1. トップ
  2. エンタメ
  3. 『きみの色』がもっと尊くなる5つのポイント。あえてストレスを避けた「選択を肯定する物語」である理由

『きみの色』がもっと尊くなる5つのポイント。あえてストレスを避けた「選択を肯定する物語」である理由

  • 2024.9.8
絶賛の声が多く届いている、劇場公開中の『きみの色』は、山田尚子監督の優しい作家性を全力ストレートで投げてきたような、とんでもない内容でした。その魅力、もっと尊くなる5つのポイントを解説しましょう。(※サムネイル画像出典:(C)2024「きみの色」製作委員会)
絶賛の声が多く届いている、劇場公開中の『きみの色』は、山田尚子監督の優しい作家性を全力ストレートで投げてきたような、とんでもない内容でした。その魅力、もっと尊くなる5つのポイントを解説しましょう。(※サムネイル画像出典:(C)2024「きみの色」製作委員会)

アニメ映画『きみの色』が8月30日より劇場公開中です。

全体的に雰囲気も作劇も淡く、ふわふわとした心地良さに満ちていて、楽しくてかわいらしく迫力もある演奏シーンも含め、映画館で「浸る」ように見てこそ、真の魅力を堪能できる作品といえるでしょう。

テレビアニメ『けいおん!』(TBS系列他)や映画『聲の形』で知られる山田尚子監督が培ってきた、「繊細な感情を紡いでいく演出」や「かわいいキャラクターに目いっぱいの愛情を注ぎ込む」といった作家性を、全力ストレートで投げてきているともいえます。

そして、これほどまでに穏やかな空気に包まれているのに、大規模で公開される作品としてはむしろ「挑戦的でとがっている」印象さえも持つ、とんでもない内容だったのです。
ここからは、本作をもっと尊く感じられるであろう、5つのポイントについて解説します。

1:悪い人は出てこない、分かりやすい盛り上げ方もしない、ストレスを避けた内容の意義

『きみの色』の内容は、「3人の若者がバンドを組む青春音楽映画」です。しかし、大げんかをしたり、バンド解散の危機を迎えたりといった、分かりやすい盛り上げ展開は全くありません。それどころか、悪い人は1人も出てこないし、関係がギスギスすることさえもない、どこまでも優しい物語がつむがれています。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

裏を返せば、「物語が平坦で物足りない」「淡々としていて盛り上がりに欠ける」といった否定的な声が届いてもおかしくない(実際に届いている)内容です。大衆向けの作品として、もっと事件を起こす、人間関係に波風を立たせる、といったチューニングをする方向性も、もちろんあり得たでしょうが、「そうしなかった」ことが重要な作品だと振り返ることができます。それは、パンフレットに掲載された山田監督の以下の言葉からも分かるでしょう。

「今回の作品はストレスじゃない部分を大事にしていきたかったんです。生きているとストレスばかりなので、せめて映画の中くらいはこういう環類があっていいんじゃないかという気持ちもありました。裏切らない裏切りみたいなものもいいだろうかという気持ちですね。ちょっとした反骨精神でもあります。(中略)ストレスを除くというのは、ある意味、チャレンジでした。刺激がないと見えるかもしれないけれど、強気にいってみようと。できるなら許せる人でいたいし、許される人でいたい。そういうところも届くといいなと思います。」

もちろん、観客にいい意味でのストレスを与えること、それでこそ強く感情を揺さぶる作品があってもいいでしょう。しかし、山田監督はそれを意図的に、強気どころか反骨精神を持ってまで避けていたのです。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

物語の起伏が少ない分、アニメとしての丁寧な演出と、細やかな描写にハッと気付かされるところがあります。例えば、劇中で映る「2羽、または3羽の鳥たち」は3人の若者それぞれの距離感を示しているかのようです。そちらにもぜひ注目してほしいですし、「3人それぞれが別のアイスクリーム選ぶ」ことさえも、それぞれの個性を示しているかのような描写なのですから。

