1. トップ
  2. ファッション
  3. 大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

  • 2024.8.27
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

Text by 佐伯洋(編集部)

日本人選手のヨーロッパ挑戦は増加の一途を辿っているが、近年はJリーグを経ずにそのまま海を渡るケースも多い。

先日にはオランダ1部のNECナイメーヘンが、慶應義塾大学ソッカー部に所属するFW塩貝健人を狙っていることが報じられた。

そこで今回は、大学から直接ヨーロッパへ渡った選手たちをみてみよう。

平山相太

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

筑波大学→ヘラクレス・アルメロ(オランダ)

「大学サッカーからヨーロッパ」という道を選択して最初に話題になったのは平山相太であろう。

国見高校時代に全国サッカー選手権で2年連続得点王に。アネテ五輪に高校生で唯一選出された稀代の“怪物”は、卒業後の進路が注目されていた。

恩師・小嶺忠敏監督の助言もあり、国内外のオファーを断って2004年4月に筑波大学へ。ただ自身2度目の出場となった2005年ワールドユースで周りとの成長の差を痛感し、急遽大学を休学してオランダのヘラクレス・アルメロと契約した。

オランダでは1年目で9得点を記録する活躍をみせた。ただ新監督に代わった2年目の夏に構想外となりそのまま帰国。以降再びヨーロッパでプレーすることはなかった。

現在は現役を退き、仙台大学で監督を務めている。

林彰洋(ベガルタ仙台)

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

流通経済大学→プリマス・アーガイル(イングランド)

槙野智章、安田理大らと同じ“調子乗り”世代で、2007年ワールドユースで守護神を務めた林彰洋。

流通経済大学付属柏高校では高校ナンバーワンGKとの評価を受け、流通経済大学に進学後の2007年には大学生でありながらイビチャ・オシム監督の日本代表候補に選出された。

190cmを超す日本人離れした体型で期待は大きく、複数のJクラブからオファーを受けた。しかし本人は海外志向が強く、2009年9月にイングランド・チャンピオンシップのプリマス・アーガイルと契約。

プリマスでは出番がなく、当時3部だったベルギーのシャルルロワへ移籍するもケガで出場機会は限られた。2012年には日本に戻って清水エスパルスに加入し、以降移籍を繰り返しながら10年以上に渡ってJリーグの舞台でプレーしている。

長澤和輝

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

専修大学⇀ケルン(ドイツ)

先日、自身2度目となる海外挑戦のためにベガルタ仙台を退団した長澤和輝。

地元・千葉の八千代高校時代には主将として全国高校サッカー選手権大会に出場し大会優秀選手に。専修大学では全日本大学選手権優勝や関東大学サッカーリーグ戦3連覇を達成した。

大学時代には横浜F・マリノスから特別指定を受けている。しかしユニバーシアード日本代表のドイツ遠征時に1.FCケルンからスカウトされ、ヨーロッパでプロキャリアを始めた。

ケルンでは大迫勇也ともプレーし存在感を示していたが、大きなケガもあり日本へ帰国。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の日本代表にも定着しかけたものの電撃的な監督交代もありワールドカップ出場は叶わなかった。

渡邊凌磨(浦和レッズ)

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

早稲田大学⇀インゴルシュタット(ドイツ)

浦和レッズで欠かせない存在となっている渡邊凌磨も、大学から直接ヨーロッパへ渡っている。

群馬の強豪である前橋育英高校3年生時に全国高校サッカー選手権で準優勝に輝き、大会優秀選手に。高校卒業後は早稲田大学へ進学した。

ただ高校選抜で渡独した際にドイツのインゴルシュタットからオファーを受けたため、急遽ヨーロッパ行きを決断。入学から間もない2015年9月にインゴルシュタットU-23に加入することが発表された。

ドイツではフィジカルの違いに悩まされ、トップチームでの出場がないまま日本へ帰国。その後、新潟、山形、FC東京で経験を積み、今年から浦和でプレーする。

小池裕太(横浜F・マリノス)

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

流通経済大学→シント=トロイデン(ベルギー)

今年4月に右膝前十字靭帯断裂から復帰を果たした小池裕太も、プロキャリアの第一歩はヨーロッパだった。

アルビレックス新潟ユース出身だが昇格はならず。流通経済大学では全日本大学サッカー選手権大会で優勝するなど大学屈指の存在となり、「長友以上の選手になる」と評価された。

その後、岡田武史氏から早期のヨーロッパ行きを後押しされたこともあり、サッカー部を退部。2018年夏、日本人に所縁のあるポルティモネンセ、シント=トロイデンという選択肢の中から後者に加入することが決まった。

ただシントでは1試合も出番を得られず1年で日本へ。鹿島、セレッソ大阪を経て、現在は横浜F・マリノスに所属している。

佐藤恵允(ブレーメン)

大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後
大学からJリーグを経由せずヨーロッパへ渡った日本人選手6名とその後

明治大学⇀ヴェルダー・ブレーメン(ドイツ)

コロンビア人の父と日本人の母を持つパリ五輪代表のアタッカー。

実践学園高校時代は目立った実績はなかったが、進学した明治大学では先輩の常本佳吾(セルヴェット)、佐藤瑶大(浦和)らと日頃からマッチアップして個人技を磨いた。

ここで磨いた1対1でのドリブル能力が評価され、パリ五輪を目指す日本代表にも定着。2023年夏には明治大学サッカー部を退部し、ドイツの強豪ヴェルダー・ブレーメンと契約した。

昨季1年間プレーしたブレーメンのU-23チームが5部だったため、パリ五輪のメンバーに選出された際には「5部リーグでプレーする選手」として話題になった。

ブレーメンU-23は昨季昇格したため、今季は4部リーグでプレーしている。

元記事で読む
の記事をもっとみる