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赤からを食べた日/持っている人①

  • 2024.9.9

僕はごく稀に役者の仕事をする。役者と名乗るのも恥ずかしいくらい演技にはコンプレックスがある。

まず、リハーサルがちゃんとできない。本番前に同じ演技を同じ熱量でやるということが恥ずかしくてできない。監督はもちろん、カメラさんや照明さん、音声さんなどの技術スタッフの人にとっても、リハーサルを本番に近い演技でやる必要があることはわかっている。もちろん自分自身にも共演者にとっても必要なことだ。でもいざやろうとすると、今までどこに潜んでいたかわからない量の"照れ"が身体中を駆けずり回る。「本番でちゃんとやるんで…」。全身のくすぐったい感覚が一致団結した時に出る僕の言葉は決まってこれだった。

音楽のライブリハーサルにはお客さんはいない。だが本番になるとたくさんのオーディエンスを前に演奏する。リハーサルは抜いて本番は本気でやる。

ミュージシャンの職業病ともいえる本番至上主義が染み付いてしまっていた。それが理由で数々の役者現場に迷惑をかけた。

もう演技は向いてないからやめようと思っていた矢先、映画の主演のオファーが届いた。「え?僕に?」何度も悩んだが、監督からの手紙に書かれた熱い気持ちに答えたくなって引き受けた。「ゼロの音」という作品で、将来有望なチェリストがジストニアという病気で夢を絶たれ、市役所で働き始めるという話なのだが、僕も声帯ジストニアを患ったことがあった。それを監督が知っていたわけではないと思うが、その時に僕は少し運命を感じた。

長い拘束時間や体力、精神面への負担から所属事務所であるワーナーのスタッフには止められたが、この機会に演技というものに向き合ってみようと思い、出演を決めた。

それからは今までぼーっと見ていた映画を演技の観点から見るようにしてみたり、鏡の前で喜怒哀楽の表情を作ってみたりした。しかし演技の前に待っていたのは途方もないチェロの練習だった。バッハの中でも難曲といわれる無伴奏チェロ組曲第6番(サラバンド)の演奏尺は1分もあった。他にも数曲覚えなくてはいけなかったし、奏法もギターとは何から何まで違っていた。先生によるチェロの演奏動画を見ながら、僕は人生の中でトップ3に入るくらいの絶望を感じていた。プロのチェリスト役であることはわかっていたが、手元が映るのなんて一瞬だろうとたかを括っていたのだ。

撮影の2ヶ月前からチェロの練習がスタートした。バンドのスケジュールの合間に先生のレッスンを受け、夜は毎日家でチェロを弾いた。ギターを弾く時間は減り、多分ギターが下手になった。ピックよりも弓を持つ時間の方が長くなった。台本のセリフに向き合う余裕などなく、ひたすらチェロを後ろから抱きしめる毎日。YouTubeの再生履歴はチェロの動画ばかりになり、この時期に好きになったチェリストもたくさんいた。

思い返すと豊かな時間だった。クラシックには心を落ち着ける何かが確実にあった。子供の頃、クラシック好きな母親が家で毎日流していた時は地味だなと思っていただけだったが、自分でその旋律を奏でるとその美しさにうっとりする。倍音の美しさの中にある独特な空気感が心臓に触れそうで触れない距離に常にいてくれる。包み込まれた心はゆったりとした呼吸に合わせて振動し、その心の動きに合わせて脳が心地良く波を作って吐き出す。その波がチェロの倍音に混ざって聴こえてくるような感覚のループは、ひたすらに美しかった。自分の魂が、弾いた音に乗ってくるような体験は、電気を通さない楽器ならではだと思ったし、チェロの響きを常に身体で直接感じることができて、もはやチェロは身体の一部になっていた。

練習期間中、体力的にはかなり追い詰められていたのに、精神的には割と良い方に充実していたのはクラシックのこの美しさ、豊かさ、チェロの背中から感じる温かさのおかげだったと思う。

あっという間に2ヶ月は過ぎ、撮影初日を迎えた。初日から一番長いバッハの第6番演奏シーンだった。最初は上手く弾けていたのに、演奏の途中でジストニアによって上手く弾けなくなり、同じ部分を何度も弾いてしまい、譜面とは違う演奏になるというハードな撮影。上手く弾いたり、感情的に叩くように弾いたりと、かなりの技術が必要とされるシーンで、それに加えて表情も色を付けなければならず、初日にしてクライマックスと言っても過言ではなかった。おまけに観客役のエキストラまでたくさんいた。ただ、演技をするという感覚よりも演奏をするという、いつものミュージシャン的な感覚に近かったからか、さほど緊張せずにテイクを重ねることができた。練習の成果が思ったより出過ぎたくらい上手く弾けていたと思う。この時はチェロを一生弾いていこうと思っていたくらいだ。それくらいチェロの魅力にのめり込んでいた僕は、その後に演技に向き合う日々が来ることをすっかり忘れていた。

