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すべての伏線を見事に回収『海に眠るダイヤモンド』の素晴らしい結末

  • 2024.12.23

『アンナチュラル』や『MIU404』といった人気テレビドラマを世に送り出してきた脚本・野木亜紀子、演出・塚原あゆ子、プロデューサー・新井順子のトリオが放つ大型ドラマ『海に眠るダイヤモンド』が、遂に最終話を迎えた。

現在は軍艦島の呼称で知られる端島の1950年代~1960年代と、2018年の現在を交錯させて展開されるヒューマンミステリーは、前回8話の段階でも多くの謎を残したままだった。2時間スペシャルとなった最終話で、それらの謎にどのような決着がなされたのだろうか。そして、このドラマが描きたかったことは何か考えてみたい。

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日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』最終話より (C)TBS

最終話に残された謎

いづみ(宮本信子)と名乗る金持ちの老婦人に見初められたホストの玲央(神木隆之介)。いづみは今は廃墟となった端島出身で、玲央は彼女の初恋の人・荒木鉄平(神木隆之介)に瓜二つだという。いづみは玲央との出会いで端島で暮らしていたことを思い出し、保管していた鉄平の日記を紐解いていく。物語は、活気あふれる時代の端島と現代をつなげるように進行していく。

8話の時点で残されていた謎は、概ね以下の通りだ。

・鉄平がリナ(池田エライザ)とともに端島を離れた本当の理由
・鉄平の日記には、黒塗りや破られた箇所がある、そこには何が書かれていて、誰が内容を隠そうとしたのか
・古賀(滝藤賢一)と名乗る男の持つ資料の内容

最終話はそれらの謎に全て答えた上で、人が生きてきた歴史の積み重ねの尊さを切々と伝える見事な結末となった。

※この先、ネタバレを含みます

鉄平の日記に隠された真実とは

8話までの展開で視聴者が最も気になったのは、鉄平はなぜ朝子(いづみと同一人物、演じるのは杉咲花)に黙って、亡き兄・進平(斎藤工)の妻・リナと島を離れた理由だ。いづみは駆け落ちと表現していたが、理由は知らない。その理由は衝撃的なものだった。

リナはやくざに追われる身であることがシリーズを通して描かれたが、最終話でも端島までやくざがやってきて、赤ん坊の誠が人質にとられてしまう。その追手から逃れるために鉄平とリナは島を離れたのだった。そして、鉄平は全てを背負って行方をくらまし、全国を転々とする放浪の身となっていた。

その真相は、鉄平の日記だった。実はいづみが所有していた彼の日記は、古賀が渡したもので本来は11冊あったという。しかしいづみは10冊しか持っていない、残りの1冊を隠したのは、秘書の澤田(酒向芳)だった。実は澤田こそが、リナの息子の誠だったのだ。澤田は、いづみから鉄平を奪ってしまったリナの真相がわかることを恐れて日記を隠したのだった。

だが、黒塗りや破られた部分は澤田の関与ではなかった。これは鉄平自身がやったことであることが明かされる。鉄平はやくざから追われる身となってしまったので、日記を読まれて朝子に危害が及ぶことを恐れて、一部を隠そうとしたのだった。

いづみは、ようやくその真相にたどり着き、鉄平がリナと駆け落ちしたわけではないこと、端島に帰ってこられなくなった理由、そしてずっと朝子のことを想い続けていたことを知れた。そして、全てのわだかまりが溶けたいづみは、端島の地に降りたつ。

亡くなった者の想いが今を生きる人を支えている

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日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』最終話より (C)TBS

これまでこのドラマでは、端島のシーンはCGとセットで表現されてきた。活気溢れる端島の生活を見事によみがえらせており、現代の日本社会が失った、高度経済成長期の熱気と、危険と隣り合わせの生活のあり方が視聴者の関心を引いてきた。そんな端島は60年代には、石炭から石油の時代となり斜陽化していき、閉山することになる。最終話は、世界遺産に指定された現在の端島を写し出した。現地での撮影には様々な困難があっただろう、撮影を成立させただけでもすごいが、物語の中で劇的な効果を発揮していた。

そこには、これまでのエピソードで積み重ねられた活気のある端島の姿はない。栄えたものもいつか滅ぶ。諸行無常の響きを感じさせる。しかも、人がいなくなった端島には緑が生い茂っている。コンクリートでうち固めた島で、屋上緑化を推進して苦労した朝子とすれば、皮肉もいいところだろう。

しかし、いづみの心の中にある思い出を蘇らせるには、充分だった。端島は滅び、そこに生きた人々も、いづみを残してもういない。それでも、いづみは蘇ったかのように前向きな気持ちになっていくのが印象的だ。

本作の舞台となった端島は、石炭の炭鉱で栄えた島だ。作中で石炭は太古の植物や動物の死骸だと言及される。最終話でいづみはそのことを思い出す。廃墟となった端島を見て死骸のようだとつぶやくいづみは、そんな死骸である石炭のおかげで、あの島が栄え、自分のかけがえのない思い出があるのだと思い至るのだ。

それはある意味で、死んだものと一緒に生きていたということなのだろう。そのことに気が付いたいづみは、鉄平をはじめ、今は亡き端島の人々と一緒に今も生きているのだと感じたのかもしれない。生者は死者とともに生きているのだ。

石炭は長い時間をかけて死骸が地層に溜まって生まれる。この作品は、そういう歴史や時間の積み重ねによって、現代の我々も生かされているのだということを描いた作品だったのだと思う。人は死んでも想いは地層のように積み重なって、今を生きる人々を支えている。そんな希望を感じる素晴らしい結末だった。

TBS系 日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』



ライター:杉本穂高

映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi