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【岐阜県垂井町】アナザーストーリーを考える「立花宗茂と島津義弘~垂井にいた西軍最強武将~」開催!

  • 2024.9.9

10月20日(日)、垂井町歴史講演会「立花宗茂と島津義弘~垂井にいた西軍最強武将~」を垂井町文化会館で開催する。

講演1「立花宗茂と島津義弘」13:00~14:00、講演2「立花宗茂の生涯」14:00~15:00、対談「もし立花宗茂が関ケ原の本戦に参戦していたら?」15:15~16:00という構成となっている。

関ケ原本戦で存在したかもしれない別のストーリー

「西軍最強武将の立花宗茂がもし関ケ原の本戦に参戦していたら?」これは関ケ原合戦最大のIFストーリーのひとつであり、関ケ原合戦で多数を占める西軍ファンにとって、永遠の夢ともいうべきストーリーだ。

史実の立花宗茂は、西軍から東軍に寝返った京極高次の大津城攻めに参加し、見事大津城を落としたものの、関ケ原の本戦には参加できなかった。

しかしながら、もし大津城が寝返らなければ、大津城が早くに落城していたら、果たして立花宗茂は関ケ原の本戦に参加していたのか。大坂城に戻っていただけではないのか。今回の講演は、この問いにひとつの答えを導きだすものだ。

立花宗茂と島津義弘の関ケ原合戦前後の動向から考察

あまり知られてはいないが、立花宗茂は関ケ原で東西決戦が行われる約3週間前、島津義弘とともに関ケ原と大垣の間にある垂井に滞在していた。

九州の中小大名の多くもその後大垣城に入城しており、立花宗茂がそのまま大垣や関ケ原で戦う可能性は、大いにあったと考えられる。

西軍最強といわれる2人の武将、立花宗茂と島津義弘がともに関ケ原の本戦で戦っていたら、10,000にも匹敵するといわれた立花宗茂の3,000~4,000ともいわれる兵力の参戦効果はもちろんあっただろう。

また、西軍の士気にも大きな影響を与え、戦況を大きく変えていた可能性がある。

立花宗茂の関ケ原参戦は決して夢などではなかった。立花宗茂と島津義弘の関ケ原合戦前後の動向を追いながら、立花宗茂と島津義弘の最強コラボを考える。

戦国島津の代表的な研究者と立花家史料館の館長が登壇

同講演会には、戦国島津の代表的な研究者である桐野作人氏と、立花家伝来の美術工芸品を収蔵する立花家史料館の植野かおり館長を招く。

関ケ原合戦前後における立花宗茂と島津義弘の動向などを話してもらうとともに、もし立花宗茂が関ケ原の本戦に参戦していたらについて考える。

桐野作人氏は1954年鹿児島県生まれ。1979年立命館大学文学部卒業。歴史関係出版社編集長を経て独立、戦国史、特に島津氏の研究や、幕末期を中心に執筆・講演活動を行う。

植野かおり館長は1961年大分県生まれ。1985年九州大学文学部卒業。御花史料館学芸課長、同史料室長を経て、2013年12月より財団法人立花財団立花家史料館館長。専門は近世美術。公益財団法人立花財団常務理事、九州大名家資料研究会主宰。

申込は、垂井町ホームページまたはポスター・チラシ裏面のQRコードから。1回の申し込みで3人まで申し込める。

定員は500人で参加無料、申し込み多数の場合は抽選。申込期間は9月2日(月)~20日(金)で、抽選結果は9月27日(金)以降に応募時のメールアドレスへ通知される。

関ケ原の本戦にまつわる歴史に興味がある人は、「立花宗茂と島津義弘~垂井にいた西軍最強武将~」に参加しよう。

■立花宗茂と島津義弘~垂井にいた西軍最強武将~ 概要 日時:10月20日(日)13:00~16:00(開場12:00) 会場:垂井町文化会館大ホール/岐阜県不破郡垂井町宮代2957-2 垂井町公式サイト「立花宗茂と島津義弘~垂井にいた西軍最強武将~」詳細:https://www.town.tarui.lg.jp/page/10991.html

(佐藤 ひより)

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