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「とにかく消えたかった。全てに限界がきて」 THE RAMPAGE・川村壱馬“10年目の衝撃休養”時の心境を明かす

  • 2024.8.29

16人組ダンス&ボーカルグループ・THE RAMPAGE from EXILE TRIBE(以下「THE RAMPAGE」)の川村壱馬が、2023年秋の休養時の心境について明かした。THE RAMPAGEの不動のセンターとして、10年間走り続けてきた彼に起きたこととは……?

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THE RAMPAGEのボーカルの1人である川村は、グループでの自身の役割について、「風紀委員長みたいなもの」だと考えている。「リスペクトがありつつ、あくまで対等に。言うときは言わしてもらうみたいな感じで。そうでもしないと、何も変わっていかない」とのこと。彼は、ステージの表でも裏でも、センターとしてのプライドと責任を持っているのだ。

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そんな川村に異変が起きたのは、2023年の秋。川村が突然SNSのフォローを全て外し、アイコンをアーティスト写真から黒一色の“無”に変え、休養した時のことだ。当時彼は、「全てに嫌気がさしてというか」「とにかく消えたかった。全てに限界がきて……」とのこと。グループ結成から10年も走り続けてきた川村にとって、これが初めての休養だった。

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その頃の川村のスケジュールは過密。当時のことを川村は、「新しいことへの挑戦とかも自分でいろいろ構想を練りながら、なんだかんだ楽しみながらやらせてもらっていたんですけど。でも、気付いたらもう体がダメで」と振り返った。体調不良の原因は、ストレス性のものだった。本人いわく、「私生活で動こうと思っても、動きが0.2倍速ぐらいになるというか、心ここにあらずみたいな、心が壊れているみたいな状態」だったため、「辞めるっていう発想も超えていた」という。

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どん底に落ちた川村を救ったのは、いつも彼のそばにいたTHE RAMPAGEメンバーだった。川村の元には、リーダーの陣や、ボーカルの吉野北人らが駆け付けたという。「(パフォーマーの鈴木)昂秀なんか『アンタがいなけりゃRAMPAGEじゃねーんだよ。アンタがいないRAMPAGEなんか俺辞めっから!』みたいにめっちゃ泣きながら話してくれて」とのこと。彼らに加えて、女手一つで育ててくれた母親のおかげで、川村は立ち直れたのだ。

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大切なメンバーとともに、川村は2024年9月の東京ドーム公演に挑む。なお、彼の密着映像は、8月25日深夜から放送がスタートした番組『Rising Sun ~後戻りはしないOne Way Road~』で公開された。同番組は、THE RAMPAGEら芸能事務所・LDH所属のアーティストたちの光と影に迫る“エンターテインメントドキュメンタリー”だ。

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