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「クマが弟を殺してしまって…」テープに残された事件の証言 100年前の記憶が今に語りかけること/石狩沼田幌新事件

  • 2024.9.9

ことしはクマが指定管理鳥獣に追加されるなど、クマとの共存が全国的な課題となっています。
北海道は、長年、その課題と向き合ってきました。

1923年8月、夏祭りから帰る一団をクマが襲いました。
8人の死傷者のうち半数は、HBC通信員の先祖でした。

HBCでは100年の節目となる去年、この事件について特集でお伝えしました。ことしその内容が、HBCを含むJNN28局で作るサイト/アプリ「TBS NEWS DIG Powered by JNN」でマンガ化されました。
この機に、事件について改めてお伝えします。

近づくクマと人の距離…100年前の事件

Sitakke
左の腕章を下げているのがHBC岩見沢通信員・村田峰史

私はHBC報道部の岩見沢通信員・村田峰史です。
ここ数年、「クマの出没」の取材が増えているのを実感します。

そんな私の先祖は、100年前、クマに命を奪われました。石狩沼田幌新事件(いしかりぬまたほろしんじけん)。
1923年8月、祭りの帰り道の一団がクマに襲われました。

まず村田家の近くに住んでいた林健三郎さんがクマに襲われ、重傷を負います。

次に当時13歳だった村田家の8男・幸次郎が襲われ、一撃で死亡。

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続いて母・村田うめ、7男の與四郎(よしろう)が襲われました。

初めての慰霊祭

私はうめの玄孫に当たります。

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事件からちょうど100年の去年8月21日、村田家は初めての慰霊祭を開きました。

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北見や上富良野町などから集まった、17人の親族。

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事件のその後を生きた先祖たちが、つないできた命です。

村田孝(たかし)、84歳。

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彼の父親・村田與四郎(よしろう)は、町に残された資料には、「死亡した」と書かれています。

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しかし、実は生きていたのです。

「宝物」…父の肉声

孝は、父・與四郎について、「温厚な人で、一生懸命仕事をやってくれてました」と振り返ります。

口数の少ない與四郎が、酒を飲むと話し出すのが、事件のことでした。

50年ほど前の、與四郎の肉声があります。

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孝は、「宝物として保存しているわけなんですけど、後にも先にもこれだけなんですよ録音してるのは」とカセットテープを持ってきてくれました。

そこにはクマに襲われたときの生々しい証言が残されていました。

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***以下テープの音声から抜粋***

クマが弟を殺してしまって、すぐ今度は母の後ろから襲ったというわけ。

マッチを出してマッチをすった。そしたらクマの顔が見えた。その瞬間にガッと私に襲いかかってきた。

(近くの民家に逃げ込んだが)父親が先に戻ってきていた。
(追ってきた)クマと出くわしてクマと格闘した。それで父親は11か所の傷を受けた。

お母さんが来たらしいんだ。我々2人(の息子)をやられたから、探したらしい。見つからないもんだから。
そこでクマがお母さんと出くわして、お母さんを連れて山に行った。

「怖い」とか「痛い」とか(聞こえた)。
(クマが母を)引きずってるんだ。

聞こえるんだ、(母の)声が。

山の中腹まで行って、今度食いだした。ガリガリという音が聞こえた。

そのときまだお母さんの声が聞こえた。声が聞こえなくなった。

(自分は)出ない声をしぼって、口から吸った息が(裂けた)横の腹から出るから、ぐうぐうてね、苦しい一方さ。

***テープの音声ここまで***

與四郎の母・うめは死亡。父は重傷を負いました。

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與四郎の傷も深く、地元の医師は助からないと判断。
「死亡した」と記録されています。

しかし実は札幌の病院に運ばれ、奇跡的に一命を取り留めていたのです。

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当時の樺太に渡り、洋服店を営んでいました。

子どもは6人。終戦直前に北海道に引き揚げます。

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孝は、「(父の)傷はしょっちゅう見ているがじゅくじゅく。背中の一番高いところが膿んで直って化膿して直っては化膿して何十年過ごした」と話していました。

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與四郎は1986年、80歳まで、その生涯を全うしました。

「死亡した」と書かれた町の資料も、これを機に書きかえるということです。

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先祖を襲ったクマは、その後駆除されましたが、ハンター2人も死亡、1人が重傷を負っています。
あわせて4人が死亡、4人が重傷を負ったことになります。

「憎たらしいクマだけど…」

クマの毛皮が、沼田町の資料館に残されています。
慰霊祭の後、村田家で訪れました。

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体長2メートル、体重340キロ。私たちの先祖を襲ったクマです。

「大きいな」と声をもらした孝。
「この先、若い人はどういうふうに見て感じるかもわからんけど、我々にとっては憎たらしいクマだけど、100年たったら貴重品」と話していました。

事件現場の近くにも、孝と一緒に訪れました。

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ここ沼田町で、100年前に起きた事件を、忘れないように。

北見から来た40代の親族は、「(事件と)遠いようで近いなって。だから僕たちがやっぱり話をしっかり残していけたらなとは思います」と話していました。

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現場近くには、「クマ出没注意」の看板が出ていました。

道内各地で、クマと人の距離は、今も続く課題です。

楽しい祭りの夜を、これからも

Sitakke

沼田町の夏の風物詩・夜高あんどん祭り。

祭りの夜は、楽しいものであってほしい。

100年前の事件を繰り返さないために。
今を生きる私たちに、教訓を引き継ぐ責任が残されています。

Sitakke

コミックDIG 調査報道インサイドストーリー

HBC通信員として、ことしも何度かヒグマ関連の取材をする機会があり、心配しています。
石狩沼田幌新事件が「TBS NEWS DIG Powered by JNN」でマンガ化されたことで、より当時の状況がわかりやすくなりました。少しでも多くの皆さまに、この事件を知っていただければ幸いです。

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前編:「マッチを擦ったらクマの顔が見えた」8人死傷のヒグマ事件 100年目の新事実【コミックDIG #6】

後編:「クマがおっかさんを連れて山に…」被害者が遺した肉声 石狩沼田幌新事件【コミックDIG #7】

連載「クマさん、ここまでよ」
暮らしを守る知恵のほか、かわいいクマグッズなど番外編も。連携するまとめサイト「クマここ」では、「クマに出会ったら?」「出会わないためには?」など、専門家監修の基本の知恵や、道内のクマのニュースなどをお伝えしています。

取材:HBC報道部・岩見沢通信員・村田峰史
文・編集:Sitakke編集部IKU

※掲載の写真は2023年取材時のもの。内容はHBC『今日ドキッ!』で2023年8月に放送した特集に基づき、一部追記しています

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