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母にならない選択をした弥生(有村架純)は、幸せになれるのか? 『海のはじまり』9話

  • 2024.9.5

目黒蓮演じる月岡夏が、大学時代の恋人・南雲水季(古川琴音)の葬儀の場で、彼女の娘・南雲海(泉谷星奈)に出会う。人はいつどのように父となり、母となるのか。生方美久脚本・村瀬健プロデューサーの『silent』チームが新しく送り出す月9ドラマ『海のはじまり』(フジ系)は、親子や家族の結びつきを通して描かれる愛の物語だ。第9話、海の母親になるかどうか悩んでいた夏の恋人・百瀬弥生(有村架純)が、大きな決断をする。

見え隠れする身勝手さと残酷性

人は、いつどのタイミングで親になるのか。『海のはじまり』は、主人公である夏が、いきなり自分に娘がいると知らされ、父親になるかどうか悩み葛藤する、その過程を描くことで「人間愛」や「家族愛」を描写するドラマだ。

それがいつしか、物語のターニングポイントは弥生の決断に移っていたように思う。彼女が、なりたかった母親になるか、それとも夏や海から離れるか。その選択の前に揺れ、逡巡(しゅんじゅん)する様が丁寧すぎるほどに、とらえられていた。

弥生は、夏と別れ、海の母親にはならない選択をした。本人の口から、きっかけは水季が夏の恋人宛に遺した手紙だった、と伝えられている。この決断には、彼女の持つ身勝手さと残酷性が滲(にじ)み出ているように思う。

水季が書いた手紙には、こうあった。「誰も傷つけない選択なんて、きっとありません。だからと言って、自分が犠牲になることが正解とも限りません」「他人に優しくなりすぎず、物分かりのいい人間を演じず、ちょっとずるをしてでも、自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです」と。

この言葉はかつて、産婦人科に置かれていたノートを通して、弥生から水季へ間接的に手渡されたもの。時間と空間を経て、人生の舵取りになった言葉がふたたび受け渡された。弥生は、夏や海を傷つけることをいとわず、自分が幸せでいられる道を選択したと言えるだろう。

夏と海が、弥生を含めた「3人」で過ごしたい、と望んでくれるのは嬉しい。それでも弥生自身は、決して「3人」ではない、と感じながら夏と海と一緒にいた。どうしたって水季の存在を感じずにはいられない、時間と空間。弥生は「嫉妬」「うらやましい」という言葉で、自身の心に巣食う感情を的確に表現してみせた。

弥生は、すでに寂しかったのだ。この先、どれだけ「3人」でいても「3人」ではない。その疎外感、つらさを抱えながら、解決策のない長い人生を生きていく覚悟を、どうしても持てなかったのだろう。

9話では、夏、海、弥生が買い物をしているとき、店員から「お母さんも一緒に」と言われる場面があった。弥生が、海の母親に間違われたのだ。後からこの流れを振り返りながら、弥生は海に「私が本当にママになったらうれしい?」と問いかけている。

弥生はなぜ、あらためて海に確認したのか。後戻りできないほど、母親になる覚悟を強固にしてほしかったのか。

問われ、素直に「うん!」と答えた海は、やがて夏と弥生が別れてしまったことを知るだろう。弥生が自分の“母親”になることはない、と知ったとき、海は何を思うだろうか。そして弥生は、自分の発言が時間を経て海を傷つけることを、しっかり見通せていたのだろうか。

水季と弥生を繋いだ「幸せ」の意味

弥生が産婦人科のノートに書いた「幸せ」。水季が手紙にしたためた「幸せ」。どちらにも共通するのは、自らの選択を他者のせいにしないこと。自分が幸せになるための選択をすること。そして、自分が選んだ道こそが幸せに繋(つな)がっていると信じることだ。

水季はいつだって、自分で決めることを重要視していた。妊娠したことを恋人に告げるか、告げないか。産むか、産まないか。産むと決めたことを伝えるか、伝えないか。少し成長した娘を父親である元恋人に会わせるか、会わせないか。

夏に弥生という恋人ができていたために再会を果たせなかったことに対し、水季の同僚である津野晴明(池松壮亮)は、水季に「(恋人がいたせいで)会うのやめたんでしょ」と口にする。だが、水季の考えは違う。

夏に海を会わせないことは、自分で決めた。そして、自身の命が閉じていくのを前に、いま会える人ではなく「いま会えない人」に向けて手紙を遺したのも、彼女自身の選択だった。それは、生きていて、会えるうちは、直接言葉で伝えたいことを伝えられるから。そのほうが「限界ギリギリまで生きられるような気がするから」と。

水季の幸せの基準は、いつだって自分にある。それはときに、周りからマイペースすぎると受け取られることもあるだろう。それでも、自分の幸福や不幸を他者に委ねないと決めた彼女の強さは、亡くなってもなお周囲の人間に影響を及ぼしている。

どんな生き方も、取りこぼさない優しさ

フジ系のドラマ『silent』(2022)、『いちばんすきな花』(2023)のように、生方脚本の作品をとおして眺めたときに、浮かび上がるのは「誰も悪者がいない」という感覚だ。人にはそれぞれ生きてきた道があり、事情や希望を持っていて、ときにそれらが相反する瞬間はあれど、誰が悪いと決められることではない。

誰もが思慮深く、自分に過ちがあるとわかったときは、長く時間がかかってもそれを認め、受け入れ、謝る。そこには、自分の人生を最後まで歩む覚悟と、他者の声に耳を傾ける余白がある。

『海のはじまり』も、根底には、自分の人生の責任を取れるのは自分しかいない、というメッセージが流れているように感じる。幸福であること、不幸であること、いまの状態がどちらにせよ、その責任を問えるのは自分しかいない。そして、自分が幸せである選択をするのは、ほかの誰でもない自分自身である、と。

目の前が開けるような明るい呼びかけに感じる場合もあれば、いわゆる自己責任論に押し込められ、少し苦しさを感じてしまう場合もあるだろう。それでも、このドラマは、どんな登場人物たちも置いていかず、取りこぼさない。

たとえば、水季や海を懸命に支えていたにも関わらず、身内ではないから深くは立ち入ることのできない津野。そして、妻と別れ、3歳の夏を置いて家を出た実父の溝江基春(田中哲司)。

彼らの存在は、夏や海、水季や弥生の“物語”を取り巻く第三者だ。だが、津野や基春がいることによって、選択の先にどんな人生が待っていたとしても、それも一つの生き方だと教えてもらえる。

どんな人も、取りこぼさない。どんな立場の人に対しても、全方位に優しさを向けるこのドラマは、これからどんな立ち位置を示していくのだろうか。

■北村有のプロフィール
ライター。映画、ドラマのレビュー記事を中心に、役者や監督インタビューなども手がける。休日は映画館かお笑いライブ鑑賞に費やす。

■モコのプロフィール
イラストレーター。ドラマ、俳優さんのファンアートを中心に描いています。 ふだんは商業イラストレーターとして雑誌、web媒体等の仕事をしています。

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