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極端にマイペースな復習で苦手を克服。「数学で19点」は天まで伸びる伸びしろの始まりだった

  • 2024.9.5

高校に入学してすぐ、定期テストで19点を取った。教科は数学、2次関数。テストが返却されてすぐ、79点の間違いだと思った。用紙を広げると、✓が一面に広がっている。
中学までは、赤点どころか70点を切ったらショックを受けていた記憶がある。それが、19点?逆に現実感がなくて、点数を隠す気にもならない。

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数日後には、「数学19点だった」がおもしろエピソードになっていた。私は学年ビリから2番目だったが、同じクラスにビリがいたから。高校の入学式で、幼稚園以来9年ぶりに再会した男の子。最悪な親近感を覚えLINEをするようになり、自分たちの愚かさを笑い合っていた。互いに中学校では大きくズッコケなかったからこの高校にいるわけで、「勉強でつまずく」もおそらく初めて。どうにかなると思っていたのだろう。

ヘラヘラしながら追試を受けたら、やっぱり30点を超えなかった。再追試はなかったけれど、居残りでテストの復習をすることに。当時の担任は数学教師だった。ゴジラみたいな貫禄の割にまだ20代、なんだか掴みどころのない人だった。間違えた問題の解説を読むものの、19点は「何が分からないのか分からない」レベルだ。ゴジラに質問に行ったけれど、要点を整理してから来いとかそんな感じのことを言われてしまってやる気が失せた。黙って解説をノートに写し、さっさと部活に行くことにする。

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テスト範囲は数Iから数Aに変わり、次のテストでは赤点を回避した。追試じゃなくてよかったと安心したのもつかの間、「19点」は時間差で効いてくる。受験を見据えた実力テストで、数学が大きな穴になったのだ。国語と英語はそれなりに得意だった分、数学だけが別人のような点数の低さだ。
国語と英語を頑張るよりも、数学の点数を上げる方が簡単なことは誰の目にも明らかだった。もう見慣れたので壊滅的な順位にもダメージはない。逆に、伸びしろがありすぎて怖い。ひとまず平均点を取れるようにすれば、とんでもない順位の伸びが期待できるのではないだろうか。

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ある晩、いつものように課題を終えると、19点のテストを引っ張り出してきてノートを開いた。大問1-1は、方程式・不等式とかそれくらいの計算だ。これはさすがに簡単で、シャーペンを走らせ、ピンクのサインペンで丸をつけた。そして、ノートを閉じる。

「1日1問」と決めて、毎日復習することにしたのだ。1-1は2分で解けるが、それ以上はやらない。誰かと決めた記憶はない。親は呆れているし、担任には見放されている。1人勝手にルールを決めて、1問解いて、終わらせた。いつもより大きめにつけた◯が、どこか誇らしい。

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無理はせず、サボりもせずに1日1問。復習を続けるうちに、いくつも発見があった。大問1は簡単と思いきや、半分も解けなかった。それに大問1は2次関数を解くための基盤になっており、理解していなければそれ以降が解けないのも無理はない。一方、肝心の2次関数はというと、重要な公式を覚えることを放棄していただけで、公式さえ覚えればどの問題もやることは同じだった。「なんだこんなことだったのか」が増えるたび、✓が◯に変わっていく。授業についていけた頃は影が薄かった教科書が、いつしか1番の相棒になった。
テストのたびに復習待ちの列は伸び、最新のテストに追いつく頃には、「文系にしては数学が得意」になっていた。受験の年。センター試験では英語が極端に難化した。無事に目標点数を超えられたのは、苦手を克服していたから。

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独自ルールで、極端にマイペースに復習を始めた私に感謝している。それと、ビリ同士笑い飛ばしてくれた彼にも。つまづいて、なのに基礎を馬鹿にして、いつまでも抜け出せない沼に足を取られていた可能性も大いにあった。「数学は捨てよう」と思っていてもおかしくない。19点を笑い飛ばせたからこそ、一生トラウマの苦い思い出ではなく、天まで伸びる伸びしろの始まりになった。転んで走るのを辞めてしまいたい日も「ここからだよ、1歩ずつだよ」と思えるのは、毎晩開いた数IAの教科書があったからだ。

■ひなたのさくらのプロフィール
「わたしらしく」の背中をおす新卒フリーライター。マイテーマは人の生き方・働き方。

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