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母親からの仕送り小包はなぜダサい? 時代は変わっても、込められた思いは変わらない。原田ひ香さんインタビュー

  • 2024.9.3

『母親からの小包はなぜこんなにダサいのか』(中央公論新社)は、タイトルのどおり、離れて暮らす親から送られてくる“小包”をテーマにした家族小説。食品や下着、タオルなどが隙間なくびっちり詰められた小包……。昭和、平成、令和と時代は変わっても、実家から送られてくる小包や込められた思いは変わらない。小包を通して、親子の関係や家族のかたち、それらを取り巻く人間関係を丁寧に描いた作品だ。文庫化に際し、著者の原田ひ香さんに同作への思いを伺っていく。

――本作を書いたきっかけは、『三千円の使いかた』を書いた直後に、SNSで大学生の女の子が母親から送られてきた小包を「うちのおかんの小包見てー」と写真入りで投稿していたことだと、あとがきに書かれていました。

原田ひ香さん(以下、原田):もう、びっくりしたんですよ。これもあとがきに書きましたが、投稿者は二十歳くらいで、送り主のお母さんはもしかしたら私より年下かもしれないのに、私が子供のころに祖母から送られてきた小包にそっくりだったから。地方の銘菓やミカン、下着や靴下、ビニール袋に小分けしたお米。その隙間を埋めるように、商店街でもらったようなお店の名前入りタオルが敷き詰めてあって……。『三千円の使いかた』が単行本にしてはそこそこ売れたので、次作もお金にまつわるものがいいかなと思っていたのですが、担当編集者さんに「母からの小包をテーマにするのはどうだろう」と提案したら、好感触だったので、書いてみることにしたんです。

――『三千円の使いかた』も、お金をとっかかりに描かれる家族小説ですもんね。今作は6つの小包と家族にまつわる物語が描かれますが、それぞれの家族はどのように生まれたのでしょう。

原田:第1話の「上京物語」と第2話「ママはキャリアウーマン」は対になるものとして書こうと最初に決めていました。私の学生時代は、東京の大学に進学したり働きに出たりすることを、子どもだけでなく親も推奨しているご家庭が多かったんです。でも今は、学費や下宿代を出すのは厳しいというのもあるのでしょうけど、「そこまで頑張って勉強しなくても」というスタンスの親御さんが増えている気がして。そんな、「地元にいたほうが幸せだ」という親をふりきって、奨学金を借りてでも上京したい、都会に行きたいという若い方もまた多くいるように感じていたんです。

――第1話はまさに「地元で結婚するのが幸せ」と思っている母と、どうしても地元を抜け出したかった娘の物語でした。第2話は逆に、キャリアウーマンの母に対して、望んで専業主婦になった娘が描かれますね。

原田:できるだけ地元を離れないでほしい、と望む親が増えている一方で、母親がバリバリ働いていることも、珍しくない時代にもなっている。そんな親をみて「自分はあそこまで忙しくなくてもいい」「家のことをしっかりやりたい」と考える娘さんも意外と増えているというイメージがありました。どちらにせよ、親は自分の生きてきた道を基準に、子どもに幸せを押しつけてしまうところがある。真逆のタイプの2人を描くことで、どちらが正しい・正しくないということではなく、母娘それぞれの選択を対比できるようにしたいなと思いました。

――おっしゃるように、今作ではさまざまな家族のかたちを肯定していますよね。小包を送ってくれるような実家をもたない主人公を描いた第3話の「疑似家族」が、私はいちばん印象に残りました。こちらは第4話「お母さんの小包、お作りします」と対になっていますね。

原田:たまたまメルカリを見ていたときに、傷ものの野菜や果物を出品している人が少なくないことに気がついたんです。洋服やアクセサリーなどの小物が中心だと思っていたから、それが意外で。コメントを見ていたら、注文した商品以外にも、隙間にいろいろ詰めてくれたのが嬉しかったという声があり、それもまたお母さんの小包みたいだなと思いました。そういうサービスがあってもおもしろいんじゃないのかな、とも。

――3話の主人公は、実家と絶縁していることを恋人に隠していて、メルカリで届いた野菜を地元でとれたものだと嘘をついている。家庭円満で、裕福な育ちの恋人と、自分の境遇を比べて葛藤する主人公の心情が切なかったです。

