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婚約破棄のち、10年もの遠距離婚活。運命の出会いは新聞記事が連れて来た!

  • 2024.9.6

「このままずっと一人なのかな」と悩むあなたに届けたい、本当にあった大人のマリッジ・ストーリー。35歳以降に結婚した大人婚の先輩たちに、出会ったきっかけや結婚の決め手、妊活・キャリア・親の問題まで根掘り葉掘り聞きました。ここに紡がれた幸せな物語はすべてほんもの。だから全部あなたにも起こりうること――。今回は、婚約破棄の痛みを引きずりながらも幸せな結婚を諦めなかったMさんの大人婚物語。

【今回の大人婚】Mさん 結婚時の年齢:38歳

会社員のMさんは現在39歳。五つ年上の夫・Aさんと出会うまでには10年もの婚活の日々がありました。

カレ親から結婚を猛反対され

仲睦まじい両親のもとで育ったMさん。人一倍、結婚願望が強かったそう。

「父は今も母を〈ちゃん付け〉で呼び、母の周りを子どものようにまとわりついていて、本当に仲良しなんです。母が幼稚園の先生をしていた影響もあって、私は小さい子と遊ぶのも大好き。学生のころから早く結婚して、子どももたくさんほしいと思っていました」

大学4年生のとき、大学の音楽サークルの後輩と初めてお付き合いすることに。お互いの就職で遠距離になったものの、一途なMさんの想いは揺るがず、7年付き合って30歳目前で念願のプロポーズを受けた。ところが……。

「彼のお母さんから大反対にあったんです。私のことが気に入らない、と。それまでお母さんに会ったのは一度だけ。卒業式に来たときに、彼を立てるつもりで『いつも部でも貢献してくれて……』と話したのが、偉そうだったって言うんです」

なんとか二人で説得し、やっと挨拶に行く約束をとりつけた。

「でも私が前日にインフルエンザにかかってしまったんです。それを伝えると、お母さんから『仮病にちがいない。診断書を出せ』って。私はフラフラになりながら、診断書を病院に取りに行って、写メールで送りました。そしたら今度は『こんな大事な時にインフルエンザになるなんて、神さまがあなたたちは合わないって言っているのよ』って手紙が送られてきて……。彼からも『お母さんがずっと泣いている。大事なお母さんを泣かせられない、それだけは言える』と言われて。私だって泣いているのに」

その1年前にも彼に対して疑問に思うところはあった。良性の腫瘍が見つかり、手術を受けたMさん。遠距離なので見舞いは無理にしても、なにか優しい言葉が聞きたくて「明日、手術だよ」と送ったのになんの返信もなく、手術の日を忘れていたことが発覚したのだ。

「将来、家族になるんだったら、もっと心配するよねってやっと目が覚めて。いさぎよく別れました。28歳でした」

大手結婚相談所に入会するも

そこから気持ちを切り替えて、パートナー探しを頑張った。まずは、友達が誘ってくれた婚活パーティ。「でも本当に相手が独身なのか不安で、良いと思っても申し込みできませんでした」。

親が入会金を出してくれたので、大手の結婚相談所にも入った。戸籍を提出するので騙される心配はないものの、今度は、なかなか合う条件の人がいない。

「条件は『転勤族でないこと』でした。父が転勤族で、子どもの頃は転校ばかりだったんです。だけど、当時住んでいた県は転勤族の人ばかりで。そしてもう一つ、できればうちの地元の人と結婚して、Uターンしたいと考えていました。他県にいながら地元の県に住む人とお見合いする、という遠距離婚活はなかなか厳しくて……。結局、会費に見合った出会いが得られず、スタッフからのフォローもあまりなく、1年でやめました」

そのほか、親戚や友達に紹介してもらったり、地元の自治体が無料でやっている結婚相談所を利用したりした。どれも一度会うところまでは行くものの、2回、3回と続けて会う気持ちにはなれなかった。

「どうしても7年付き合っていた元カレと比べてしまって。彼よりいい人を、と思うと今度は条件ばかり気になって、ときめく気持ちになれなかったんですよね。そのうちに社会人音楽サークルの活動に熱中して、婚活は親の手前、仕方なくやっている感じになっていきました」

婚約破棄から10年、出会いは突然に

運命のお見合い写真

気付けば37歳。転勤願が叶い、地元に帰ってきた。そんなとき、母が新聞で地元の自治体の婚活事業を監修しているやり手の結婚相談所の記事を見つけ、「ここ良さそうよ」と勧めてきた。コロナ禍が落ち着いた1年後の12月、ようやく登録すると、送られてきた男性候補者は条件とは違って、少し遠い町でしかも長男だった。でも、その写真に目が留まった。

