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「内面に入っていったら全世界と繋がっている」映画『箱男』石井岳龍監督、単独インタビュー。幻の企画が実現したワケ

  • 2024.9.3
写真:浜瀬将樹
写真:浜瀬将樹

写真:浜瀬将樹

―――今回、石井監督念願の企画ということで、安部さんのテクストと徹底的に向き合って、小説の世界観をいかに映像と音響で表現するのか、突き詰められた作品になっていると思いました。『箱男』を最初に読まれたのはいつでしたか?

「大学生の時です。当時は映画化したいとは思っていなくて、本気で考え始めたのは『逆噴射家族』(1984)を作った後くらいですかね」

―――安部公房は元々好きな作家だったのでしょうか?

「私はなぜか中学生ぐらいから日本の文学作品が読めなくなってしまったんです。ただ例外はあって、SF小説と詩は読んでいました。日本の純文学の中でも、安部さんの作品はSFとして読める側面があり、日々の生活とか常識を覆してくれるところがあって、とても好きだったんです。特に短編をたくさん読みましたね」

―――石井監督がこれまでお撮りになった映画と安部さんの小説には、観客や読み手の知覚に変容を促すような部分や、都市に向ける乾いた眼差しに共通点があるように感じます。表現者としてシンパシーがあったのではないでしょうか?

「もちろん、あります。安部さん特有の“砂漠の思想”と言ったらいいでしょうか。荒野を眺めるように街を見つめる目ですよね。実際、東京だってかつて空襲で完全に焼け野原になったわけです。現在を新気楼のように眺める、全てを幻影として見てしまうようなところが私にもあるので。安部さんの場合、砂や壁、あるいは箱といった象徴的な物質を通して最底辺から世の中と人間を見ているっていう感じがしますよね。そこは非常に共感するところです」

写真:浜瀬将樹

写真:浜瀬将樹

―――90年代に実際に安部さんとお会いになって映画化の許可を得たというお話は、すでに様々な場所でお話になっているので省略させていただきます。97年に、クランクイン直前で映画『箱男』の企画が頓挫して、今から10年ほど前に再び脚本と向き合い始めたということですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

「今回の映画はコギトワークスの制作で、脚本はコギトに所属するいながききよたかさんと共作なんですけども、最初に組んだのがWOWOWの『ネオ・ウルトラQ』シリーズ(2013)でした。いながきさんが脚本、コギトワークスの関さんがプロデューサー、私が監督という座組で3本のエピソードを作ったのですが、とても面白かったんですね。その流れで関さんといながきさんとだったら、一緒に『箱男』をやれるかもしれないと思ったんです。それまではずっと1人でやっていて、うまくいかなかった。とにかく仲間が欲しかったんです」

―――今回の映画の脚本づくりは、元の脚本をリライトする形で進められたのでしょうか?

「前のやつは捨てて、ゼロから作りました。ちなみに以前の脚本は制作が中止になって以来、一度も見ていません。ただゼロから作り直したとはいえ、私の中にイメージはありましたし、きわめて緻密に原作を分析してくれるいながきさんの力によって、新しく脚本を立ち上げることができました」

―――本作では、随所で原作の要素を大胆にアレンジしておられます。たとえば小説終盤の「Dの場合」という少年のエピソードを思い切ってカットされていますね。とはいえ、「Dの場合」は、物語の本筋から離れた異質なエピソードです。

「そこは物凄く悩んだ部分です。実は最初の脚本では「Dの場合」はなく「ショパンの下り」は克明に書いてありました。さらに言うと、小説で描かれている詩的なイメージも最初の稿ではかなり入っていました。そういう本筋から外れたエピソードも本当は入れたかったんですよ。とはいえ、全てを入れるわけにいかないので、切りました」

―――今回の映画は、逸脱的なエピソードをカットすることによって、見る/見られる関係性、語り/語られる関係性が絡み合う様子や、それに伴う主体の消失といった原作のテーマがより凝縮した形で描かれていると思いました。

「今回の脚本は、主要な登場人物を決めて全体の構造を固める、それに合わせて残せるエピソードは残す、という方法論で作っていきました。具体的には、ラブストーリー、軍医の箱男利用の完全犯罪、箱男対偽箱男の戦いを中心に据えて、そこから外れるものに関しては、私たちが好きな部分であっても思い切ってカットする」

―――いながきさんという他者と脚本づくりを進めたことによって、思い切った判断ができたのかもしれませんね。

「そうですね。どちらか言うと私は感性の赴くままに暴走するタイプなので。構造をしっかり支えてくれる人がいると大変走りやすいですね(笑)」

ⓒ2024 The Box Man Film Partners

写真:浜瀬将樹

―――箱男のビジュアルに関して、原作では冷蔵庫の箱だったかと思いますが、乾燥機の箱になっていたり、映画ならではの工夫が随所で見られます。箱男のビジュアルはどのようにして作り上げていきましたか?

