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「ことば」が届かなくても、心に響く…。珠玉の映画『ぼくのお日さま』考察&評価レビュー。池松壮亮&若葉竜也の共演作を解説

  • 2024.9.7
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

映画『ぼくのお日さま』が公開中だ。本作は、吃音により言葉が伝えられない少年が、音楽とスケートを通じて他者と心を通わせていく様子を描いている。映画に込められた「お日さま」の意味、作品の見どころを登場人物たちの心情を通して解説する。(文・前田知礼)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価】
※このレビューでは映画の結末部について言及しています。
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【著者プロフィール:前田知礼】
前田知礼(まえだとものり)。1998年広島県生まれ。2021年に日本大学芸術学部放送学科を卒業。制作会社での助監督を経て書いたnote「『古畑任三郎vs霜降り明星』の脚本を全部書く」がきっかけで放送作家に。現在はダウ90000、マリマリマリーの構成スタッフとして活動。ドラマ「僕たちの校内放送」(フジテレビ)、「スチブラハウス」、「シカク」(『新しい怖い』より)」(CS日テレ)の「本日も絶体絶命。」の脚本や、「推しといつまでも」(MBS)の構成を担当。趣味として、Instagramのストーリーズ機能で映画の感想をまとめている。

ぼくのお日さま
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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「ぼくはことばが うまく言えない」そんな歌詞から始まる、ハンバート ハンバートの名曲「ぼくのお日さま」では、吃音をもつ「ぼく」の心情が淡々と歌われる。

言葉がうまく言えない「ぼく」は「歌」が好きで、いつも音楽に救われている。「だいじなことを言おうとすると こ こ こ ことばが の の のどにつまる」文字で見ると吃音の症状の1つである「連発」だが、メロディに乗せれば「ド・ド・ドリフの大爆笑」や「どどどどどどどどど ドラえもん」のようなアレンジにも聞こえる。

音楽に乗せればコンプレックスも歌の一部になる。つまり、「ぼく」にとっての「お日さま」は「音楽」で、「ぼく」は「音楽」によって自分の思いを届けているのだ。

同曲が主題歌で同名タイトルの映画『ぼくのお日さま』は、日々を、人生を照らす「お日さま」にまつわる映画だ。もとの楽曲の「ぼく」と同じように、吃音を持つ小学6年生のタクヤ(越山敬逹)は、雪の積もった冬のある日、猛烈な光を放つ「お日さま」に出会う…。フィギュアスケートの練習をする少女・さくら(中⻄希亜良)だ。

ぼくのお日さま
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

映画の前半、雪の積もった田舎町のアイススケートリンクでメインの登場人物であるタクヤ、さくら、そしてコーチの荒川(池松壮亮)が出会うシーン。ここでの3人の視線の見せ方があまりに素晴らしく印象的だった。

氷上で華麗に舞うさくらに釘付けになるタクヤを、紙コップでコーヒーを飲みながら見つめるコーチの荒川(池松壮亮) をさくらは見る。

タクヤはスケート(或いはさくら)に一目惚れして、荒川はスケートに出会った少年に若き日の自分を重ね合わせ、さくらは自分のコーチが少年に気を取られていることに嫉妬している。それぞれがそれぞれを見ていて誰も視線を合わせていない、この視線の三角関係は後半のある展開にも影響していく。

ともかくそれからのタクヤの日々は、この「お日さま」との出会いによって、太陽系を周回する惑星のようにスケート中心に動き始める。

ハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」の「ぼく」における「歌」が、タクヤにとっての「スケート」になり、タクヤは「言葉」ではなく「スケートに取り組む姿勢や態度」によって、荒川やさくらの心を徐々に動かしていく。そしてやがては、本作の名シーンである「休憩中に、3人横並びになって自販機のカップ麺を啜りながらステップを決める」場面のような「無言の意思疎通」ができるようになっていく。