2:好きなことや、本当にやりたいことは、言ってしまっていい

では、ストレスを徹底的にまで避けた『きみの色』が何を描くかといえば、端的に言って「“好き”な気持ちと、選択を肯定する」尊さであると思います。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

例えば、主人公の「日暮トツ子」は、「人の色が見える」特性を持っていますが、“変な子”と思われないようにと、普段は口は出さないようにしています(つい言ってしまう時もあります)。だけど、その色が見えることは、誰もが抱く「言語化できない人の魅力や内面を感じる」ことなのだと、見ているうちに伝わってくるのです。

古書店でいざ「私たちのバンドに入りませんか」と、思わず“言ってしまった”トツ子が、それを受け入れられることで驚きと喜びで胸がいっぱいになるリアクションを見れば、誰もが笑顔になれるはず。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

物語が伝えてくれるのは、「好きなことや、本当にやりたいことは、うそでごまかさなくてもいい、言ってしまっていい」ということです。それは、祖母に学校を退学したことを隠している「作永きみ」も、母親に医者になることを期待されながらも音楽を愛してやまない「影平ルイ」も同様です。

そして、終盤のライブシーンでは、歌詞はもちろん、作曲へのアプローチにも、キャラクターそれぞれの好き(あるいは悲哀)が表れていることに注目してほしいのです。そこに至るまでに、3人それぞれが「積み重ねること」を振り返ると、何気ないやりとりがさらに尊くも美しく感じられたりもするのです。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

ライブシーンでは、演奏していない間でもノリノリな動きをしているトツ子がめちゃくちゃかわいいのでそちらにも注目を。また、3人の若者を見守る立場で、落ち着いた大人に見える「シスター日吉子」の気持ちがはっきりと表れる様にも、ぜひ期待してみてください。

3:「神聖」な舞台で「変えられるもの」「変えられないもの」も肯定できる

さらに、劇中では、アメリカの神学者の「ニーバーの祈り」が引用されています。

「「変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与え下さい」
「変えることのできるものについては、変えるだけの勇気をお与え下さい」
「変えることのできるものと、できないものとを、区別できる知恵をお与え下さい」」

これらの言葉は、そのまま3人それぞれの選択に当てはまりますし、特に「変えるだけの勇気」は、やはり「好き」という本音を表に出すことにもつながるのだと、物語を振り返って思うことができるでしょう。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

さらに、ミッションスクールという「神」を意識させる、文字通りに「神聖」な舞台は、他の誰かには「不可侵」な大切な価値観につながっているようにも見えますし、それはトツ子がきみの「青い色」を廊下で見た後に、「十字を切る」ことからも分かります。

シスター日吉子が終盤に明かすとある秘密も含めて、「変えられるもの」「変えられないもの」の両方を、あるいは神という存在そのものさえも肯定するようにも思えたのです。

4:ノベライズ版やコミック版で補完もできるけど、映画で描かれないことにも意義がある

ストレスを与えない内容は意図的とはいえ、劇中で「描かれない」ことが多いのも事実で、そのためにモヤモヤを抱えてしまう人もいるでしょう。その「補完」がしたいのであれば、ぜひノベライズ版やコミカライズ版を読んでみることをおすすめします。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

例えば、「きみは学校をやめて当たり前のように古書店で働いているけど、保護者である祖母にバレずに自主退学できるの?」と疑問に思った人は多いでしょう。ノベライズ版では、きみが母親へ短い手紙とともに退学届を送って署名捺印をしてもらっていた、というくだりが記されています。その他、映画では言葉だけでわずかに語られてたきみの兄のこと、劇中では姿を見せない古書店の店主がどういった人なのかも、ノベライズ版に出てくる描写です。

さらに、コミカライズ版では、古書店でトツ子が「私たちのバンドに入りませんか」と言うその瞬間に至るまでの、きみとルイそれぞれの心理が描かれています。トツ子の提案が、2人にとってどれほどうれしかったのかが、よりはっきりと分かるでしょう。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

