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河野裕「人類は不完全だけど素晴らしいことも成し遂げてきたんです」新作小説『彗星を追うヴァンパイア』で伝えたいフィクションの役割

  • 2024.9.7

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年10月号からの転載です。

河野裕という作家は、エンターテインメントの王道ジャンルに独自のファンタジー的想像力を導入することで、真新しい物語世界を構築し続けてきた人だ。青春寄宿舎もの、兄弟の絆もの、運命の恋愛もの……。最新長編『彗星を追うヴァンパイア』のモチーフは、古今東西の作家たちが描き継いできたヴァンパイア。ところが、圧倒的にオリジナルだ。

取材・文=吉田大助 写真=臼田尚史

「“人間とヴァンパイアの友情もの”をやりたかったんです。ヴァンパイアが人間のどこを愛するだろうかと考えて、候補を幾つかピックアップしたうちの一つが学問、知識の部分でした。ヴァンパイアの大きな特徴はとても長生きであることだと思うんですが、長いスパンで人間というものを見た時に、一人の知性というよりは集団として知性を積み上げていく姿勢が目立ってくるんじゃないか。他の動物に比べて、“だから人間を愛する”と言いやすいポイントになるのではないかな、と思ったんですよね。そこから、ヴァンパイアと友情を結ぶ人間を、学問の天才にしようと決めました」

物語の舞台には、17世紀イギリスを選んだ。

「現代の最先端の学問は、私には理解し切れる気がしなかったんです(笑)。感覚的にどうにか理解できるのは古典物理学のニュートン力学までかな……と、ニュートン周りを調べ始めたら非常に面白くて。例えば、ニュートンはめちゃめちゃ論理的な人だと思っていたんですが、物理の論文だけでなく、錬金術や神学の論文もたくさん書いているんです。科学的思考とスーパーナチュラルな想像力が共存していたこの時代ならば、ヴァンパイアも自然に受け入れられるかもしれないと思いました」

賢い人を眺める楽しさ 知らないことを知る快感

〈これはあるヴァンパイアに出会った、ひとりの数学者の物語だ〉という一文が印象的な、短いプロローグの後に本編は幕を開ける。1685年6月、天才的な数学者である24歳のオスカー・ウェルズは、戦場にいた。現国王の首を狙う反乱軍の侵攻を食い止めるべく、わずか100名の兵士を率いて決死の戦いに挑み─。このエピソード自体はオリジナルだが、背景は史実に基づく。イングランドの国王が無血クーデターによって入れ替わった名誉革命(1688〜1689年)、別名「無血革命」だ。

「ニュートンが自分の研究を体系的にまとめた『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』を刊行したのは、1687年。ということは、執筆時には水面下でクーデターが進行していたんです。ヴァンパイアものを書こうとしている時代に『血』の付く歴史的事件が起きていたら、話に組み込まざるを得ない(笑)」

数学を用いて大砲の弾道を計算し、絶望的状況に一矢報いようとするオスカーが戦場で出会ったのが、ロンドンで詩学者をしているという紳士アズ・テイルズだ。実は、彼はヴァンパイアだった。そのことを証明する、物理法則では到底説明できない出来事に遭遇し……。戦火を生き抜いたオスカーは、「美しい未知」たるヴァンパイアの研究を始める。

「学者である以上は、目の前に明らかな未知があれば、それを無視することなどできないはず。そうでなければ、知の探求者という看板を守れないじゃないですか」

重要なポイントは、アズの側もまた、自身という存在の謎を解いてほしいと希っているということだ。人類が持つ知への欲求を結晶化させたようなオスカーは、アズにとって最良のパートナーなのだ。お互いがお互いの存在にワクワクし合う、2人の関係が心地いい。

「アズがオスカーのことを好ましく感じている言動は、知の探求者たちに対する私自身の憧憬が元となっています。QuizKnockのYouTubeチャンネルとか、学者さんが難しいことを喋っている動画を見るのが大好きなんです。賢い人を眺める楽しさ、ってあると思うんですよ。それは、自分が知らないことを知る快感、という人間の本能の部分と繋がっていると思うんです」