「優しそうで頼りがいのある笑顔で、ひと目でこの人に会ってみたいと思いました。趣味の欄に『自転車』と書いてあるのもポイントが高かった。というのも、その年の東京オリンピックで自転車競技に魅せられてすっかりファンになっていたんです」

初めて自分から面会の申し込みをした。

「以前、結婚相談所の人に『その人に会う時に、自然とメイクや服を頑張ってみようと思える人が運命の人ですよ』って言われたことがありました。それまで申し込まれた人と会うときは、メイクも服もいつも通りだったのに、その彼に会いに行くときは服も全部新調して、メイクにも時間をかけて、心が浮き立つのを感じたんです」

そしてそのお相手がAさんだった。ホテルのロビーで待ち合わせし、お食事へ。

「話の引き出しが多くて、私が何を話してもその話題を広げてくれました」

すっかり意気投合し、その後の食事デートでも閉店時間まで喋り倒したそう。Aさんも笑顔いっぱいのMさんに強く惹かれた。結婚相談所の〈3回会ったら交際スタート〉というシステムにも後押しされ、二人は結婚を前提としたお付き合いを始めた。1月に出会い、2月に交際開始、そして3月にはプロポーズを受けた。

「じつはAさんも何年も婚活をしていて、途中で入会していた結婚相談所が潰れたりして、苦労したそう。心機一転、新しい相談所に入り直して、写真も腕利きのカメラマンに撮ってもらい、申し込んできたのが私だったんですって」

プロポーズの指輪の箱にはダイヤだけが入っていて、後日、Mさんの好きなデザインで指輪を作ったそう。そのスマートなやり方は、Aさんの結婚相談所所長のアドバイスから。「成婚報告に双方の相談所へ二人で行きましたが、とても喜んでくれました」

鬼門だった先方のご両親への挨拶はどうだったのだろう。

「前回のトラウマがあるから、先にAさんにご両親の意向を聞いてもらったんです。そしたらとても優しい方たちで、『Aが決めた人だったら誰でも大丈夫』と。結婚後も私が手伝おうとすると『なにもやらなくていいから、座っておいて』って本当に大切にしてくださいます」

今、Aさんのご両親と二世帯住宅を立てて同居する計画が進んでいる。

「私からお願いしたんです。私の母が祖母の遠距離介護で大変そうな姿を見ていたので、近くに住んでもらったほうが何かと安心だなって。それに寂しがり屋なので、家族の気配が近くにあったほうが嬉しいんです」

休みの日は二人でサイクリング。何をしていてもどこに行っても二人なら楽しい

幸せは二人で作るもの

Aさんとの生活は幸せそのもの。

「お互い、早く帰れる仕事なので、一緒にネットでバズったレシピを自分たちなりにアレンジして、ご飯を作っています。お互いが笑いのツボで、面白い動物と一緒に暮らしている、という感じ。以前はせいぜい週に一度、お笑い番組で笑うか笑わないかだったのに、今は毎日のように爆笑しています」

二人で作ったごはんは「今日のごはん」フォルダに保存している。食べている時のAさんの幸せそうな顔が大好き

元カレとAさんとの違いはなんだろう。

「じつは、これまで月に一度は元カレが出てくる悪夢を見ていたんです。でもそれがAさんと出会ってぴたりとおさまった。元カレは彼女としての私は大切にしようとしてくれたかもしれませんが、それだけだった。Aさんは私を人として大事にしてくれました」

38歳で幸せを手にしたMさん。大人婚でよかったと思うことは?

「今までは、幸せになりたい、してほしい、こんなに尽くしてるのに、と思っていました。でも、今は二人で一緒に幸せを作っていこう、と思えるようになったんです。寂しさや違和感を溜め込まずに、小出しにして、建設的な話し合いができるようになったのも大きい。このままAさんと、おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつないで笑い合って歩いていきたいです」

朝日新聞telling,(テリング)

(写真:本人提供)

■清繭子のプロフィール
エッセイスト/ライター/エディター。エッセイ集『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎)2024年7月発売。出版社で雑誌・まんが・絵本の編集に携わったのち、39歳で一念発起。小説家を目指してフリーランスに。Web媒体「好書好日」にて「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」を連載。特技は「これ、あなただけに言うね」という話を聞くこと。note「小説家になりたい人(自笑)日記」更新中。

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