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「ME:Iをヒントにキャラクターを考えた」アイドル好き作家・斜線堂有紀が語る“アイドル”と“恋愛”〈インタビュー〉

  • 2024.9.10

ミステリを中心にさまざまなジャンルで活躍する斜線堂有紀さんが上梓した3冊目となる恋愛小説集『星が人を愛すことなかれ』(集英社)。第1弾『愛じゃないならこれは何』(21年刊行)、第2弾『君の地球が平らになりますように』(22年刊行)に続く本書は、恋愛という名の地獄に堕ちた者たちの地獄めぐりを、前2作と同様に切々とした筆致で抉っている。その痛みときつさこそ、斜線堂さんの紡ぐ“恋愛”の大きな魅力。新刊に込めた思いを中心に、人生を破壊するものとしての“恋愛”について語っていただいた。

――本書には4つの作品が収録されていますが、共通のテーマは“アイドルの恋”です。なぜこの主題を選んだのでしょうか。

斜線堂有紀(以下、斜線堂):『愛じゃないなら~』を発表したとき、地下アイドルが自分のファンに恋する話(「ミニカーだって一生推してろ」)の反響がずば抜けて大きかったんです。アイドル、それも地下アイドルという、あまり一般的ではない題材なので、共感されにくいのではないかと思っていたのですが、そんなことはなかったようで。「主人公の気持ちが分かる」とSNSで感想をつぶやいてくださる方がとても多かったことに驚いたし、勇気づけられました。

――その作品で主人公を務めた赤羽瑠璃が所属するグループは〈東京グレーテル〉。『君の地球が平らに~』には、瑠璃の同期であるやはり地下アイドルの恋愛を綴った「『彼女と握手する』なら無料」という作品があります。

斜線堂:『君の地球が平らに~』でも、その作品の感想が一番多いという結果になりました。ならば3冊目は東グレ関連の話でまとめてみようかな、と。

――東グレは赤羽瑠璃によって解散寸前の状態から大躍進しました。その影響を受け、Vtuberとして復活を遂げた元東グレメンバーの雪里を描いたのが表題作「星が人を愛すことなかれ」です。雪里は配信活動に自分の時間すべてを捧げるようになり、ずっと支えてくれていた恋人との仲が、次第にぎくしゃくしてきます。

斜線堂:雪里と同じく私はけっこうなワーカホリックでして、一日のうちほとんどの時間を仕事に充てています。それ以外に何かをしようとしても「これって仕事の手を休めてまでする意味があるのかな……」なんて考える癖が、小説家になって以来ずっと染みついてしまって。でも、そういう人って他にもいると思うんですよ。それこそアイドルや配信者の方はすごく忙しい生活を送っているでしょうし、そんな方たちはどうやって仕事とそれ以外のこと、それこそ恋愛との折り合いをつけているのだろう……なんてことを考えながら書きました。

――本書の中で最も思い入れの強い作品とのことですが。

斜線堂:これまで自分の書いてきた恋愛小説は、主人公が自分自身のことよりも恋愛の方を優先する――せざるを得ない――内容がほとんどでした。だけど雪里はそうではない道を選ぼうとして、それで悩み傷ついています。恋愛というプライベートよりも配信という仕事の方を優先させる生き方は、ある種恐ろしいように見えるかもしれませんが、案外共感してくれる人も多いのではないかと。いえ、共感してほしいと思っている自分がいます。そんな希望とも祈りともつかない思いを詰め込みました。

――ちなみに斜線堂さんはかねてより「アイドルが好き」と発言されています。

斜線堂:とにかく努力している人間が好きなんです。それでいうならアイドルって努力の塊ですよね。アイドルのオーディション番組で、夢を叶えるためひたすら努力する彼女たちを見ていると、心底励まされます。努力する姿をエンタメとして消費しているんだよなあ……とも思いつつ、それでもやっぱり励まされる。そうした、がんばっているアイドルたちが東グレの原型になっているかもしれません。ちなみに雪里のキャラクターを考える際ヒントにしたのは〈ME:I (ミーアイ)〉です。