2人の関係を取り巻く、登場人物たちもみな個性豊かだ。息子を強制的に戦場に送り込んだ義父ロビンソン・ウェルズ、そうした強権の防波堤ともなる弟思いの義姉アリソン・ウェルズ。師であるケンブリッジ大学教授アイザック・ニュートン、大学の雑用係でありながらオスカーと共同論文を執筆する異性の親友リサ・メイジャー。そして、謎をまとった美貌の女優クララ・ターナー。

「2話は家族の話、3話は大学の話……と、舞台となる場所であったりアズやオスカーと関わってくる登場人物を少しずつ変えて、各話ごとに全く違う話を書くよう意識していました。連作短編集的に長編を書くことで、少ないページで大きい物語を語れるんじゃないかと思ったんです。念頭にあったのは、筒井康隆の『旅のラゴス』です。何十年もの時間の流れが、300ページにも満たない長さで表現されている。あの読み心地を目指したかったんです」

この世は生きるに値するんだと伝えたい

その言葉通り、本作は全378ページと長編小説としてはスタンダードなサイズ感でありながら、まるでNetflixのドラマ1シーズンぶんの濃密さを実現している。17世紀イングランドならではの、国内外の政治情勢や固有の価値観、細やかな演出や小道具が効いたコスチューム・プレイ(時代もの)としても充実の仕上がり。とはいえ、ファンタジーの想像力の導入によりリアリティに程よい隙間が生じていて、堅苦しさなく軽やかに読み進めることができる。

「この小説ってあらすじを説明しようとすると、小難しい要素がずらーっと並んでしまうかなと思うんです。ただ、書き上がったものを自分で読み返してみた時に、かなりシンプルで分かりやすい話にまとまったなと感じました」

それは──人間は美しく、尊い存在であるということ。

「十数年前までははっきりと耳に聞こえてこなかったような、人類の不完全さにまつわるさまざまなことが、特にSNSによって可視化されてきたと思うんです。私自身、そういったSNS的価値観と日常的に向き合い、それに対抗する正義や倫理を問うような小説を何作か書いてきたんですが、ちょっと疲れちゃったんですよね。そこから一度距離を取りたくなり、意図して1年ほどSNSの喧騒から離れていたんです。それが良かったんですよ。引いた目線で、広い視野から人間というものを捉えてみることができた。つまり、人類は不完全なところだらけだけれども、びっくりするぐらい素晴らしいこともいっぱい成し遂げてきたよね、と。人間の醜い部分ではなく良い部分に、素直に目を向けることができた」

人間の残酷さや愚かさも、本作は十二分に描写している。そのうえで、それでもなお、作家はこの物語で人間讃歌をうたおうとしたのだ。

「宮﨑駿が“子どもたちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが自分の仕事だ”と言っているんですが、その通りだなと感じます。宮﨑駿がこの世界を肯定しているとは思えないじゃないですか。でも、子どもたちのために、未来のために、この世界は生きるに値すると言うことが自分たちの責任だと捉えている。私も、フィクションですべきことはそこなのかなという気持ちがあります。SNSを覗けば汚い面っていくらでも見える。そうではなくて、この世界の美しいところや人間の尊い部分を、小説を通して提示していけたらなと思っているんです」

河野裕 こうの・ゆたか●徳島県生まれ、兵庫県在住。2009年角川スニーカー文庫より『サクラダリセット CAT, GHOST and REVOLUTION SUNDAY』でデビュー。『昨日星を探した言い訳』で山田風太郎賞候補、『君の名前の横顔』で読者による文学賞受賞。主な著作に大学読書人大賞を受賞した『いなくなれ、群青』からはじまる「階段島」シリーズ、『愛されてんだと自覚しな』がある。

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