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「花束を貰える人=誰かに愛されている人」。日記に綴って気づいたさみしさ

  • 2024.9.9

部屋に飾るための花を買って帰るようになった。
なるべくお手頃な、丈夫で好みの花を一輪買う。
部屋に飾ると気持ちが穏やかになるし、気のせいかもしれないけれど部屋が片付く。ファミリーパックチョコレートを我慢した分のお金で花を買うとなんだか得した気持ちにもなる。

そんな習慣を1年ほど続けると、自ずと花がとても好きになった。
香りはもちろん、八重の花びらや独特の光沢がある見た目、淡い色などとにかく「花」が大好きになった。

◎ ◎

先日親友が入籍の報告と結婚式への招待メッセージをくれた。
大好きな親友からのお知らせがすごく嬉しかった。入籍の日付や結婚式の計画も前々から聞いていて、上手くいったんだなととにかく嬉しかった。

そして、新しく2人で住む家にまで招待してくれたのだ。
私は直ぐに予定を空けて、新婚ほやほやの2人の家にお邪魔した。
まだ引っ越したてでさっぱりとしたリビングの壁に薔薇の花束がドライフラワーになって吊るされていた。

もしかして、と思って聞くとやはりプロポーズの時の花束を飾っていた。
少しはにかみながら、でもすごく嬉しかったその瞬間を振り返る2人。

そして薔薇の本数には意味があるらしく、花屋で注文したら、プロポーズですか?頑張ってください!と大きな声で励まされたというかわいらしい話を聞きながら、幸せそうだなととにかく微笑ましい感情しかなかった。

自分にとって身近になった「花」は、やっぱりとても素敵なパワーがあるのだと思ったのだ。

◎ ◎

訪問した日からしばらく経っても新婚特有のふんわり浮いた雰囲気になんとなく飲まれたままの私は、薔薇もいいなと思い浮かべながら、いつものように部屋に飾るための一輪を見繕いに花屋に寄った。

ピンクや黄色の薔薇を眺めながら、ふと「いつか私も誰かに花束を貰えるのかな」とさみしい気持ちがよぎった。

くだらない、自分で花束を買えばいいと思われるかもしれない。正直自分でも急にセンチメンタルすぎるなあと思う。
でも今思い返してもその時は急にそんな気持ちになったのだ。

今まで自分の部屋を飾るための花を買うことを楽しみにしていたのに、小さな幸せの気持ちが沈んだ。
その感情を自分なりに分析してみようと、親友の幸せに嫉妬したのかなと思い浮かんだがなんだか違う気がする。
じゃあなんだろうとモヤモヤしながら、結局薔薇は選ばずに別の花を買い、部屋に帰ってさみしさの理由をもう一度考えてみた。

◎ ◎

(その時日記に書き出した内容)

・前と違って、結婚に対しての憧れはどんどん薄くなっている。だから結婚できない自分がさみしいとかではない
・プロポーズをしてもらえる人=花束を貰える人=誰かに愛されている人
・花束をもらえるような人じゃない自分は誰かに愛されていない

書き出したものを読み返しても、結論が出ているわけではないけれど、きっと嫉妬とかではなく、自分の孤独さを再認識してしまったのだと思う。孤独と書くと重く感じるが、花を通して受け取る幸せはいくつかあるけれど(お祝いや感謝、称える気持ち、受け取り手を笑顔にしたいなど)自分はまだそれを感じられてない(もしかしたらこの先も感じられないままかもしれない)ことにさみしさを感じたのだ。

すごく欲張りだし、幼稚な感情だなと思う。自分のために花を買う幸せだけに満足できなくて、誰かに愛を表現してもらう幸せが無いことに動揺して。

◎ ◎

たった一輪の「花」を買うという小さな行為にすら気持ちを左右されるなんて、自分の満足できる人生を生きるのはとても難しい。
そんなことに気が付いた最近だ。

■suqudaのプロフィール
お風呂の時間が一番好き。会議中に眠くなったら、靴紐を結びなおす。 帰り道の自動販売機のラインナップが変わってると、ちょっと嬉しい。いつか軽トラックの石焼いもを買いたい。

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