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「丁寧な暮らし」に潜む狂気とは? 映画『愛に乱暴』考察&評価レビュー。映像化困難とされた吉田修一の原作、実写版の是非は?

  • 2024.9.5
Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

作家・吉田修一の同名小説を江口のりこ、小泉孝太郎、風吹ジュン、馬場ふみか、ら豪華キャストで映画化した『愛に乱暴』が公開中だ。家父長制が根強く残る「家」を舞台に「居場所」を巡る葛藤を狂気とユーモアを交えて描いた本作の魅力を解説する。(文・青葉薫)【あらすじ 解説 考察 評価】
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【著者プロフィール:青葉薫】
横須賀市秋谷在住のライター。全国の農家を取材した書籍「畑のうた 種蒔く旅人」が松竹系で『種まく旅人』としてシリーズ映画化。別名義で放送作家・脚本家・ラジオパーソナリティーとしても活動。執筆分野はエンタメ全般の他、農業・水産業、ローカル、子育て、環境問題など。地元自治体で児童福祉審議委員、都市計画審議委員、環境審議委員なども歴任している。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

【写真】江口のりこのユーモアと狂気が入り混じった表情が圧巻の劇中カット! 映画『愛に乱暴』劇中カット一覧

誰もが居場所を探している。家庭に、学校や職場に、地域に、社会の中に安住の地を希求している。人間だけではない。この惑星に存在するすべての生命が居場所を必要としている。

居場所のあるなしは生き辛さに直結しているからだ。しかしながら居場所というのは、潮の満ち引きで干上がったり水没したりする潮溜まりのように失われていくものでもある。自分本位な開発で森林を伐採する人間や、木造建築に巣くう白蟻のように奪い合うものでもある。

また、侵略者に領土を奪われる先住民族や無責任な飼い主に遺棄される愛玩動物のように理不尽に追い出されることもある。たとえば、愛情を感じられなくなった妻を捨て、不倫相手と新たな人生を歩んでいこうとする本作の夫のように。

映画『愛に乱暴』は家父長制が根強く残る「家」を舞台に「居場所」を巡る葛藤を狂気とユーモアを交えて描いたヒューマンサスペンスだ。

原作は「悪人」「さよなら渓谷」「怒り」など数多のベストセラー作品が映画化されている吉田修一。愛が孕むいびつな衝動と暴走を描いた同名小説をCMディレクターとして国内外の広告賞を席巻し、初の長篇作「おじいちゃん、死んじゃったって」がヨコハマ映画祭で森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞した森ガキ侑大監督が映画化。世界12大国際映画祭に数えられるカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のコンペティション部門に選出されている。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

夫の実家の敷地内に建つ”はなれ”で暮らす初瀬桃子(江口のりこ)は結婚して8年。義母から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うようにセンスのある装い、手の込んだ献立など「丁寧な暮らし」に勤しみ毎日を充実させている。

その背中には「居場所」を守ろうとする切実さが漂っている。母屋に住む義母のゴミ出しを請負い、ゴミ集積所が荒れていれば片付け、近所に住む外国人労働者に「おはようございます」と挨拶をする。パートで講師を務める手作り石鹸教室では新たな企画提案もする。

そうやって頑張れば頑張るほど居場所にしがみつこうとする者特有の哀愁を読み取ってしまうのだ。それは彼女がしばしば覗かせる失望と喪失感のせいでもあるのかもしれない。

その居場所を少しずつ削り取っていくように周囲で不穏な出来事が起こり始める。近隣のゴミ捨て場で相次ぐ不審火。「ぴーちゃん」と呼ぶ愛猫の失踪。そして彼女が巡回している〈不倫女性のSNSアカウント〉。平穏だったはずの日常の乱れは夫・真守の不倫が明示されることで加速し、桃子の居場所が砂上の楼閣だったことを露呈させる。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

桃子と真守の間には子供がいない。一方で馬場ふみか演じる不倫相手・三宅奈央は真守の子を妊娠している。桃子は現実から目を背けるように真守に「家のリフォーム」を急がせようとする。

彼女の収入が「月に4、5万円しかない」という経済的事情。実家の自室が甥っ子たちに占拠されつつあるという物理的事情で「家」という居場所を守ろうとする彼女の焦燥感はより色濃くなっていく。従属的立場に置かれた専業主婦の弱さが浮き彫りになっていく。

現代劇でありながら、時代劇を見ているようでもあった。「家」が重んじられていた時代。女が「家」に嫁ぎ、後継ぎを生むことで居場所を得ていた時代。それはこの「家」が空気のように纏っている家父長制が前時代的な価値観というだけではない。

真守を演じる小泉孝太郎が纏う高貴な稟性(ひんせい)。今回彼は役作りの為に前髪を下ろしている。その変貌ぶりは小泉孝太郎であることを気づかせないほどだ。それでも滲み出る生まれ持った稟性。真守は不倫と離婚を繰り返している〈クズ夫〉ながら資産家の母に守られ「家」という居場所を絶対に失うことのない立場にある。

そんな時代劇のような役柄に現代劇としての説得力を持たせているのが小泉孝太郎という配役の妙にあるような気がした。余談だが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で北条政子から源頼朝を寝取った妾・亀の前を演じた江口が夫を寝取られた妻を演じているのも興味深い。時空を越えた自分自身への因果応報のようでもあった。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