――アイドルはかわいいから、きらきらしているから好き、なのではなく、努力しているから好き、なのですね。

斜線堂:そうですね。自分の目標といいますか、目指すべきところにある方たちです。

――人気商売という点では小説家とも通ずるところがありますね。

斜線堂:努力が必ずしも報われるわけではない職業という点では、アイドルと小説家はたしかに似ています。努力するのは大前提で、あとはもう時代の流れや、ファンの方がたの応援に最終的な結果がかかっているところも。好きで選んだ道なのですが、小説家って精神的にかなり負担のかかる職業なんです。書くのはもちろん、こうして取材を受けることや人前でお話をすることなど、どれも失敗できない本番勝負の連続。よく同業の友人と「つらい綱渡りを、ずっとさせられているような感じがするね」と語りあっています。でも、自分たちと同じように綱を渡っている人たちを見ると、あの人たちもそうなんだ……と慰められる。

――それがアイドルである、と。

斜線堂:アイドルたちの渡っている綱は、作家よりさらに細いはず。だから共感するし尊敬しているんです。

――雪里や瑠璃の後輩にあたる東グレメンバー・希美が主人公の「枯れ木の花は燃えるか」では、アイドル同士の恋愛を扱っています。希美はメンズ地下アイドルのルイと交際中ですが、彼の浮気写真がSNSで炎上したことで怒りに駆られ、ルイのアイドル生命を潰してやろうと目論みます。しばしばニュース沙汰にもなるメン地下アイドルの不祥事を題材に、地下アイドル界隈の空気がありありと伝わる作品です。

斜線堂:こんなことを言うのは憚られるかもしれないのですが……私、恋愛をこじらせているSNSアカウントを見るのが大好きでして(苦笑)。私もかつてその一人だったのですが、界隈を下りても、見ることだけはやめていない。復縁界隈とかいろんな界隈があって、中でも地下アイドルのリアコ界隈には非常に興味をそそられます。アイドルと“繋がっている”ことを匂わせている方のアカウントや、実際にファンとの繋がり画像をネットに晒され炎上しているメン地下のSNSを隈なくチェックしては、想像をふくらませています。しくじり、脇の甘さ、繰り返される炎上。それで躓いた人たちはたくさんいるにも拘わらず、なぜ私たちは同じ過ちを繰り返すんだろう……と。それはきっと人間だから。

――個人的には4編中で最も“恋愛小説”だなあと感じました。ルイは不実な男ではありますが、不実なりに希美のことを想っています。

斜線堂:ルイからすれば「自分なりにお前のこと大切にしてるじゃん」なんですよね。言い換えれば、それが彼の愛の限界でもある。炎上とは他者の向きあい方の違いから起こるものだと思います。炎上する側は、自分としては不実なことはしていないから炎上するわけがないと思い込んでいる。それで結果的に晒される事態を招いてしまうのではないでしょうか。

――相手に対する向きあい方の真剣さにズレがあるから、炎上が起こる。

斜線堂:あらゆる炎上の根本的なところは、そこにあると思う。繋がり界隈を扱った小説としては、現時点で最も解像度が高いのではないかと自負しています(笑)。

――「ミニカーを捨てよ、春を呪え」は本書で唯一、非アイドルの女性が主人公です。彼女、冬美は自分の恋人・渓介が東グレの赤羽瑠璃を推していることに強い不満を抱いています。実は渓介は『愛じゃないならこれは何』収録の「ミニカーだって一生推してろ」で、瑠璃から烈しく恋されていたファンの男性。いわば本作は、瑠璃目線で展開されていた「ミニカーだって~」を、瑠璃のライバル(?)である冬美視点から見つめ返したものともいえます。

斜線堂:ここで書きたかったのは「恋人がアイドルを推しているのを許せるか否か」問題です。アイドルSNS界隈では「許せない派」が多数なのですが、それを非難する声もけっこうあるんです。「それとこれとは別でしょう」とか「心が狭いですよ」とか。むしろ、そちらの方が多いかもしれない。だからこそ、そちら側の気持ちに寄り添った小説があってもいいよなあ、と思って書きました。私はどちらにも共感出来るので。

斜線堂:あと、渓介が“推し活”という生き甲斐に近い趣味を持っているのに対し、冬美がわりあい無趣味な人間であることも関係してくるかと。恋人が自分じゃない別のものに夢中な時って、ドス黒いものが渦巻いていくんですよね。冬美の持っているそのドス黒い澱みの底には、自分には同じだけ夢中になれるものがないということへの焦燥に繋がっているような気がするんです。

