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「伏線だったのか」粋なラストにSNSが絶賛!『西園寺さんは家事をしない』が示した“家事と家族観”に対する一つの答え

  • 2024.9.20

この夏、一番愛されたであろう“偽家族”の物語『西園寺さんは家事をしない』(TBS系)がとうとう最終回を迎えた。西園寺一妃(松本若菜)の母親であった川口さん(高畑淳子)が出した家事に対する考え、一妃と楠見俊直(松村北斗)、娘のルカ(倉田瑛茉)が出した家族に対する答えは、現代人の心を少しだけ温めるものだった。

逃げ恥が説いた“労働としての家事”との違い

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火曜ドラマ『西園寺さんは家事をしない』最終話より (C)TBS

一妃と楠見、ルカは、“偽家族”として生活をしてきた。“偽家族”とはいってしまえば家族のように互いに支えあう関係性。戸籍上の家族という繋がりはなくとも、家族のように過ごしましょうという約束だ。シングルファザーの楠見くんの家事育児に対する心身の負担を減らし、一妃がピンチのときは楠見が支えるといったような関係性を指している。

『西園寺さんは家事をしない』のなかで、“偽家族”という関係性が出てきたときに、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)の“契約結婚”を思い出したという人もいるだろう。『逃げ恥』における“契約結婚”とは、家事を労働の一つとしてとらえて、金銭という対価によって繋がることで関係性が成立していた。家事も一つの労働としてとらえ、家でケア労働をする役割を露にした内容だった。

家事を一つの仕事として、家族が分担したり家電に頼って簡略化できればいいのだが、そうもいかない。このケア労働の担い手が偏ることの問題点に触れたのが、『西園寺さんは家事をしない』最終回の一妃(松本若菜)の母親の言葉だ。家事が嫌なわけではない、好きでもない。ただいつの間にか家事育児をやらなきゃいけないこととして認識し、他のやりたいことを我慢するきっかけになってしまう。序盤の楠見も家事や育児に対して同じような感覚を感じていた。自分がやらなくちゃと、自分で自分を追い詰めてしまうのだ。

家族という名前がついていても、お互いを頼りあえるとは限らない。だからこそ、戸籍上の繋がりがなくとも、限りなく理想に近い状態でいる“偽家族”という関係性が、光り輝いてみえるのだ。

子どもという存在

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火曜ドラマ『西園寺さんは家事をしない』最終話より (C)TBS

『西園寺さんは家事をしない』の良いところは、ルカの気持ちを最優先にしながら、一妃と楠見の関係性を模索し続けたところだ。一妃も楠見も、ルカを子どもという楠見の連れ子としてではなく、最も大切な存在として尊重し、ルカの意見を優先し続けていた。だからこそ最後にルカの母親・瑠衣(松井愛莉)といういないけどいる存在を含めて、家族でもない、“偽家族”でもない名前のない関係性を結ぶことができたのだ。

育児は家事以上に逃れられないものだ。第1話では、楠見がルカとの二人きりの生活に疲れ切っていた様子が描かれていた。子どもを愛しているのにどんどん疲弊し、そんな自分を責めてしまう。ラブコメ要素が強い本作のなかでも逃げずに子育ての苦悩を描いたところも、本作の特徴的なポイントだ。そしてその問題を“偽家族”という関係性で、軽やかに解決していったのだ。現実はこんなにうまくいかないかもしれないが、一妃と楠見のような視野の広さで育児や家事、生活をとらえなおそうというメッセージを感じることができる。

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火曜ドラマ『西園寺さんは家事をしない』最終話より (C)TBS

最終回では、ルカに霊感があるが故のなんとも可愛らしい不思議な行動が、最後に一妃、楠見とともに談笑する瑠衣の姿を見ることに繋がった。本作を象徴するような爽やかな伏線回収だ。SNSでも「伏線だったのか」「なんて素敵な伏線回収なんだ」「このシーンを可視化するためにこの設定にしてたの素晴らしいな」と感動の声があがった。

令和らしい家事や家族への価値観を見せてくれた本作。戸籍上の繋がりに限定されない人の繋がり、助け合いの可能性は今の時代を象徴するものだ。今は現実味のない関係性に見えたとしても、他人同士が家族のように助けあう関係性がスタンダードになる時代もくるかもしれない。



TBS系『西園寺さんは家事をしない』 毎週火曜22時

ライター:古澤椋子
ドラマや映画コラム、インタビュー、イベントレポートなどを執筆するライター。ドラマ・映画・アニメ・漫画とともに育つ。X(旧Twitter):@k_ar0202