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『源氏物語』降臨!! 帝のためにではなく自分が書きたいことを書く。鮮明化されたまひろの執筆モチベーション

  • 2024.8.29

「光る君へ」言いたい放題レヴュー

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光る君へ 第32回 「誰がために書く」あらすじ&今週も言いたい放題『源氏物語』執筆のモチベーションが明らかに。それは自分のためのものがたり。

今週のお当番のM男です。えーっ、安部晴明が死んじゃった。結構、好きなキャラクターだったのに。予告でちらっとそれらしき場面があつたので、嫌な予感はしていたけれど……。いったい何歳だったの? 少し気になって、安部晴明だけでなく、第32回で描かれた1005年(寛弘2年)時点での主な登場人物の年齢をwikiで調べてみました。

実年齢を調べると、いろいろなことが見えてきます

安部晴明なんと84歳、実資48歳、倫子41歳、道長39歳、公任39歳、斉信38歳、行成33歳、伊周31歳、一条帝25歳、彰子18歳。

 

こうして、それぞれの年齢を眺めてみると、確かに安部晴明は死んでもおかしくないこと、行成がパシリにように扱われていること、実資の宮中での重厚なる存在感、姉さん女房ゆえの倫子の余裕っぷりなどの背景が、なんとなく見えてきます。伊周が若いのに態度がでかいのは、中関白家の威と一条帝の信によるところが大きいのでしょう。

えっ!! もしかしたら清少納言は実在していなかったかも!!

ちょっとびっくりしたのは、さすがに一条帝は別として、道長や実資などは没年に関しては月日まで判明しているものの、wikiによると生誕は年のみで月日が定かでないということ。「かぞえ」で歳をカウントしていたので、お誕生日はあまり重要でなかったのでしょうか……。ですので、ここに挙げた歳はきっちり正確というわけではなく、前後1歳の誤差を含んでの年齢です。また現代風に満年齢でカウントしています。

 

で、肝心のまひろはというと、生誕に関してはさまざまな説があり、今回の番組の歴史考証を担当する倉本一宏先生によれば、「いずれも決定的な根拠に乏しく、とても確定できるものではない」そうです。上流貴族でさえ、生誕年しか判明しない当時、下級貴族のしかも女性の生年など記録に残っていないということですね。ただ、実在していたことは確かで、有力説に従うならば、まひろは1005年には32歳、道長とは7歳違いになります。

 

恐るべきことに、清少納言は『権記』などの一次資料には名前が出てこないので、実在したかどうかは、100%確実ではないそうです。『紫式部日記』に清少納言の名前が登場するから、おそらく実在しただろう、という程度だそうです。これも倉本先生のコメント。歴史学者の目は厳しい!!

「俺が惚れた女は、こんな女だったんだ」 道長さんよ、気づくのおせぇーよ!!

なぜ、まひろは『源氏物語』を書いたのか。そのモチベーションが、くっきりと立ち上がってきました。まひろが書く「ものがたり」は、彰子が住まう藤壺へ一条帝が足を運ぶための道具であることをまひろは看過します。

 

「おとりですか」と問い詰められても、悪びれない道長。権力志向のちょっと嫌な面が出ましたね。まあ、このあたりで、道長に対するまひろの愛も、かなり醒めたてきたのではないでしょうか。

たとえ一条帝がお気に召さなくとも、自分の書きたいものを書く。そう決心して筆を執るまひろの横で、「俺の惚れた女はこんな女だったんだ」と、道長は思いに耽っていますが、「おせーよ、おまえ。今ごろ分かったのかよ」と、チャチャのひとつも入れたくなります。

それにしても、没頭して書き続けるまひろの姿は、美しいのヒトコトです。

最初は塩対応。でも本当は、ハマっていた一条帝。

さて肝心の一条帝はというと、最初は「忘れていた」なんて塩対応。でも、本当はハマったのでしょうね。ひとりの人間として彼が抱いていた苦悩が、「桐壺帝」の名を借りて赤裸々に描かれたことに最初は驚いたものの、生身の人間として扱われたことに、深く心を揺さぶられたのではないでしょうか。お上として、常に腫れ物に触るような扱いを受けてきた自分の理解者がここにいたのか、という喜びもあったに違いありません。

 

となると、N子さんが前回書いていたように、『源氏物語』の各帖の成立順にはさまざまな学説があるようですが、まあ、「桐壺巻」から出来、一条帝もそこから読み始めた、ということにしておきましょう。でないと、お話が盛り上がりません。

 

残念なのは、一条帝が読んでいる場面や、まひろが書いている場面で、実際の『源氏物語』の、どの部分を読んだり書いたりしているかが、さっぱり分からないということ。おそらく、なんらかの意味がある部分が選ばれているのだとは思いますが、それがまったく分からないのが、隔靴掻痒というか悲しいというか……。もっと勉強しておけばよかったなぁ、と悔やんでもアトノマツリ。

 

 

内裏が火事に。危機は、二人を結びつける?

