笑顔で返事をしたバーテンダーが、少しの間を置いて、龍一にふたつのグラスを差し出す。ひとつは、チェイサー。もうひとつは、ストレートのウイスキーだ。

「お待たせいたしました。ラガヴーリン16年でございます。アイラ系のシングルモルトの中でも、特に特徴的な味わいですよ」

「ありがとう」

くさくさとした気持ちで頭がいっぱいの龍一は、ろくに説明も聞かずに、出されたストレートのウイスキーを勢いよく口に含む。

しかし、次の瞬間。想像以上の個性的な風味に思わず顔を歪めた。

「ぐわ…ぁ…!」

舌に乗った瞬間、煙が立ち込めるように鼻まで抜ける煙の匂い。木が焼けたような焦げた風味。

スパイシーで爆発するような風味に襲われた龍一は、まるで間違えて葉巻をかじってしまったのではないかと味覚を疑う。

「こ…れは…、僕の好みとはちょっと…」

「おや、苦手でしたか?」

そう言って微笑みを浮かべるバーテンダーの顔が、妙に苛立たしい。けれど龍一は、この状況に納得する気持ちもあった。

無難にしていても、うまくいかない。

個性的なものにチャレンジしても、痛い目を見るだけ。

そんな状況がまるで、自分自身そのもののように感じたのだ。

『奥さん、大事にしてね』──。

もともと、事なかれ主義のかたまりのような龍一だ。沙耶香のことは仁美に言われるまでもなく、これまで何度も大切にしようと試みてきた。

結婚してからの3ヶ月間も全力を尽くしたつもりだったし、仁美と一度別れた後も、意外にも、再構築に奮闘したのだ。

「離婚したいのは、沙耶香とうまくいかないと思ったからだけじゃない。離れてる間、すごく好きな人ができたんだ。

その人とはもう終わってしまったけど、他の人に気持ちが向いてしまった以上、結婚生活は続けていられないよ」

仁美と引き裂かれた時。正直に沙耶香にそう伝えたところ、沙耶香は意外にも、龍一に泣いてすがった。

そのいじらしい姿に罪悪感を覚えた龍一は、罪をあがなう意味も込め…もう一度、薬指に結婚指輪をはめて、沙耶香との結婚生活にチャレンジしたのだった。

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けれど、やはり人間には相性というものがある。

再び始まった結婚生活でも龍一は、やはり沙耶香の気性の荒さ、感情の起伏についていくことができず、すぐにまた別居することになってしまった。

目の前の個性的すぎる味わいのウイスキーは、どことなく沙耶香の性格を彷彿とさせる。

― やっぱり、合わないものは合わない…。

目の前のグラスをじっと見つめながら思い詰める龍一だったが、そんな彼にカラッとした声でバーテンダーが声をかける。

「お好みじゃなかったようで、こちらに差し替えますね」

そう言って差し出したのは、美しい琥珀色のハイボールだった。

「え、あ…。なんか、すみません」

バーテンダーの意外な計らいにほんの少しだけ気を緩めた龍一は、ゆっくりとハイボールに口をつける。

そして、ハッとした顔で、バーテンダーに問いかけた。

「これって…」

「はい。先ほどと同じ、ラガヴーリン16年です」

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先ほどストレートで飲んだ時は「煙い」とすら感じたスモーキーな風味。その風味が炭酸と見事に調和し、爽快かつ爽やかな一杯に表情をガラリと変えている。

「すごい、これなら飲める」

驚きの表情を浮かべる龍一に、バーテンダーはさらにグラスを差し出した。

「これはどうです?サービスするんで、トライしてみてください」

脚付のテイスティンググラスで提供されたのは、今度はトワイスアップ──水割りだった。

「こっちは、シェリーっぽいフルーティな甘みを感じる…」

ストレートの時に感じたようなビリビリする強烈なスパイシーさが和らぎ、代わりに、芳醇な香りが際立っていた。

「嘘みたいだ。飲み方が違うだけで、こんなに印象が違うなんて」

龍一がしみじみとした感動を味わっていると、バーテンダーが嬉しそうな顔を浮かべる。

「良かったです、良さを知ってもらえて!たったひと口やふた口だけで『苦手』って言われたら、可哀想ですもん。

魅力っていうのは、引き出す側でも変わってくるってもんですよ」

「引き出す側にも…」

そう龍一がつぶやいた、その時だった。ワイシャツの胸ポケットに入れていたスマホが、ブルっと振動する。

画面を確認すると、送り主は沙耶香だ。一通の画像がLINEで届いている。

おずおずと指先でタップすると、画像が大きく広がった。

『HAPPY BIRTHDAY!』

でかでかとデコレーションされた巨大な手作りバースデーケーキが、薄暗いバーのカウンターで、龍一の顔を照らした。

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どう返事していいかわからないまま、画像を縮小する。

「龍一からの返事があるかないかなどお構いなし」といった具合に、緑色のメッセージが並んだ沙耶香とのトークルームが出現した。

ついさっきまで疎ましく感じていたその光景を目にして、龍一はふと思う。

― 俺って、沙耶香の魅力を、一度でも引き出そうとしてみたことがあったっけ…。

仁美のことが好きだ。今はまだ、何をしようとしても、仁美のことばかりが心に浮かぶ。

だけど、それとはまた違った心の部分で、龍一はほんの少しだけ思うのだった。

― ほんの短い時間一緒に過ごしただけで、「合わない」って結論を出して良かったのかな。

「あとはね、ロックで長い時間をかけて飲んだりするとまた、違った表情を見せ続けてくれて、急に好きになったりするんですよ。それから…」

龍一がスマホをじっと見ていることに気づいているのかいないのか、バーテンダーはまだ、ウイスキーの飲み方についての講釈を垂れ続けている。

今はまだ、LINEにもバーテンダーにも返事の仕方がわからない。

けれど龍一は、ゆっくりと、密かに、次の注文について考えていた。

― 今のグラスをきちんと飲み干すことができたら…。今度はロックに、挑戦してみようか。


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▶1話目はこちら:国立大卒の22歳女。メガバンクに入社早々、打ちのめされたコト

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結婚生活が始まってすぐ、離婚と別居を突きつけられている沙耶香の本音

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