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「入社4年で寿退職」は忍耐が足りないのか…自分の存在価値として結婚を選んだ均等法第一世代女性のその後

  • 2024.9.4

1980年代後半に総合職として入社した均等法第一世代の大卒女性の中には、早いタイミングで退職して家事、育児に専念した人たちもいる。近畿大学教授の奥田祥子さんは「入社4年弱で退職し、12年間専業主婦だったある女性は、38歳で契約社員として再就職。51歳で正社員になり、定年退職に合わせて、女性のための人材紹介業を立ち上げ独立した」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

ゴミを捨てる主婦
※写真はイメージです
当時の選択に後悔はしていない

大学卒業後、総合職としてメーカーに就職した中本洋子なかもとようこさん(仮名)は4年弱で退職。翌年に27歳で結婚し、家事、育児に専念した後、第2子が小学校2年生に進級したのを機に、かつて勤務した会社の子会社に、契約社員として再就職した。そんな彼女に出会ったのは2003年、再就職から2年が過ぎた40歳の時だった。

「重々ご承知だと思いますが、私は均等法第一世代でありながら、能力を発揮することもできないまま、入社わずか数年で辞めた、よくあるパターンです。本人たちの忍耐力のなさなど世間から批判も受けましたが、私としては真剣に仕事と向き合ったつもりです。理想と現実のギャップに思い悩んだ末の決断だったんです。そんな自分の存在価値を示す手段が、結婚だった。当時の選択に後悔はしていません」

中本さんは取材開始早々、明瞭な口調でこちらをしっかりと見つめて言い切った。凛りんとした姿勢に少し圧倒された様子が、当時の取材ノートにも記載されている。

12年のブランク経て「再就職」

「再就職しようと思われた理由は何ですか?」

「もう一度、社会とつながりたいと思ったんです。家事、育児に専念していた期間はそれなりに充実していましたし、地域や子どもが通う幼稚園、小学校などで人との交流もありました。でも、そうした狭い範囲のコミュニティを超えた、もっと広い社会にやりがいを求めたと言いますか……。子ども2人とも小学校に通い、近くに住む母親も協力してくれ、ある程度、再び働きに出る環境が整ったので……。ただ……12年間もブランクがあったので、求職活動では苦労しました。結婚や出産を機に退職されて、再就職を希望される場合は、ブランクは数年以内がベターなようで……私の場合は、再び仕事をするかもわからないまま、子育てに追われていつの間にか時間が経ってしまっていた感じで……」

長いブランクがネックになり再就職に苦労

先ほどの口調とは異なり、再就職活動時の戸惑いや苦労に話が進むにつれ、わずかではあるが顔色が曇り、言葉にも窮するようになる。

「あっ、すみません……お話しする内容は整理してきたつもりだったんですが……。新卒で総合職で入社した会社を自分の意思で辞めたのですから、多少の困難は予想していましたが……転職エージェントに登録して活動しても長いブランクがネックとなってなかなか再就職先を見つけられず……。それで、退職後も交流させていただいていた元上司に相談し、子会社に欠員があるから採用試験を受けてみないかと紹介していただいたんです。子育てとの両立も考えて、転勤のない、本社勤務の契約社員にさせていただきました」

再就職までの経緯を説明し終え、ようやく落ち着いた元の表情に戻ったように見えた。消費者からの問い合わせや相談に対応する部署に在籍していて、再就職当初は「緊張の連続だった」と言うが、今では「暮らしにメリハリが生まれました」と語気を強めた。

非正規女性の環境改善に尽力

38歳で再就職してから契約更新を重ねて7年後の2008年、45歳の時に人事部に配属となる。前回の契約更新時に希望した配置転換が叶ったのだ。

消費者相談窓口の部署では、管理職の正社員男性3人のほかは非正規雇用の女性たちで、中本さんと同じ契約社員や派遣スタッフ、パート・アルバイトなどさまざまな雇用形態、年代の女性が働いていた。その中には、子育て中や家族を介護しているなど家庭と両立させているケースも少なくなかった。人事部への配置転換は、非正規で働く女性たちが少しでも快適に満足して働ける職場環境づくりに取り組みたいと考えたからだった。人事部に配属となって数カ月経った頃のインタビューで、こう思いを明かした。

