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賢い男子は「浦高」、女子は「一女」でなぜダメなのか…埼玉県でくすぶる「県立高校共学化」問題の迷走ぶり

  • 2024.9.1

2000年から令和の現在に至るまで議論が繰り広げられ続けている、埼玉県の県立高校の共学化問題。発端は、男女共同参画推進条例を背景に、一般県民から寄せられた苦情だ。“男子だけ”“女子だけ”の別学の環境で送る学校生活は、絶対に共学化しなければいけないほどジェンダー不平等の元凶なのか――。

男女別学の学校生活には意義がないのか

埼玉県内で議論されていた県立高校の男女別学を共学化すべきかという問題に対し、県教育委員会は8月22日、「主体的に共学化を推進していく」との報告書をまとめました。

“高校3年間を男女が互いに協力し、学校生活を送ることに意義がある”とした上での今回の決定。確かに男女が共に学校生活を送ることにも一定の意義はあると思いますが、“男子だけ”、“女子だけ”のいわゆる別学の環境での学校生活にはそれに匹敵する意義はないと解釈できる見解にいささか違和感を持ちました。

現在、県内の国公立高校は133校、対して別学高校は12校。男子校、女子校を合わせてもたった1割ほどにもかかわらず、なぜこれほどまでに埼玉県では議論が燃え、根強く共学化を推進する動きがあるのでしょうか。

男女別学の高校の共学化について審議した埼玉県教育委員会=2024年8月22日午前、埼玉県庁
男女別学の高校の共学化について審議した埼玉県教育委員会=2024年8月22日午前、埼玉県庁
2000年から始まった「共学化」問題

そもそも今回の議論の発端は、一昨年に県民個人から寄せられた「男子高校が、女子に対し、女子であることを理由に入学を拒んでいることは不適切」という苦情。

しかし、これまでも埼玉県では、県立高校の共学化についてはさまざまな議論が繰り広げられてきました。議論の歴史は、2000年に所沢市の女性グループが「県立高の男女共学化の早期実現」を申し立てたところまでさかのぼります。

背景には、1999年に男女共同参画基本法が成立したこと、それにより、県がいち早く男女共同参画推進条例をスタートさせたことにあります。この条例の肝いり施策として、男女共同参画苦情処理機関が設置されたことを機に、共学化を申し立てる声が度々取りあげられるようになりました。

なぜ、このような声があがるのでしょうか。

県実施の「埼玉県立の別学校に関するアンケート」によれば、共学化推進派の主な意見は次の通り、

・「性別によって入学できない高校があるのは、公平ではないから」
・「男女共同参画やジェンダー平等に対する理解が進むから」
・「『男子は○○』『女子は□□』といった固定的な役割分担意識にとらわれないで学校生活を送ることができるから」

「別学がジェンダー不平等の元凶」との考えに基づいた意見が並びます。

男子校が1番手、女子校が2番手、共学が3番手なのか?

ジェンダー平等とは、性別にかかわらず、平等に責任や権利、機会を分かち合うこと、つまり男女は同等であり、同権であるということです。

男女が「同等」の選択肢や機会を与えられるべきではありますが、まったく「同じ」選択肢や機会を与えられないから不平等と決めつけるのはやや安易なのではないでしょうか。

今回の議論の発端となった「男子高校が、女子に対し、女子であることを理由に入学を拒んでいることは不適切」との県民の意見や共学推進派の「性別によって入学できない高校があるのは、公平ではないから」などの意見。

確かに性差による入学制限という部分のみを切り取れば、不平等のように思えます。

実際に埼玉県と同種の主張により、2003年に福島県、2010年に宮城県が全県立高校を共学化しています。また、同じく関東の栃木県の男性教員からも「別学を男女差別」とする声があがっています。