近年増えている「サレ妻」作品といえば同情を誘う主人公の復讐劇が主流だが、同じサレ妻でも桃子には哀愁こそあれ、不思議なくらい悲壮感がない。

状況的には99、9%追い詰められているのに0.1%の余裕で口元に笑みを湛えているような飄々としたおかしみがある。それはキャラクターの造形とともに彼女の根底に感じる揺るぎない強さのせいでもある。根拠はおそらく彼女が巡回している〈不倫相手の子供を妊娠した女性のSNSアカウント〉。

筆者がなぜこのアカウントが桃子の強さに繋がっていると感じたのか。それは映像化が難しいと言われた原作小説の「仕掛け」とともに、ぜひ劇場で確かめてほしい。

また、その強さは差違こそあれ本作に登場する3人の女性に通底するものでもあった。桃子、奈央、そして、風吹ジュン演じる真守の母・照子。強さの根拠は望む者に唯一無二の居場所を与えてくれる存在だ。

女性の生き方が多様化している現代においては選択肢のひとつでしかないが、その価値観も含めて家父長制が根強く残る「家」を舞台に妻・不倫相手・母と立場の異なる女たちが〈真守という男〉を巡って居場所争いを繰り広げ、言葉にならない連帯感を抱いていく。こちらも本作の見どころのひとつと言えるだろう。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

そんな女同士の関係性において桃子の強さとおかしみを象徴する行動のひとつが予告にも登場するスイカを丸ごと抱えて奈央のアパートに乗り込むシーンだ。ここまで訪問先には手土産を持参してきた桃子の「丁寧な暮らし」ぶりがフリとなって狂気と笑いを生んでいる。

スイカの丸みが妊婦の象徴に思える。奈央のお腹が割られてしまうのではないかという不穏な想像が膨らむ。一方でスイカは妊婦に良いという話も聞く。すなわちそこから何を読み取るかは観客次第なのだ。

そう、桃子は多くを語らない。台詞は最小限に留められ、心情表現は表情と佇まいに委ねられている。それが桃子というキャラクターに想像の余地を持たせ、追い詰められた人間が放つおかしみを増幅させている。

彼女がチェンソーを手にするのも真意を語らないからこそ解釈の幅を持たせている。それは狂気なのか、正気なのか。その手掛かりは彼女が異常な執着を募らせていく〈家の床下〉にある。土で汚れた桃子が床下でひと晩添い寝するのは筆者が彼女の強さの根拠となっていると感じたものに他ならない。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

だが、強さは弱さと表裏一体でもある。桃子が「ぴーちゃん」と呼ぶ行方不明の愛猫。鳴き声だけで決して姿を見せないその存在が単なる猫ではないことは明白だ。にもかかわらず、真守も照子もそのことに気づかない。気づいていないからこそ2人は桃子の突飛な行動に怯え続ける。

「私ね、おかしいフリしてあげてるんだよ?」

桃子の言葉は彼女が真守に執着しているのではなく、執着してあげているようにも聞こえる。母に守られた〈家〉に居心地の悪さを感じ「ここではないどこか」を探し彷徨っている真守を哀れんでいるようにも思える。

「おかしいフリをしてあげてるんだよ?」

真守にナイフを渡して挑発し、刺されるのを待っているようでもある。同時に自分が抱え続けている喪失感をもっとも理解して欲しかった夫に対する失望を訴えているようでもある。

不倫が露呈する前、愛猫を探し続ける桃子に真守が「捨て猫と飼い猫ってどう見分けるの?」と訊ねるシークエンスがある。「首輪してるかどうかじゃない?」と答えた桃子に真守はこう返す。

「じゃあ首輪をつけたまま捨てられたら?」
「それはさすがにないよ」

ゴミを分別せずに捨てる無責任な人間とそのせいでカラスに荒らされたゴミ捨て場を桃子は掃除している。そんなゴミ捨て場で相次ぐ不審火。犯人は首輪をつけられたまま捨てられたものたちの怒りと悲しみの代弁者なのだろうか。

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

Ⓒ2013吉田修一/新潮社Ⓒ2024「愛に乱暴」製作委員会

誰もが居場所を探している。家庭に、学校や職場に、地域に、社会の中に安住の地を希求している。それは家父長制の「家」で生き辛さを感じている桃子や不倫相手の子を身籠もった奈央だけではない。

前述したように真守もまた本当の居場所を探し求めるように不倫を繰り返しているように見える。桃子を振り回す元上司もおそらくは社内での居場所を守る為に必死なのだろう。ラストのキーマンとなる外国人労働者もこの日本という異国で居場所を探しているのだと思う。

だが、居場所に依存しようとする者に真の居場所はないと言われる。居場所は自立した者同士がともに育んでいくものであると。ともに守り、次の世代へと受け継いでいくものであると。桃子と真守は居場所を受け継ぐ前に育むことができなかった。それは子供がいないという以前に、それぞれが相手にとっての居場所になれなかったからに他ならないような気がした。

すべての生命にとって最初の居場所は母だ。生まれた瞬間に死別してしまうケースもあるが、誕生までは誰もが母胎という居場所を安住の地としている。

母性という概念こそ近代では男性社会が創り出した幻想と批判されるが、私たちは今も地球を母星と呼ぶ。それでも、私たちの中にはその地球すら蔑ろにしている者もいる。

求めるだけで与えない。求めるだけで守らない。その結果として、社会には居場所を失った者が増えていく。映画『愛に乱暴』。現代社会に大きく欠けているものを描こうとする気概を感じる一作である。

(文・青葉薫)

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