次の日から武蔵村山での演技パートの撮影が始まった。毎日だいたい朝6:30に新宿集合してから、スタッフと一緒にバスで現場に向かう。武蔵村山まで1時間以上かかるのだが、慣れない雰囲気を打破するため、共演相手の女優さんに移動中終始爆裂トークを繰り広げていたので到着する頃には疲れていた。彼女もすごく疲れていたと思う。申し訳ない。「移動でこんなに話す役者さんはいない」と笑いながら何度も言われた。爆裂トークのおかげですでに打ち解けていたので、演技にも入りやすいはずだと思っていたが、逆に女優さんの演技スイッチの切り替えに圧倒された僕は、さっきの雰囲気はどこに?などとアホみたいな表情をかましていた。

冒頭に書いたが、僕はリハーサルができない。そう、今までは出来なかった。ただ、撮影が進むごとに照れは減っていき、リハーサルで本番と同じ気持ちで臨むことができるようになってきた。今まで長い役者現場を経験したことがなかった僕にとって、音楽現場に戻ることなく、演技の日々を連続で過ごせたのは感覚の矯正になった。そしてみっちり3日間の撮影を終え、もちろん反省の方が多かったが、気持ちは充実していた。今なら良い演技ができそうだ。

そう思っていた僕だったが、次の撮影までは1日空くことになっていた。ジェニーハイ×yamaのMV撮影が入っていたからだ。そして不運なことに僕は一瞬だけでも音楽現場に戻ったことで、次の映画撮影日にしっかり照れを取り戻してしまう。市役所での撮影が始まり、役者の数もエキストラの数も増え、なによりセリフの量が増えた。圧倒的に演技経験がない僕は役者の皆さんに劣等感を感じてしまい、照れ×劣等感の掛け合わせでリハーサルが体感3割くらいの演技力になっていた。モニターでプレイバックを見るのも恥ずかしかった。

そのままの気分をしばらく引きずっていたが、5日間撮影が続いたので、気付けばまた照れはいなくなっていた。結局どれだけ現場に身を置くか、それに限る。慣れない早朝からの撮影の日々に疲労は溜まっていたが、家に帰ってからチェロを弾くことで精神的に癒されていた。その後もライブが入ったりでまた照れが見事に復活したりしたが、減る速度も速くなっていった。最後の1週間の長野での撮影は、僕にとって一番長い連続役者現場で、演技の面白さも、監督やスタッフと意見を交わしながら一緒に作品を作る楽しみも知った。

演技に対する反省は無限に出てくるが、主演映画を1本作れたことは自分にとってかけがえのないものになった。

ただ、1つどうしても後悔がある。撮影中、顔が浮腫まないように夜は炭水化物を取らないようにしていた。一番浮腫まない食べ物は何だろうと思い、何故か鍋にいきついた僕は高い頻度で赤からの鍋を食べていた。それが何よりも失敗だった。スープに塩分がめちゃくちゃ入っていたのだ。

試写会で初めて作品を見た時、赤からを食べた日のシーンはすぐにわかった。笑っちゃうくらい浮腫んでいた。というか笑った。撮影中はあまりプレイバックを見ていなかったので気付いていなかった。びっくりするくらいパンパンだった。頬と瞼がお互いの圧力で押し合い、それを合図に顔中が喧嘩し合っていた。照れがどうとか、劣等感がどうとかじゃない。そもそもパンパンに浮腫んでいたんだ、僕は。演技と向き合う前にパンパンに向き合わないといけなかった。

僕は浮腫みに敏感になり、どんな撮影も全て終わってから赤からを食べるようになった。デンキバリブラシという美容ブラシをデンキバリブラシ2に新しく買い替えた。暇があれば鎖骨の凹みを指で押すようになった。僕の美容意識は上がり、演技のことは忘れた。レンタルしていたチェロも返却し、YouTubeの再生履歴は美容とゲーム配信とお笑いばかりになった。役者をやった1ヶ月は幻だったのかと思うほど音楽漬けに戻り、年末の今年のベストバイ企画では美容ブラシや美容品を紹介する意識高い系ミュージシャンに変貌した。それに対する"照れ"は驚くほど出なかった。

あっ、でも演技はまたやりたい気持ちはあるので誰か誘ってください。

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