原田:あたりまえですが、誰もが小包を送ってくれるようなお母さんをもっているわけじゃないんですよね。親の愛情をたっぷり受けて育って、私立の学校に行くのも当たり前、みたいなご家庭特有の雰囲気ってあると思うんですよ。とてもいい人たちなんだけど、まっすぐに育っているからこそ、主人公のような境遇を想像もしていなくて、なおさら言えなくなってしまう。最初からこうしようと考えていたわけではないけれど、小包のサービスを使うとしたらどんな人だろう、と考えて生まれたお話です。

――野菜の出品者は、主人公にとっては理想のお母さんですが、実の娘である第4話の主人公にとってはそうでもない、ごくごくふつうのお母さんであるところもよかったです。

原田:やっぱり誰しも、他人に見せる顔と、身内に対するそれは、全然ちがうんですよね。とくに子どもに対しては、理想どおりにはなかなかふるまえない、ということも書きたかった。口うるさくもなるし、そうかと思えば遠慮もあるし、お互いに素直になれないのが親子なのだなあと思います。

――第5話「北の国から」は唯一、男性が主人公ですが、実の親からの小包ではなく、死んだ父親のもとに長年送られ続けてきていた羅臼の高級昆布をめぐる、ミステリーのような味わいのある作品でした。

原田:天涯孤独になってしまった主人公、というのも1人くらいはいてもいいかなと思ったのと、おっしゃるように読み味を少し変えてみたい気持ちがありました。なぜ昆布だったのかといえば、北海道に住んでいたときに、一度、羅臼へ遊びにいったことがあるからなんです。車で移動していたんですけど、家族が停車中の車にぶつけちゃって。大きな事故にはならなかったんですが、その車の持ち主が秋鮭の漁師をしている青年だったんです。いわく、これから2週間くらい漁に出るから代車はいらないと。ではかわりにご実家に連絡をと言ったら、昆布漁をしているから困る。夜中に起きて昆布をとりにいき、昼すぎには寝てしまうから、というんですね。そんなこともあるのかと、生活の一端をうかがったことがこのお話のもとになっています。

――そんな裏話が!

原田:それほど大変な暮らしのかわりに、とれた昆布はすべて東京の一流料亭などにおろされるので、とても収入がいいらしいんですよね。若い人は知らないかもしれないけれど、いい昆布って、安いものでも数千円、高ければ何万もする。それもまた、よく考えればすごいよなあ、という実感も織り交ぜながら書きました。

――今作では、いろんな地方の実家が登場するので、ご当地の名品が描かれるのもおもしろいですよね。北海道だから海鮮、とかではなく、スーパーで売っている甘納豆が入っているお赤飯とか、その土地で暮らしている人ならではの味が描かれているのが、好きでした。

原田:私自身が家族の転勤にともない、暮らしを転々としていたから、ご当地の食べ物に自然と興味を惹かれるんですよ。第1話で書いたビスケットのてんぷらは、『秘密のケンミンSHOW』で知ったもの。盛岡の、雪深い地域だけで冬につくられるらしいんですけど、馴染みのない人には、ちょっと想像しにくいですよね。

――というか、そんな発想があるのか、と驚きました。

原田:ですよね。なんとなくカリカリの衣で包まれているのかなと思っていたんですけれど、実際には水分も油も染みこむから、ドーナツに近いような食感と味なんですよ。東京でも手に入るマリーのビスケットでもつくれますが、地元では「かーさんケット」ていう、もう少しさっぱりした味わいの、バター感の少ない商品をつくるらしくて、実際にとりよせてつくってみました。地元と離れて暮らしている子どもに親が送るのは、そういう、地元でしか食べられない素朴な味なんじゃないかな、と思って。

――お赤飯は、北海道に住んでいるときに知ったんですか。

原田:そうですね。あれはどちらかというと、ごはんというよりは和菓子に近くて、来客のときに出したりもするんです。ふつうのお赤飯よりつくりやすいので、ぜひ興味のある方はためしてみるといいんじゃないかと思います。

