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『置かれた場所で咲きなさい』シスター渡辺和子さんが本当に伝えたかったこと

  • 2024.9.9

平成のミリオンセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者でシスターの、故・渡辺和子さん(享年89)。その原点には、二・二六事件で父を目の前で亡くし、うつ病や膠原病を患うなど数々の困難な経験がありました。

二・二六事件、目の前で父を殺されて

父・錠太郎さんは、遅くに生まれた渡辺和子さんを「この娘とは長く一緒にいられないから」と、兄弟がひがむほどにかわいがっていたそうです
父・錠太郎さんは、遅くに生まれた渡辺和子さんを「この娘とは長く一緒にいられないから」と、兄弟がひがむほどにかわいがっていたそうです

クーデターのあったあの朝、私は両親の間に入って川の字で寝ていました。母は兵隊を抑えるために部屋から出ていき、父はとっさの判断で私を壁に立てかけてあった座卓の陰に隠したのです。父は、私の目の前1mのところで三十余名の敵に囲まれて銃撃を受けて亡くなりました。

父を殺した相手を好きになることはできなくとも、許すことはできます。「許す」ということは、相手の支配下から逃れること。自分が自由になるために大切なことです。

いつまでも許せずにいると、「今あの人は何しているのだろう」と結局その相手が私の心を支配し続けるわけです。一度相手に対して悔しい思いを抱いているうえに、自分の貴重な時間を相手に支配されるなんて、もっと悔しいことだと思いませんか。

「断捨離」という言葉がはやっているそうですが、人間関係においても同じ。「断つ」「捨てる」「離れる」をしないと相手のことでがんじがらめになってしまいますから。

50歳から2年間患ったうつ病も大変つらかったのを覚えています。学生にも驚かれるのですが、信仰があってもうつ病にはなるようです(笑)。

でも、この病気を体験したことで、私は今まで気付けなかった他人の優しさに気付き、自分の傲慢さをあらためて見直すことができました。

「なぜ」でなく「何のために」うつ病になったのか

「こんなはずでは」という出来事は、長く生きれば生きるほど多く経験して、時には私も神様に愚痴を申し上げることもあります。そういう部分で、割に私は人間くさいところがあるんですよ。

私が心にとめているのは、岡山県で牧師をされていた河野進先生の「天の父さま」という詩。「どんな不幸を吸っても/はく息は感謝でありますように/すべては恵みの呼吸ですから」。思いどおりにいかないとき、河野先生は「神様はその人の力に余る試練を与えない」ということを諭してくださいました。

渡辺さんが心の支えにしていた詩や言葉が収められた2冊。相田みつを著『しあわせはいつも』(文化出版局刊)と河野進著『ぞうきん』(幻冬舎刊)。
渡辺さんが心の支えにしていた詩や言葉が収められた2冊。相田みつを著『しあわせはいつも』(文化出版局刊)と河野進著『ぞうきん』(幻冬舎刊)。

私は「なぜ」ではなく「何のために」と言い換えることを心掛けています。「なぜ私はうつ病になったか」と考えると、過ぎたことを振り返るばかりです。でも「何のためになったか」と捉えれば、自分に起きたことにどんな意味があり、これからどう生きていけばいいのかと、前を向くことができますでしょう。

詩人で書家の相田みつをさんは、「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」という作品を残されました。私たちは自分の心持ち次第で、いくらでも幸せを感じることができるものなのです。


渡辺和子(わたなべ・かずこ)
1927(昭和2)年、北海道生まれ。聖心女子大学を経て、上智大学大学院修了。63年、36歳の若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任。のち、ノートルダム清心学園理事長。数々の著書があり、中でも2012年に上梓した『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎刊)が200万部のベストセラーに。2016年12月30日、89歳で死去。


取材・文=小林美香(編集部)撮影=篠塚ようこ

※この記事は、雑誌「ハルメク」2014年3月号を再掲載しています。

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