「私は『爆裂都市 BURST CITY』(1982)からの仲間である美術監督の林田裕至さんを(もちろん、どのスタッフもそうですが)非常に信頼していて、彼がやることは間違いないと思っています。今回も限られた予算と準備期間で素晴らしい美術を作り上げてくれました」

―――室内のシーンの多くは、光と影のコントラストが鮮烈でした。窓の格子の影が登場人物の身体に落ちかかるだけでドキドキする。充実したショットが目白押しですが、撮影監督の浦田秀穂さんとはどのようなやり取りをされましたか?

「浦田さんと照明の常谷良男さん(2人とは『ネオ・ウルトラQ』も一緒にやっています)とは、光と影の問題に加え、ロケ地の特性をどう活かすかなど、全てのカットで細かくやりとりをしました。特に私はドイツ表現主義の映画とフィルムノワールがとても好きなので『こういう画が好きだ』と伝えて、イメージの共有を計りました」

―――具体的にどのような作品を観てもらったのでしょうか?

「観てほしいと言ったのはF・W・ムルナウ監督のサイレント映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)。それも、ちょっと邪道ですけど、人口着色でカラーライズされたやつ。色が歪んでいて凄く不思議な画面なんです」

―――面白いですね。フィルムノワールの作品で観てもらった作品はありますか?

「私はアンソニー・マンのノワールがとても好きなんですけど、今回はマンの作品ではなく、ジョセフ・H・ルイスの『暴力団』(英語タイトルは『The Big Combo』)を観てもらいました。ルイスだと『拳銃魔』も素晴らしいですよね。

私は、フィルムノワールのモノクローム画面の質感をデジタル全盛の現代に上手く取り込めないかと常々思っていて、今回も照明の常谷さんと話し合ったのですが、当時のライトと今のライトが違うので、完璧に再現することはできないと言われました。ただ、本作ではデジタルの強みを活かして、浦田さんチームが、撮影から最終的なグレーディング※に至るまで、きわめて緻密な計算に基づいた画面づくりがなされています。画面のクオリティにおいてデジタルで撮影された映画の最高峰だと自負しています」

※撮影後に映像の階調と色調を整える画像加工処理

ⓒ2024 The Box Man Film Partners

ⓒ2024 The Box Man Film Partners

―――室内のシーンでは印象的な形で鏡をフレーム内に配置されています。画面の中に複数のフレームを配する演出は、本作のテーマと密接に関係していると思うのですが、その辺は意識されましたか?

「しました。本当はもっとやりたかったんですけどね。どうすれば映画を観ている観客一人ひとりの主体性を揺さぶることができるのか。メタフィクションとしての体験をどのように作っていくのかと考えた時に、枠は非常に重要な問題です。箱男の箱には横長の枠が縁取られていて、この映画は横長のシネマスコープサイズで撮られているわけですけど」

―――中盤、浅野忠信さん演じるニセ医者が警察から取り調べを受けるシーンの舞台となる部屋には横長の窓があります。これはセットでしょうか?

「いや、あれは実際にある場所で、ロケハンで見つけました。どうしてもあそこでやりたかった」

―――部屋の壁に横長のフレームが縁取られていることで、観る者に「ここもまた箱の中である」という印象を強くもたらします。

「そうですね。私は、安部さんの小説自体が箱の多重性、ひいては僕らが生きている現実の多重性を表していると思っていて。それはバーチャルリアリティの発展が目覚ましい昨今において重要性を増しているどころか、今後僕らが最も真剣に考えなければいけない問題の1つになっています。もちろん、こうしたテーマは『マトリックス』(1999)などでも描かれてきました。しかし、枠のある段ボールの箱に入るだけで、現実の多重性を露呈させてしまうというのは、やっぱり安部さんの素晴らしい発明だと思います」

―――本作を観終わって、地下鉄に乗って周りを見渡すと、至るところにスマートフォンのフレームがあって、人々の視線はそこに吸い込まれていくわけです。

「まさにスマートフォンです。スマホがなければ私も非常に不安になるし、人によっては本当1日中、多分寝る時も横に置いて、朝起きたらすぐに画面を眺める。生活にはなくてはならないものになっています。ただ、非常に便利ではあるのですが、同時に非常に危険な側面を持っているのも確かです」

―――スマートフォンの中にはネットの世界が広がっており、そこには現実とは別の人格がいて、物語を生きている。『箱男』のストーリーは非常に難解ではありますが、今申し上げたようなアナロジーを適用するとスッと入ってくるものがあります。

「私もそうじゃないかと思うんです。中学生が見たら大人よりもスムーズに作品世界に入れるかもしれない。今回『箱男』を映画にするにあたり、純文学でも、前衛でも、存在論的ホラーでもなく、娯楽映画にするという確固たる意図が自分の中にありました。PG12ですから、中学生も観られますし、小学生も大人同伴だったら観られます。子どもたちにも劇場に足を運んでほしいです」

写真:浜瀬将樹

写真:浜瀬将樹

―――浅野さん演じる偽医者が、日記のテクストをなぞるというシーンでは、腕に装置を付けていますね。観ていてとても驚かされたのですが、あれは何でしょうか?