「長いブランクを経て再就職した当初は自分で仕事が務まるのか不安も大きかったし、子どもたちは小学校低学年と中学年でそこそこ手はかかる時期でしたので、高熱を出して急にシフトを代わってもらったりして……同僚の皆さんには大変助けていただきました。同じように家庭との両立で苦労しながらも頑張っている彼女たちの姿に励まされました。でも……皆さんがもっと生き生きと働けるようになるには、待遇や福利厚生の面など課題は多い。それで……何かしらお役に立てないかと……」

中本さんは、かつて総合職で入社した会社に勤務した約4年間の大半を人事部で過ごした。12年間のブランクがあるとはいえ、人事労務の知識・経験を踏まえ、再就職後の現場で感じた女性たちが家庭と両立させながら働き続けるうえでの問題点を、どうにかして改善したいという強い思いに駆られたようだった。

進歩のための戦略的概念
※写真はイメージです
51歳で最初の「限定正社員」に

非正規雇用で働く女性たちの待遇改善や、多様で柔軟な働き方の導入に尽力し、14年には勤務する会社で限定正社員*1の制度が導入されることになる。最初に限定正社員となった数人のうちの一人が中本さんで、51歳の時だった。通常の正社員と比べると賃金など処遇面は劣るものの、無期雇用となるため、福利厚生も正社員とほぼ同様に受けられ、非正規社員よりも立場が安定するというメリットがある。

「やりました! もちろんチームで成し遂げたことですが、正社員ではない、管理職でもない私の意見を取り入れてもらい、大きな達成感があります。一度仕事から離れ、地域や幼稚園などで、家庭の事情で働きたいけれど働けない女性たちの声を聞いた経験が生きているのかもしれませんね」

そう目を輝かせて限定正社員制度の導入決定を教えてくれたことを、昨日のことのように覚えている。

ちなみに、有期契約の労働者が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、無期労働契約に転換できる「無期転換ルール」が13年に施行された改正労働契約法で導入され、5年後の18年から効力が発生したが、限定正社員の制度はこの「無期転換」の受け皿ともなっている。

*1 一般的な正社員と異なり、勤務地や職務内容、労働時間などを限定した正社員を指す。柔軟な働き方のひとつとして導入されるようになった。

働く女性のネットワークを作り情報発信

人事部で8年間、限定正社員制度の導入をはじめ、非正規で働く女性たちの処遇改善などに取り組んだ後、中本さんは2016年、53歳の時に自ら希望して再就職時から7年間所属した消費者相談窓口に異動となった。その直後、異動を希望した動機を語った。

「人事部で積ませてもらった経験を今度は、再就職時の不安ななかで働く意欲を芽生えさせてもらった部署に生かしたいと思ったんです。ご恩返し、なんていうとおこがましいですが……多様な雇用形態で働く女性の皆さんの声を人事部、さらには会社の偉いさんにも届ける橋渡しもできればと考えています」

さらに、しばらく前から新たな活動も始めているという。

「実は、まだ始めて数カ月ですが、働く女性たちのネットワークをSNSを介して築き始め、これから週末など仕事が休みの日に、体験談などを発表して意見交換するセミナーを開きたいと計画しているんです。今年度から女性活躍推進法が全面施行されたこともあり、すでに課長職に就いて育児との両立で悩む女性もいれば、独身で経済的な不安を抱えながら非正規で働く女性もいます。出世第一で上下関係を重視してきた男性と違って、女性は先輩・後輩や雇用形態の違いを超えて、共感でつながることができます。女性のライフスタイルについて考え、課題を解決するための手掛かりなどの情報を発信していければと考えているんです」

多様な働き方・生き方をしている女性のつながり

飽くなき挑戦は終わらない。新たな目標を見出し、成し遂げるために全力を注ぐ中本さんのバイタリティにはいつも感心させられてきた。そのなかでも、消費者相談窓口への異動の理由とともにこの時聞かされた、さまざまな雇用形態で、既婚か独身か、子どもの有無にかかわらず、多様な働き方、生き方をしている女性たちの「ヨコ」のつながりを広げ、ともに問題解決に向けて考え、支え合っていこうというネットワークづくりには、良い意味で意表を突かれた。

均等法第一世代として総合職で社会人の第一歩を踏み出しながらも、理想と現実のギャップに苦悩してわずか数年で辞職。長いブランクを経て再就職し、同じように家庭との両立をはじめ、自身のライフスタイルに思い煩う女性たちと触れ合いながら課題を見つけ、できることから少しずつ、でも着実に壁を乗り越えてきた。そんな中本さんだからこそ、実現し得ることなのではないか。そう痛感した。