――だから渓介の気持ちが、冬美にはますます理解できない。

斜線堂:恋人の打ち込む対象がアイドルって……どうしても自分と比べてしまいますよね。自分はあんなに「特別」じゃないから、という具合に自己肯定感も下がりかねない。

――SNSのつぶやきをとおして瑠璃が見ている渓介と、実生活を共にしている冬美の目に映る渓介は、当然ながらまるで違います。

斜線堂:渓介は、めるすけ(*SNSでの名前)としての表の面、いいところしか瑠璃には見せていませんからね。作者としては読者の方に、冬美に共感してほしいと願ったのですが、瑠璃がかわいそうとの感想の方が多かったんです。でも結局「めるすけと付き合っているのはあなた(冬美)だから幸せでしょう」という声が優勢で。たしかに客観的に見たら、冬美はけっこう幸せな人ではあります。だけど彼女の理想とする愛は、もっときらきらしているものであって、渓介との愛はそこに全然届いていない。だから、こんなはずじゃなかったという思いが消えない。

――斜線堂さんの書く人間はだいたい苦しんでいますね。

斜線堂:葛藤の無い人間を描写すると悪人になってしまいがちなんですよ(笑)。本書でいうとルイくんですね。彼は苦しんでいない。葛藤もない。何かに執着するから苦しみが生まれるわけで、執着の最たるものが恋愛なのですよね。恋愛に執着するとこういう目に遭うよ、ということを訴えたくて私は恋愛小説を書いているのかもしれません。

――締めくくりとなる「星の一生」には、いよいよ赤羽瑠璃が再登場します。トップアイドルに昇りつめた今もなお、めるすけへの執着の炎を燃やす瑠璃。彼のSNSを監視し続けるなか、とうとう最悪の事態を――めるすけが恋人と結婚することを知ってしまいます。

斜線堂:瑠璃は瑠璃で、たとえめるすけから一生推され続けるとしても、そんなに幸せではないかもしれない……という引っかかりがずっとあったんです。それで彼女の恋の決着をちゃんと書くことにしました。ここで瑠璃は終盤、ある決断をするのですが、そこに至るまで彼女はずっと人間でした。感情や執着心に苦しみながらも、めるすけからの応援に応えたい一心でがんばってこられた。それがここにきて、自分が星として今後も輝き続けるためには、心が邪魔であることに気がついてしまう。

――人として留まるか、星として、さらなる高みを目指すかの選択に瑠璃は迫られます。

斜線堂:瑠璃がどちらを選ぶのかは結末に関わることなのでふれるわけにはいきませんが、自分なりの愛し方で、めるすけの人生にずっと食い込もうと改めて決意しています。すごく瑠璃らしいと思うし、彼女のそういう生き方を私は肯定します。ただ、読者の方がどう感じてくださるかは分からないですね。いろんなご感想を聞きたいです。

――恋愛小説三部作ともいえるこの3冊をとおして、斜線堂さん独自の恋愛観を感じました。

斜線堂:今まできちんと俎上に載せられてこなかった類の恋愛に関する困りごとや問題を、かたちにしておきたかったんです。こういうことに傷ついている人たちを、ちゃんと掬いあげたいな、と。SNSや推し活全盛の令和という時代なればこその恋愛を書き残しておきたい気持ちもありました。

――斜線堂さんはシネフィルとしても知られていますが、これはいい恋愛映画だ、というものを1本挙げていただけますか?

斜線堂:なんだろう……(熟考)。ここ数年の恋愛映画ってハッピーエンドよりも別れるエンドが多いですよね。恋愛そのものがどんな結果に終わるとしても、楽しかった瞬間は素晴らしい思い出として互いの心に残っている……という落としどころの作品が増えてきているような。これだけ生きてきて気づいたことは、所詮恋愛は人生における横道の一つでしかない。その横道は夾雑物になったり、ノイズになったりすることもある。でも、それで得られるエンターテインメントだって確かにあって、瑠璃だってめるすけのつぶやきを読むことが、全ての活力になっていた日々もあった。その後の人生においてもけっして忘れられない一瞬の幸福を味わうために、私たちは――たとえ地獄が待っているとしても――この獣道に分け入っていくのだと思います。

“一瞬の幸福は永遠に残る”恋愛映画の一本、「ルビー・スパークス」を推します。

取材・文=皆川ちか

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