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霜降り・粗品の「毒舌」が好きならこの小説を読め!夏目漱石『坊っちゃん』は最強の毒舌小説/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑬

  • 2024.9.9

コンプライアンス全盛の現代において、一番勢いのある芸人は粗品(霜降り明星)である。 ……と言い切るのにはやや問題があるかもしれないが、いつの世も「毒舌」と呼ばれる芸人が天下を獲ってきたのは事実である。 立川談志、ビートたけし、ダウンタウン、有吉弘行。 なぜ人は舌鋒鋭い芸人に魅了されてしまうのだろうか?

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。ダ・ヴィンチWeb

日本で生まれ育ってこの書き出しを知らない人は居ないだろう。 「坊っちゃん」は日本を代表する文豪・夏目漱石の代表作であり、現代日本文学において最重要の作品である。 この小説の美点は幾つもあるが、そのうちの一つは「リズムの良さ」である。読んでいて実に小気味が良い。同じ時期に書かれた森鷗外の「舞姫」と比べてみてもその差は歴然で(もちろん「舞姫」も名作です)、それもそのはず、まだ文語体で書かれた作品も多い中でこの小説は口語体で書かれている。 しかも漱石はこの「口語体」を操るのが実に上手かった。さらに漱石は正岡子規と同窓で仲が良く、俳句や漢詩に造形が深く、落語も好きだった。 そんな漱石が書く小説だから、現代人にも読みやすく、記憶にも残る作品が生まれたのだろう。 さて、その「坊っちゃん」のあらすじをざっと紹介しよう。 東京で生まれ育った「坊っちゃん」は両親を失った後、兄や下女の清と別れ、数学教師として四国の中学校に赴任することになる。 赴任先の学校で同僚の「山嵐」や「うらなり」と出会う。 教頭の「赤シャツ」は口調は穏やかだが腹黒い奴で、うらなり君の彼女である「マドンナ」を自分の彼女にしてしまう。 この「赤シャツ」や舎弟のような「野だいこ」は悪い奴らで、「坊っちゃん」はいわゆる体制側のこの二人と対決をする。 結果「山嵐」が「赤シャツ」をボコボコにして四国を去り、唯一の味方である清のもとに戻り、二人で穏やかに暮らす、というお話である。 話の筋的には勧善懲悪でいかにも日本的で通俗的なお話である。 この作品は、「大人になる」とはどういうことか、日本特有の「社会」と「個人」の関係とは何なのか、など多くの教義や問題が孕んでいる小説である。 だが、僕はこの小説を「毒舌小説」として楽しんだ。 一人称で書かれているので、逐一「坊っちゃん」の心情が差し込まれてくるのだが、これが一貫して差別的なのである。 ところがそこは漱石なので、その差別的な表現もどこか笑えるものになっている。

野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しい様に見せてるんだろう。ダ・ヴィンチWeb

どんだけ言うねん! と言いたくなるほど辛辣である。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とよく言うが、声まで嫌いなようだ。 さらに四国(実は松山と明記されている箇所はない)を田舎だと馬鹿にし、「東京」と看板に書いてある蕎麦屋に入ったときには「東京と断わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法きたない」と断罪する。 綺麗にしてないのは悪いかもしらんけど、「金がない」はただの悪口やん! こんなのはゴロゴロあって、例えば四国の中学校の教師は全員あだ名で呼ばれているのだが(あくまで「坊っちゃん」の心の中で)そのあだ名をつける件もなかなか酷かったりする。 「この男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があったものだ」 いや、病気て! 好きで着てんねやからええやん! 「蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬だと思う。この英語教師もうらなりばかり食ってるに違ない。尤もうらなりとは何の事か今以って知らない」 いや、知らんのかい! とにかくこんな表現は枚挙に暇がない。 そんな「毒舌」の中で僕が一番好きなのは、ある日蕎麦屋で天麩羅そばを四杯食べたら生徒たちに「天麩羅先生」と黒板に書かれる事件が起こり、その後、赤シャツに「教師はなるべく飲食店などに出入しない事にしたい。あまり上等でない、たとえば蕎麦屋だの、団子屋だの」と言われた時に返す刀で言い放ったこの啖呵である。

だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖へ行って肥料を釣ったり、ゴルキが露西亜の文学者だったり、馴染みの芸者が松の木の下に立ったり、古池へ蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑み込むのも精神的娯楽だ。そんな下らない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯でもするがいい。ダ・ヴィンチWeb

毒舌とは無闇に人を罵ることではない。誰もが頭の片隅でぼんやり思っていることを的確かつ端的に言及して共感の笑いを生むものである。 夏目漱石は慧眼であり、それを言語化する能力に長けていた人物である。 それがゆえにこの毒舌小説「坊っちゃん」は今もなお日本国民に愛されているのだと思う。

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