この女性たちのネットワークを立ち上げた時点では、メンバーは20代から、上は中本さんと同じ50代前半までだったが、やがて齢を重ね、「定年女性」も仲間となっていくのである。

働く女性たちのネットワークから発信される問題提起や改善策などは、中本さんが指摘したように共感を呼び、開始から数年でみるみるうちに女性たちの輪は広がりを見せた。当初は不定期で年に1、2回の開催だったセミナーも、ほぼ月1回のペースで開くまでに増えた。体験談のほか、キャリアコンサルタントや社会福祉士などの資格を持つメンバーが手弁当で講演し、日々職場や家庭で抱える不安や悩みなどについて個別に相談に乗るブースを設けるなど、中身も充実させていった。

定年女性を支援する人材紹介業で独立

そして、中本さんはまた新たな挑戦に挑む。2020年、57歳の時、定年退職を機に個人事業主として人材紹介業を始める決断をするのだ。定年まで残り約2年半、その準備と組織の活性化のため、働く女性のネットワークの中心的な役割を後進に譲ったという。

奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)
奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)

「人事部から消費者相談窓口に戻り、働く女性たちのネットワークの活動を始めた頃から、漠然とではありますが……定年後こそ何か、お役に立てることがあるんじゃないかと考えるようになって……人材紹介業の立ち上げを思い立ったんです。育児や介護との両立、独身での経済的不安などさまざまな家庭・私生活の環境で、いろんな働き方をしている女性たちが、定年後も含めて、やりがいを持って仕事に取り組めるようにお手伝いをしたいと。そう考える一番のきっかけは、私自身も含めてネットワークのメンバーに定年前後の女性たちが増え、意見交換をするなかで、働き続けたいけれどこれまで以上に戸惑いや不安が大きいことがわかったことですね。もちろん、これからもネットワークの活動を応援していきますよ」

定年後に個人事業主として人材紹介業の免許を取得し、事業を開業することに関しては、当初、大学の2年先輩である夫は不安視していたが、話し合いを重ねる過程で、「私の熱意に押し切られたようでした」と中本さんは笑みを浮かべて教えてくれた。免許取得など開業準備に向け、定年後再雇用で働く夫は何かと協力してくれ、「とても心強い」とも明かした。

そうして、定年退職から数カ月を経た23年秋、中本さんは人材紹介業の免許を取得し、シェアオフィスを事務所に事業をスタートさせた。ちなみに、シェアオフィスやレンタルオフィスでの開業が可能になったのは、17年の人材紹介業の事務所要件緩和によるものだ。

「勇気を出して再就職して本当に良かった」

開業から半年が過ぎた24年春、61歳の中本さんはこれまでのキャリア人生を振り返った。

「私の場合は再就職してからが、実り多い本当の意味でのキャリア人生のスタートでした。それまでなら、とても思い浮かばなかったようなアイデアが次々と浮かんで、実践して……ということの繰り返しで、今があるように思うんです。だから……勇気を出して40歳手前で再就職して本当に良かったです。今は多様で柔軟な働き方が広がっていますし、いったん仕事を辞めた人も再就職を諦めないでほしい。そして、これからますます増えていく定年女性についても、私自身の経験を生かして支援し、求人者と求職者のニーズを十分に把握したうえで、ハッピーなマッチングにつなげていきたいと考えています」

二十余年に及ぶ継続取材の中で、最も清々しい表情に見えた。

企業は女性のセカンドキャリア支援充実を

役職を経験した女性の定年退職者のロールモデルがほとんど存在しないという点は、もはや企業が女性のセカンドキャリアの人事制度設計や支援に二の足を踏む理由にはならない。定年後再雇用の場合は、男性同様に人事制度改革が必要であることは言うまでもない。さらに更年期による心身の不調や、就業中断を含めて多様な働き方、生き方のプロセスを経てセカンドキャリアを迎えることになるシニア女性特有の現状を踏まえ、柔軟な制度設計、運用の工夫も必要だろう。

奥田 祥子(おくだ・しょうこ)
近畿大学 教授
京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)、『シン・男がつらいよ』(朝日新書)、『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)などがある。

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