ぼくのお日さま
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

劇伴を務めるのは、主題歌と同じくハンバート ハンバートの佐藤良成氏。劇中では「ぼくのお日さま」のイントロを彷彿とさせるピアノの旋律が2ヶ所で流れていた。

1つ目は、タクヤと荒川コーチの2人きりでのスケート特訓シーン。営業時間の終了したスケートリンクでスケーティングの基本を一から教わっていく場面で流れる。タクヤの滑りが様になってくる頃、そのスケーティングのように、或いは日が落ちて夜がやってくるように滑らかにBGMは「ぼくのお日さま」からドビュッシーの「月の光」へと移り変わっていく。

2つ目は、ペアダンスの課題曲を紹介されて、タクヤとさくらが本格的に練習を始めるシーン。荒川の指導のもと、タクヤとさくらの息が少しずつ合っていき、2人の表情にも笑顔が見え始める。

ことばがうまく言えないタクヤが、他者と心を重ね合わせたシーンで流れる「ぼくのお日さま」のイントロのメロディ。タクヤとさくらと荒川の3人は、スケートリンクでの出会いのシーンでの視線の三角関係のように、それぞれがぞれぞれにとっての「お日さま」の役割を担っていて、互いの眩しさによってそれぞれを照らしているように感じた。

ぼくのお日さま
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

荒川にとっての「お日さま」は、かつて自分のようにスケートに出会い、目標に向かって努力するタクヤの姿だ。パートナーの五十嵐(若葉竜也)が荒川の私物の入った段ボールを開けているシーンでは、野球グローブが2つ入っていた。恐らく荒川もタクヤと同じように、少年野球をやらされていた。だから、同じ地元で野球にもホッケーにも馴染めず、スケートにやってきたタクヤを応援する気持ちになったのかもしれない。

そして、さくらにとっての「お日さま」は荒川だったのではないだろうか。中学1年のさくらは、コーチである荒川に密かに思いを寄せていた。荒川の気持ちに応えたいから、素人同然の少年とのペアダンスをすることを受け入れたし、その練習にも臨んだ。だからこそ、映画後半で目撃した“ある光景”にショックを受け、その反動であのような態度をとってしまったのではないだろうか。

「お日さま」は足元を照らし、鉛色だった日々を鮮やかにしてくれる。その一方で、隠れたり落ちたりもする。3人がそれぞれを「お日さま視」していて、それぞれを照らし合う関係性だからこそ、この映画はどこまでも眩しく、眩しかったからこそ、雪が溶けたあとのシーンの数々に切なさを感じる。視線の三角関係の均衡が崩れ、彼らの関係性は終わっていく。

春が来て、鳥が囀り、山肌が見え、川がせせらぎ、学ランをきたタクヤは野球バッドらしきものが入ったケースを背負っている。生命が息吹き始める季節の訪れなのに、終盤に映る街の景色はどこか寂しそうに見えた。

雪が降り積もってから溶けるまでの短いひととき、そんな刹那のきらめきや痛みを凝縮したような90分。この映画は「確かにそこにあった季節」を見せてくれる映画だ。

季節といってもそれは春夏秋冬だけではない。恋や練習の日々など、それぞれの「お日さま」に照らされていた時期であり、ベンチに3人横並びで座ってステップを踏みながらカップ麺を啜っていたあの季節は二度と戻らない。その儚さは映画に似たものがある。

エンドロールが終わって映写機からの光が消えて、がらんとした日常が戻ってくる。『ぼくのお日さま』。確かにそこにあった時間として、あまりにも贅沢な一本だった。

(文・前田知礼)

【作品情報】
監督・撮影・脚本・編集:奥 史 山大
主題歌:ハンバート ハンバート「ぼくのお さま」 日
出演:越 敬逹、中希亜良、池松壮亮、若葉也、⻄⻄真歩、潤浩 ほか 山山田
製作:「ぼくのお さま」製作委員会 日
製作幹事:朝 新聞社 日
企画・制作・配給:東京テアトル
共同製作:COMME DES CINÉMAS
制作プロダクション:RIKIプロジェクト
助成:文化庁文化芸術振興費補助 (映画創造活動 援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会
© 2024「ぼくのお さま」製作委員会/日COMME DES CINÉMAS

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