皆既月食の夜に、内裏から火の手があがりました。敦康親王を先に逃がし、藤壺に留まっていた彰子。

 

我が子を案じて藤壺に急ぎ来た一条帝は、彰子の手を取って共に走り出します。途中で、お決まりの彰子転倒。優しく抱き起す一条帝。燃え盛る炎の中、瞬間見つめ合う二人。ワンパターンやなぁ、と思いつつも正直ちょっとドキドキし、でもこれが二人の仲をぐっと近づけるきっかけになるのではと、嬉しくもあったりして、自分自身がすっかり道長側の人間になっているのに気が付きます。

 

でも、その後、一条帝に向かって「中宮さま、中宮さま」と連発する道長に対し、「その名前は聞きたくない」と冷ややかに拒絶する一条帝。やっぱり一条帝にとっての中宮は、定子ただひとりなのでしょうね。

後宮への出仕。じつは危険がいっぱい。

「どうして殿はまひろさんをご存知なの」倫子にさりげなく問い掛けられ、道長はきっと焦ったに違いありません。

 

姉さん女房の倫子は、きっと薄々気づいているはずです。そんなことは露とも見せず、にこにこ笑っているだけ。怖いなぁ、まったく。でも、多少居心地が悪かろうと、まひろとのことが露見しようと、娘のため(正確には外祖父となって権力を握るため)に、まひろを女房として出仕させることを、とうとう道長は実現させます。

 

当時、女房として出仕するのは、主に下級貴族の娘であり、上流階級の娘は文字通り深窓の令嬢として人目には姿を見せず、屋敷の奥でひっそりと暮らしていました。そう、倫子のように。女房は後宮で寝泊りもするわけですから、華やかな反面、前回の放映の実資のように、するりと御簾を潜り抜けて忍び込んで来る男性もいたりして、とても危険な場所でもありました。なので、まひろの家では、あたかも遠い場所へ行ってしまうかのような目で見られ、心配もされていたわけです。

 

それにしても、「まひろが女でよかった」という、父為時の感慨深げな一言。昔言っていたことと真逆じゃん、と思いつつ、それが包み隠さぬ正直な思いなのだろうと、ちょっと感動的な場面でした。

「意識高い系」のまひろ。最初はバッシングの嵐の予感

初出仕の日。坪庭越しにまひろを迎える先輩女房の面々。10人くらいは並んでいたでしょうか。メチャクチャ綺麗なシーンでした。まさに、平安絵巻そのもの。

 

でも、廊下を歩み、その集団と向い合ってみると、先頭はいかにも、意地悪そうなリーダー格の女房。ああ、イジメられるんだろうな、という予感が早くもムクムクと。無理もありません。漢文に秀で、和歌も巧み。今でいう、その他大勢からすれば、まひろは「意識高い系」ですよね。おまけに、もしかしたら左大臣道長という、とてつもない後ろ盾の姿が見え隠れする。バッシングをくらっても当然かもしれません。

 

そこで感慨深いのは、意地悪そうな先輩女房に交じって、赤染衛門ただひとり、まひろに優しそうな眼差しを投げかけていた、ということ。この頃赤染衛門は50歳前後。後に『栄華物語』を書いた人物とされていますが、この『栄華物語』は、先行する『紫式部日記』や『源氏物語』にインスパイアされて誕生し、かつ両作品をリスペクトしている、といわれています。優しそうだった眼差しは、やがて尊敬の眼差しへと変わっていくのでしょうね。そこまで、ドラマで描かれるかどうかかは分りませんが、きっちり押さえているなぁ、と思いました。

 

さて、次回はいよいよ「とうしきぶ」つまり「紫式部」の誕生です。彰子のもとで、紫式部に何が待ち受けているのか? 道長や一条天皇とどのような会話を交わすのか。そして『源氏物語』はどのように書き継がれていくのか……。日曜日が楽しみです。

「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……

Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!

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