――原田さんの小説は、食べることと日々の営みが結びついているところも、魅力だなあといつも思います。

原田:20代のころは、食にまつわる仕事につきたいと思っていたんです。レストランの給仕やワインのソムリエになれたらいいな、と習い事をしたりもしていたんですけど、実現はしなかった。でも小説家になったあるとき、編集者さんから「原田さんの小説には食べ物がよく出てくるから、メインに書いてみたらどうですか」と言われて、書いたのが『三人屋』。当時は、食にまつわる小説があまりなかったこともあって、読者の方にも新鮮にうつったんじゃないかなと思うんですけれど、一大ジャンルとなった今も、こうして書かせてもらえているのは、嬉しいことだなと思います。食べることも、つくることも、お店を探すことも、食に関わることは全部好きなんですよね。最近は『おやきの教科書』( 小出陽子:著、宮崎充朗:監修/信濃毎日新聞社)という本がお気に入りです。

――おやきだけについて語られた本なんですか。

原田:そうなんです。おやきって、奥が深いんですよ。小麦粉や米粉、団子粉など、どの粉を組み合わせるかでまず何パターンもあって、そのあとに水でこねるか、ぬるま湯もしくは熱湯にするかでもまた変わってくる。さらに、蒸すか焼くか、蒸し焼きにするか、はたまた揚げるかで、選択肢が無数にあるんですよ。もちろん、中の具もいろいろありますよね。ねったあとに寝かせるか寝かせないかでもまた変わってくるし……。これがおもしろくて、今後研究していきたいジャンルのひとつです(笑)。あと、蒸しパンもまた奥深いんですよね。

――その探求だけで、一生を費やせそうですね(笑)。

原田:本当に。なぜその味が生みだされたのかもそうですが、どういう味に親しんで、どういう想いでその味に触れてきたのかには、やっぱりその人の人生が反映される。お仕事小説もそうですけれど、登場人物の過去にもつながるモチーフは、書いていておもしろいところでもあります。

――今回、小包をテーマにしたからこそ描けたものは、何かありましたか。

原田:これもまたあとがきと重複する話ですが、私が子どものころ、小包を送るのってものすごく手間のかかる作業だったんですよ。同じ宛先でも、複数送る場合は、一つひとつに宛名と名前を書かなきゃいけなかったし、今のようにスマホで入力して終わり、なんてわけにはいかないし、宅配便のない時代は、集荷なんてサービスも存在せず、自力で郵便局に運び込まなくてはいけなかった。それでも「送りたい」「届けたい」という気持ちがそこにはあったのだ、と思うと、感じ入るものがありますよね。そしてこれだけ便利になった今でも、手間をかけてでも何かをしてあげたいという根本に流れる気持ちは、変わらない気がするんです。

――第6話「最後の小包」には、まさにそんな母の想いが描かれていましたね。自分が大変な状況にあるからこそ、娘が同じ目にあったらと考えたらいてもたってもいられなくなる、物資を送らずにはいられない想い。

原田:第6話は、もともと予定になかったものなのですが、書いているうちにふと思いついて。ちょうどコロナ禍の中で書いたこともあって、その実感も少し、織り交ぜています。締めくくりにはちょうどよいお話だったのではないでしょうか。

――暮らしにつながる日々の小ネタで、今後、物語にしてみたいテーマはありますか?

原田:先日、まるで整理整頓のできない両親のもとで生まれ育った、という女の子が話しているのをネットで見かけたんですよ。家が汚くなってきたら、必要最低限のものだけを持って引っ越しをするという、ほとんど夜逃げみたいなことを繰り返しているというお話を聞いたとき、思い出したのが葛飾北斎の逸話でした。彼もまた片づけができないから引っ越しを繰り返していたらしく、ある意味優雅な暮らしだなと思ってはいたんですけど、日々の営みが定着しないのはそれはそれで大変なことですよね。「家」っていうのもまた、ひとつのテーマになるんじゃないかと、うっすら考えているところです。かたちになるのは、まだまだ先かもしれませんけどね。

――ものすごく読んでみたいです。今作と対になる作品にもなりそうですね。

原田:昭和から令和まで、母の小包のダサさが変わらないように、きっと脈々と受け継がれていく何かが、家族というものにはあるのかなとも思います。今作は、お母さん世代の方に共感していただくことがとても多いのですが、これから親になる若い子たちにも、ぜひ読んでもらえたらいいなと思います。なんでお母さんの小包ってこんなにダサいの、と思いながらも嬉しかったことを思い出すだけでなく、小包をもらったことがなくても、いずれは自分が送る立場になるかもしれない。そんな、小包にまつわるあれこれを、読んで楽しんでいただけたら嬉しいです。

取材・文=立花もも

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