そもそも、きみが学校をやめた理由は、映画だけでも祖母の期待や聖歌隊に対するプレッシャーがあったことは伝わるものの、具体的にはごくわずかにしか語られていません(こちらもノベライズ版で退学を選択するまでの心情が細かく書かれています)。

でも、それでもいいのだと思います。寮のベッドの中で、トツ子に「(仮病という)うそをつかせちゃった」と罪悪感を口にするきみに対して、「私、今すごく楽しいし、うれしいよ。あとね、きみちゃんが言いたくないことは聞かないよ。でもおばあちゃんには一番に話したほうがいいと思う」と言ってくれたように、主人公のトツ子にとって、あるいは彼女の目線で物語を追う我々観客にとっては、「知らなくてもいいこと」なのですから。

その他でも、劇中のほとんどはトツ子の主観で物語が進んでおり、例外となるのはきみが祖母に、ルイが母親に「隠していたこと」をそれぞれ打ち明けるシーンと、その他のわずかな場面のみです。そのトツ子が、今まで見えなかった「自分の色」をどんな時に見つけることができるのかという点にも、ぜひ注目してください。

5:「歌」と「色」で世界をも肯定する

以下、決定的なネタバレは避けたつもりですが、中盤以降のセリフや終盤の展開に少し触れています。映画を未見の人はご注意ください。

トツ子の「私たちのバンドに入りませんか」といううそから始まった出来事と3人の関係は、その後も非常に尊いものとして描かれます。

本来は罰だったはずの奉仕活動についても、トツ子は(きみとの時間を過ごせたため)「もうすぐ“終わっちゃう”ね」と言っていますし、雪のために離島から帰れなくなったことも「合宿」にしてしまいますし、ルイはその夜に「なんかすごいね、僕たちは“好き”と“秘密”を共有しているんだ」と喜んだりします。うその先にあった、そうした「本音」と、3人の出会いは奇跡だと思えたほどです。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

ライブで披露した『あるく』『反省文~善きもの美しきもの真実なるもの~』『水金地火木土天アーメン』それぞれで、3人は自らの気持ちを歌として肯定し、その感動を誰かに届けることができています。特に『水金地火木土天アーメン』で「きみ(の色)」「ルイ(腺)」という、トツ子目線での2人の名前が歌詞に入っていることに注目するといいでしょう。

最後にはとある大きな声の、「激励」が届けられます。それは心からの気持ちであるとともに、本当の「好き」という「秘密(本音)」は隠したままであること、それもまた尊い選択だと思えることに、涙腺を刺激されました。

また、本作のサウンドトラックにおける楽曲のタイトルは、「244, 233, 227」などといった数字。これは「光の三原色」を示す数値であり、赤、緑、青のそれぞれの色の強さを0〜255の値で示し、全てが0なら真っ黒で、全てが255なら真っ白になります。サウンドラックを聴きながら、映画ではどのシーンで流れていたのかか、はたまた「255, 255, 255」と数字が「全て最大になる(つまり真っ白)になる」のはどんな時なのかを、振り返ってみるといいでしょう。

そして、映画のラストシーン(エンドロールに入る直前)では、トツ子が人に感じている色ではなく、現実を描写したシーンでも、ある色がはっきり映し出されます。そこから感じたのは、「現実もまた色とりどりで、これほどまでに世界が美しく感じられる瞬間はある」という普遍的な事実でした。

(C)2024「きみの色」製作委員会
(C)2024「きみの色」製作委員会

大げさではなく、この『きみの色』を見た後は、歌を聴いている時も、さらには世界にある色を見た時も、誰かと話している時も、それぞれがなんて尊いのだろうと、改めて気付くことができるのです。

アニメとしての作り込みを思えば、きっと何度見ても新しい発見があることでしょう。ぜひ、細かいところにも目を向けつつ、この『きみの色』を最大限に楽しんでほしいです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

元記事で読む
の記事をもっとみる