1. トップ
  2. 「ここじゃないどこか」の選択肢を残したい。激務の雑誌編集者が保育士の資格を取得した理由

「ここじゃないどこか」の選択肢を残したい。激務の雑誌編集者が保育士の資格を取得した理由

  • 2024.8.31
「作る側」の人になりたかった私は、雑誌編集者になれた (C)SpicyTruffel/PIXTA(ピクスタ)
「作る側」の人になりたかった私は、雑誌編集者になれた (C)SpicyTruffel/PIXTA(ピクスタ)

母になっても、四十になっても、まだ「何者か」になりたいんだ。私に期待していたいんだ…。

「好書好日」(朝日新聞ブックサイト)の連載、「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」が話題となった、ライター・清繭子さんのエッセイ『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)。

何者かになりたいと願い、小説家を目指して試行錯誤する様子を赤裸々に綴った、心に沁みるエッセイです。

このエッセイから「ここじゃないどこか、ってずっと言ってる」のエピソードをお届けします。

※本記事は清繭子著の書籍『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)から一部抜粋・編集しました。

ここじゃないどこか、ってずっと言ってる

入社して一年目、私は埴輪(はにわ)になり、そのあとトマトになった。

配属されたのは、ある雑誌編集部。夜中の二時頃まで働いて、タクシーで家に帰り、翌朝九時に撮影へ行く。ほぼそんな毎日だった。

なぜ、あんなに長時間働く必要があったのか、今思えば謎。あの頃は、校正のやりとりも郵便とファックスだったし、写真だってポジだったし、資料は足で探したし、何をするのにも手間がかかっていたから仕方ないけど、「残業すればするほどえらい」みたいな風潮があったのもたしか。先輩の原稿チェックをお腹を空かせながら待っているだけの時間もずいぶんあった。新人の私は「お先に失礼します」なんて、とても言えなかった。

あの頃は帰り道によく泣いていた。何かを思って泣くのではなく、ただ疲れて、疲れ果てて、涙が勝手に出てくるのだ。鬱(うつ)という言葉も今みたいにメジャーじゃなかった。あの頃のみんなは休むことを知らなかった。同期と二人で朝早く撮影に行き、お互い疲れから言葉も交わさずに呆然としていたら、やってきた先輩に「どした? 二人して埴輪みたいにつったって」と心配された。

生体リズムにまるで合っていない生活を続けていくうちに、私の中にあった夢や希望はするすると抜け落ちて、がらんどうになっていった。小説家になる、なんて思い出しもしなかった。今ここにいるポンコツな自分を、せめて迷惑にならないよう、邪魔にならないようにするだけで精一杯だった。私は埴輪だった。

あれは、一年目の終わり頃だっただろうか。やっと読者のお便り欄を担当するお許しが出た。読者からきたお便りをセレクトし、見出しをつけて、文を整え、最後に編集部コメントをつける。そのとき、「あ、私、いまトマトちゃんじゃん!」と思った。

子どもの頃、愛読していた「りぼん」の読者おたよりコーナーで、みんなのおたよりにコメントをつけていた編集部の「トマトちゃん」。「あっち側」のトマトちゃんに、私いま、なれてるじゃん!

初めてちょっと何者かになれた気がした。

やりがいを見いだした私は編集道へ邁進しましたとさ……という簡単な話ではない。なにしろ、なぜかその後、私はユーキャンの通信講座で保育士の資格取得のために勉強を始めるのだ。

私は物理的にも観念的にも、閉所恐怖症だ。家でトイレに行くときは、ドアをちょっと開けてないと落ち着かない。ドン・キホーテやパチンコ屋の圧迫感が苦手で、入れない。物件を探すときは「吹き抜け」とか「天井高」とか「庭付き」に惹かれる。どうやらそれは人生においても適用されるらしく、いつも非常口をちょっと開けとかないと落ち着かない。

「置かれた場所で咲きなさい」というのは、なるほどよい言葉だと思うけど、私はいつも「ここじゃないどこか」に憧れて生きてきた。「作る側」の人になりたかった私は、雑誌編集者になれた。作る側のはずだ。それなのに、くそ忙しい合間を縫って保育士の勉強をした。

たしかに、学童保育のバイトで子どもの心の美しさ、人間の原型である面白さに夢中になった。あの子たちのことが大好きで、尊敬していた。

でも根っこの理由は、たぶん、バランスを取っていたんだと思う。保育士の勉強をすることで、「ここじゃないどこか」に行く準備はいつでもあるんだぜ、と思っていたかった。

保育士資格は筆記試験九科目と、実技試験(弾き歌い、絵、お話の中から二分野選択)に合格すると取得できる(当時)。筆記試験は六〇%以上正解すれば合格し、一度合格した科目は三年間有効だった。

私は土日にちまちま勉強して、三年かけて九科目を揃えて、実技に進み、資格を取った。

我ながら、あの激務な日々に、よくぞそんな脱線をしていたな、と思う。でも、先輩に企画をダメ出しされ続ける日々、激務をこなすだけの日々、土日にテキストを開けば、「辞めようと思えば、いつでも辞められるんだぜ」「食っていく道はあるんだぜ」と思うことができた。

「置かれた場所で咲く」のが窮屈な人種もいる。いざとなったら逃げられるし、と思うことで落ち着く人種がいる。

きっと、私が大成することはないだろう。ひとつのことをずっとやっていられないから。

だけど、大成することだけが、人生の「成功」とは限らない。なにひとつ成し遂げなかったけど、いっぱいいろんな世界を齧かじって、心地よく過ごした、あー楽しかった! という「成功」だってあるんじゃないか。

ああ、そうさ。これは開き直りさ。本当は私だってひとつのことを突き詰めて、「天才」とか「世界一」とかになってみたいさあ。でも、もう半分の私は、いろんな味のドロップをちょっとずつ全部舐めたいなって思ってる。その誘惑に全然勝てる気がしない。

四十にもなってようやく、そっちの自分も許せるようになった。

保育士資格は永久資格なので、おばあちゃんになったら、自宅で私設保育園開くのもいいな、とか思っている。

著=清繭子/『夢みるかかとにご飯つぶ』(幻冬舎刊)

元記事で読む
の記事をもっとみる