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マンガの実写化は「非常に難しい」… 映画『キングダム』実写化が“原作ファンからも愛される”作品となったワケ

  • 2024.9.25
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(C)SANKEI

マンガやアニメの実写化企画は「難しい」とよく言われ、原作ファンから批判されることも少なくない。そんな中にあって『キングダム』シリーズは、実写化企画としては珍しいほどに多くの人に支持されている。

実際、本シリーズを観てみると、映像全体から溢れんばかりの熱量がほとばしっており、日本映画とは思えない迫力に満ちていて、まるで本物の戦に放り込まれたかのような臨場感とリアリティを感じさせる。筆者は、「これは実写にした価値があるな」と実際に感じたし、多くの方も同じような気持を抱いたのだろう。

そんな『キングダム』の実写化企画はどうして成功できたのか、その要因を分析する。

なんでも描けるマンガに対して実写の強みとは?

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(C)SANKEI

マンガやアニメという完成された表現物を、わざわざ実写にする意味はなにか。それはやはり、実写じゃないと表現できないものがあるはずだからだということだ。「これはマンガじゃ味わえない」という感動や迫力があればこそ、人はわざわざお金を払って見に行く。

マンガやアニメのような絵であれば、どんな空想でも描けるが、実写には多くの制約があり、不利な部分もある。そんなデメリットを引き受けてでも、実写にしかできない表現上のメリットとは一体何なのだろうか。

それはずばり「本物」を見せられるということに他ならない。そこには本物の肉体を持った俳優が本物の風景の中にいるというのが、最大のメリットだ。

『キングダム』1作目では、そのメリットをフル活用すべく、中国でロケを敢行している。1万人のエキストラを動員し、邦画としては前代未聞のスケールで撮影された映像からは、「こればかりは絵で描いたものでは出せない」と思える迫力がにじみ出でいる。

この本物を見せるんだということに対するこだわりが『キングダム』は、他の実写化作品と段違いだ。それは俳優たちの存在感において最も色濃く発揮されている。絵ならなんでも描けるが、その空想にすぎない絵を本物に変えてみせるという気概がどの役者にもみなぎっていたのが、本作の最大の成功要因だろう。

ここが中途半端だと、いわゆる「コスプレ感」が出てしまう。「コスプレ感」と表現されるものは、要するにニセモノっぽいということだが、『キングダム』は製作費もふんだんにつかい、何もかも徹底的に本物にするという姿勢で臨んだ。

現在公開中の『キングダム 大将軍の帰還』は、そんな俳優たちの本気の熱演と肉体がほとばしる作品だ。何と言ってもタイトルにもなっている、大将軍こと王騎を演じた大沢たかおの重厚感あふれる存在感が抜群である。

まず鎧から伸びる二の腕が太い。大沢たかおはこの役を演じるために20キロ近く増量しているそうだが、その肉体が持っている説得力が将軍の風格を漂わせている。あの太い腕なら、「どでかい矛も振り回せるな」と納得できる。

また、王騎と対決することになる龐煖(ほうけん)を演じた吉川晃司も15キロほど増量して撮影に臨んでいる。小手先で演じた芝居は内側からの迫力が感じられない」(※1)と、こちらも実際に重たい槍を振り回しながらの芝居を徹底している。

前述した通り、実写の醍醐味は本物を見せられること。戦場で大将軍と呼ばれる人の肉体が細かったらニセモノになってしまう。戦場で通用する肉体を本当に作っているからこその迫力があるのだ。

史実でも王騎と龐煖はライバルなのか?

ここまで「本物の迫力」と書いたが、あくまで本作は史実を基にしたフィクションだ。「本当の本物」である史実では、本作で活躍するキャラクターたちはどんな人物だったのかも気になるところだろう。

大沢たかおが演じた王騎は、史実でも秦に仕えた将軍だ。秦の始皇帝・嬴政の前の時代から活躍していた将軍で、3代の秦王に仕えたとされている。『キングダム』作中でも、吉沢亮演じる嬴政に、先代王について語るシーンがあるが、秦韓史を専門とする学習院大学の鶴間和幸教授は、『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新聞出版社)で「少年だった嬴政に、好戦的な昭王時代の経験を伝えたのだろう」と記している(※2)。

王騎のライバル龐煖は、本作では孤高に武道の道を究めんとする者として描かれているが、実際には5ヶ国の合従軍で結成され、重要な働きをした別動隊を率いた優れた将軍だったと言われる。実際に王騎とライバル関係にあったというわけではないようだが、秦の首都・咸陽に迫る戦績を上げ、嬴政にとってはトラウマとなるような相手だったと鶴間教授は書いている。

また、長澤まさみが演じて人気を博した、美しき山の民の女王・楊端和は史実では男性で、秦に仕えた将軍の一人だった。さらに、清野菜名が演じた羌瘣も史実は秦の将軍で男性と考えられている。この二人は、王翦将軍とともに趙を滅ぼすという大きな戦火を挙げている。

実際に調べてみると、史実はかなり本作と異なることがわかる。しかし、だからといってフィクションをただのニセモノと思って捨ててしまうのはあまりにももったいない。なぜなら、歴史とは、今わかっていることが全てではないからだ。

鶴間教授も、「作品に触れ、歴史書の空白の部分を埋めてくれるフィクションの中にも、実は真相が隠されているのかもしれないと感じた」と『キングダム』原作マンガを読んだ時の感想を述べている(※3)。実際、主人公の信などは生年月日も没日も資料が残っておらず、まだわからないことが多いそうだ。歴史の研究は、史料を並べるだけでなく、その間の空白に何があったかを見出す作業だと鶴間教授は語っており、それはある種のフィクションを作る作業と似ているのではないだろうか。

人類の長い歴史には、むしろ発見されていない事実の方が多いはず。そういう歴史に想いを馳せて物語を生み出すのも、歴史を深める貢献につながる部分があるだろう。そんな見事な原作マンガを、生身の肉体で表現することに挑んだ実写映画『キングダム』も、歴史を深めることにつながる、凄味のある作品になっていると筆者は思う。

引用・参照

※1:https://bunshun.jp/articles/-/71640?page=2
※2:鶴間和幸『始皇帝の戦争と将軍たち』朝日新聞出版社、P160
※3:同上、P243



ライター:杉本穂高
映画ライター。実写とアニメーションを横断する映画批評『映像表現革命時代の映画論』著者。様々なウェブ媒体で、映画とアニメーションについて取材・執筆を行う。X(旧Twitter):@Hotakasugi