ただし、これらのケースと埼玉県とは似て非なるものです。

たとえば、栃木県では、県内のトップの県立高校は男子校の宇都宮高校で、同偏差値帯の女子校や共学はありません。女子はどんなに優秀でも2番手である女子校の宇都宮女子高校や共学の宇都宮東高校に進学するしかないのが現状です。また、宇都宮高校が偏差値72程度に対して、共学である宇都宮東高校は偏差値65程度とかなり開きがあります。

女子には宇都宮高校と同等レベルの高校に通う機会が与えられない、また、共学を選択したい男女は別学高校より偏差値が5以上下の学校にしか進学できないというのはジェンダー平等に限らず、個人に対する機会の平等を奪っているとも言えます。

このような状況の解決策として、共学化がふさわしいのか、高偏差値の共学を増やすのがふさわしいのかなどはまた別問題としても、不満の声があがるのは納得できます。

「賢い男子は浦高、女子は一女」がなぜダメなのか

しかし、埼玉県の現状は栃木県とは異なります。県内には良い塩梅にさまざまな男子校、女子校、共学があり、男女ともにある程度自由な選択ができる環境下にあるように感じます。

例えば、県内トップの男子校である浦和高校(浦高)と同偏差値帯には、女子校の浦和第一女子高校(一女)、共学の大宮高校、市立浦和高校などがあります。

【図表】埼玉県の公立高校 上位偏差値校一覧
家庭教師のトライ調べ

たとえ、浦高に進学がかなわなかったとしても、同等の教育を受ける選択肢は確保されており、その後の進路に支障をきたすことのない環境が整っていると言えるでしょう。

女子が偏差値を満たしているのに浦高に入れないのは本当にジェンダー不平等なのか、賢い男子は浦高、女子は一女ではどうしてダメなのか(同等の男子校に入れないことを不満に思っている当事者女子たちがどれほどいるのかも含め)、そのあたりを冷静に考える必要があるのではないでしょうか。

埼玉県立浦和高等学校
埼玉県立浦和高等学校(写真=あばさー/PD-self/Wikimedia Commons)
そもそも不平等が人生のデフォルト

そもそも、誰しもが自分の望む高校に必ずしも行けるわけではありません。居住している国や地域、経済力(高校無償化が進んできてはいますが)や学力など……さまざまな制約の中で、学校選択はもちろん人生の選択をしていく必要があります。良しあしの問題ではなく、ある意味人間にとって、不平等はデフォルト。誰もがさまざまな不平等の中で自分にできる選択をして生きていかなくてはならないのです。

ジェンダーに絡んだ問題だからとナーバスになり過ぎている一面は否めないと思います。

男女が共に生活することの意義

今回、埼玉県教育委員会は「高校3年間を男女が互いに協力し、学校生活を送ることに意義がある」と示しました。また、県実施のアンケートの共学推進派の主な意見としても「男女共同参画やジェンダー平等に対する理解が進むから」「性別による固定的な役割分担意識を持ちづらいから」などがあがりました。

これらはすべて、男女が生活を共にする環境こそ、ジェンダー平等の意識を育てる、という思考に基づくものと思います。

しかし、男女共同参画基本法が成立してから約25年経ってもいまだにジェンダー問題は多く残っています。男女が一緒に高校生活を送るだけでジェンダー平等が達成できるほど、この問題は甘くはありません。

共学的な環境が逆に「男子は理系、女子は文系」「男子は生徒会長、女子は副会長」のようなジェンダーバイアスを生徒たちに植え付けてしまうケースも大いにあります。

ジェンダー観の歪みがいまだにある社会と同じ構成である環境だからこそ、その歪みを学校にもたらしてしまう可能性もあるのです。

とはいえ、異性の目からは逃れられる別学の環境だからといって、必ずしもジェンダー平等の意識が備わるとも一概には言い難いでしょう。

要は、個人のジェンダー観や性役割観は単純に「共学だから~」「別学だから~」という理由だけで醸成されるものではないのです。ジェンダー平等に向けては、ジェンダー問題の重要性を認識し、学校側がいかにジェンダー教育をしているか、そして、生徒がいかに真剣にこの問題に向き合っているかが大切なのではないでしょうか。