「あれは軍医の書いた字を分析して、筆跡をトレースできるように誘導するデバイスなんです。ここは説明はいらないかなと思ったんですよね」

―――とても面白かったです。原作の中でも日記をなぞるという描写はあったと思うのですが、こういう形でやるのかと。デジタル装置が出てくることによって、時代性が曖昧になりますよね。非常に石井監督的だと思いました。

「『太陽がいっぱい』(1960)に、アラン・ドロン演じるリプリーがプロジェクターで大きな紙にサインの筆跡を投影させてその上をなぞるというシーンがあって、それは少し念頭にありました。あれを簡略化したようなものですね」

―――本作を観て「サイバーパンク」という言葉も想起しました。

「内面に入っていったら全世界と繋がっている、というね。サイバーパンクは私自身とても好きなジャンルですし、そういう目線で観てもらっても全然構わないと思っています。もちろん安部さんの場合は非常に日本的ですけど、日本的なものを突き詰めた挙げ句、ワールドワイドに突き抜けている。非常に冷めたまなざしで日本人の気質、土着性を見ていると思うんですけど、それを徹底することでとんでもなく変なところに帰着する。そこがとても面白い」

―――先ほど、日本の文学作品になかなか馴染めなかった若き日の石井監督が、なぜか安部公房だけは例外的に受け入れることができたとおっしゃいました。安部公房の小説が潜在的にもっているサイバーパンク的な想像力に惹かれたというのもあるのでしょうか?

「僕らの日常は目に見えない規則に取り巻かれていて、普通の人はそれがあるのが当たり前で常識だろうと考えている。でも、安部さんの小説はそれを可視化して覆します。

僕らが信じて必死で守っているものがいかに曖昧なものであるのかに気付かせてくれる。その瞬間、世界は丸裸になるし、ビルディングが蜃気楼に見えてくる。『すべては僕らが作り上げた幻なんじゃないのか』と思えてくる。それによって逆説的に、本当に大事なことが見えてくる。安部さんの小説を読むことで、視野がものすごく広がったように感じたんです」

写真:浜瀬将樹

写真:浜瀬将樹

―――安部公房は生前、石井監督の作品をご覧になっていたとのことです。あくまで想像に過ぎないのですが、もしかしたら石井監督の想像力が、自分の世界観を拡張してくれるんじゃないかという期待もあったのかなと。

「私自身、非常に思い入れのある2つの映画、『逆噴射家族』と『ノイバウテン 半分人間』(1986)を安部さんは観てくださり、気に入っていただけたようです。

安部さんが亡くなった後も折に触れてなぜだろう? と考えていたんですけど、ある時、安部さんが晩年に書かれた『カンガルー・ノート』という小説が最後に箱男が出てくるっていうのを信頼している方から聞いて読んでみたら、驚くと同時に腑に落ちるものがあったんです。

この小説、ある日突然自分の膝から貝割れ大根が生え出して、病院に行って入院したら、ベッドが勝手に爆走し出す…といったギャグ漫画のような展開が目白押しなんです。そこは自分の感性に非常に近い。安倍さんは亡くなる前にこういう境地に立っていたのかと、共通項を見つけることができて安心したんです。

一方で『カンガルー・ノート』には従来の安部さんの小説と同じく死の気配が濃厚に漂っていて、それも笑いで包むのですが、ご自身が死の間際に書かれたということもあって、グッとくるものがあるんですけど。ただ、それまでの純文学的な描写ではなくて劇画的な描写が散見できる。この本を読んで励まされた気持ちになりましたし、それは今回の映画にも通底してると信じています」

―――今回ラストシーンは映画というメディアならではの方法で、『箱男』の結末を再創造していると思いました。ひょっとしたら最初に書かれたシナリオも同じラストだったのではないかと想像したのですが…。

「いえ、違います。最初のシナリオではもっと原作に忠実でした。ドイツでの映画が中止になった後でシナリオを書き直した際に、原作の精神をメタフィクションとして成立させるにはどうしたらいいのか考えた時に『観客が箱男になる』というアイデアが思い浮かんだのです。かなりストレートな表現で気恥ずかしさもあるんですが。

お客さんがなかなか映画館で映画を見てくれない時代になってきてはいますが、私は、映画は体験するものだと思っています。映画館で観ることの醍醐味を味わってもらえるようなラストにしたいと思ったんです」

―――先ほども話題に上がった影と光の表現なども、映画館じゃないと十分に味わえません。映画館で体験することに価値のある作品になっていると思います。

「スクリーンだと細部が表現できるんですよね。特に安部さんの小説はディテールがとても大事だと思うので。それと空間。広くて真っ暗な空間にぽつんと穿たれた白い枠。そこに投影されるにふさわしい『箱男』にしたかったのです」

(取材・文:山田剛志)

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