学校の廊下でおしゃべりをする生徒たち
※写真はイメージです

興味深いことに、県実施のアンケートでは「別学」賛成派の主な意見としても「共学」推進派と同じ「『男子は○○』『女子は□□』といった固定的な役割分担意識にとらわれないで学校生活を送ることができるから」

という意見があがっています。

両者で同じ意見があがるということこそ、性別役割分担意識に関する問題は共学か別学かで語れないという証拠なのではないでしょうか。

別学出身だと多様性に欠けるのか

また、埼玉県のケースに限らず、別学の賛否においては、別学出身者の社会適応について議論されることも少なくありません。

具体的には、「異性への理解が乏しく、協力して働くことが難しいのではないか」というものや、「ダイバーシティインクルージョンの時代に男子だけ(女子だけ)という環境で過ごすことで社会適応に支障がでるのではないか」、また、女子校のキャリア教育やリーダーシップ教育に対し、「実社会の中で活躍するには女子だけの環境の中でリーダーシップを養っても意味がないのではないか」などの意見があります。

たしかに男女が共に生活をする共学と比べ、異性がいないという点では多様性に欠けているのかもしれません。

共学高校も同質的なことに変わりない

しかし、共学高校とて、同じような地域から、同じような偏差値の同じような年代の生徒が集まっています。異性はいるものの、同質的な集団で、実社会の多様性には遠く及びません。

社会に出れば、さまざまな人と共存していくことが求められます。育った環境も経済力も学歴も価値観も全く違う人たちと一緒に仕事をしたり、子育てをしたり、関わり合っていきます。

もし、県立高校に社会とのギャップを無くす機能を求めるのなら、共学化にするだけでなく、偏差値や学費のボーダーも取っ払って、誰でも平等に自由に入学できるようにする必要があるはずです。

けれども、高校とは会社でなく学校であり、生徒は社会人の大人でなく、まだ成長過程の子供です。同質な集団で学ぶことの意義や意味が認められているからこそ、今の高校システムがあるのでしょう。であるのなら、別学高校を多様性に欠けるから、実社会とかけ離れているからという理論で淘汰するのは少々乱暴と言わざるを得ません。

多様な選択ができることこそ令和の環境

別学と共学にはそれぞれ異なる特徴はあるものの、どちらかが生徒に致命的な害悪を与えるものではないし、どちらの方が優れているということもありません。

共学に限らず、別学も子供たちにとって、大切な選択肢の1つなのです。

多くの別学出身者や生徒たちが「別学でよかった」「居場所となった」と語っているように、必要としている人たちがたくさんいます。

あえて、1割程度にしか満たない別学高校を潰す必要がどこにあるのでしょうか。たった12校のマイノリティーな別学高校を認めない今の方向性は、多様性を認める社会の真逆をいく暴挙ともとれます。

多様な選択ができること、個人に合った教育を選ぶことができるこをこそが令和の世の中としてふさわしい姿なのではないでしょうか。

そう考えれば、男子校、女子校、共学と多様な県立が揃っている今の埼玉県の教育は他都道府県と比べて先進的なのではないかとさえ思えます。

さらにあらゆる性別(LGBTQ+)の人たちが、ここなら安心して通えると思えるような学校の形態を増やしていくこともこれからの社会に必要なのかもしれません。

何にせよ、一部の大きな声に翻弄されることなく、子供たちが自身に合ったより良い環境を選択できるように教育システムを整えていくという大目的を常に意識し、今後も議論を進める必要があるでしょう。

城山 ちょこ(しろやま・ちょこ)
女子校研究家
大手損保会社勤務時代にさまざまな女性の生き方、働き方に興味を持ち、女性を支援できるコンテンツ発信をするため、ライター・エディターに転身。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。同大学院にて、女子校出身者のキャリアについて研究を開始し、現在も同大学院の研究員として研究を続ける。

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