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襟がなくなるほどボロボロの上着を着る男!? ゴーゴリ『外套』を笑いの観点から考察/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑫

  • 2024.8.26

「我々はみんなゴーゴリの『外套』から出てきた」 ドストエフスキーにこう言わしめるほどの名作、それがゴーゴリの『外套』である。 ゴーゴリが活躍した頃のロシアでは言論の自由がなく、真面目で真摯な作品が好まれた。 そんな時代にあって、ここまで「笑い」を含んだ喜劇を書いた作家は稀有な存在だと思われる。 実に計算されつくした構成は見事で、またかなりシュールな笑いも含まれている。 それがゴーゴリの魅力なのだと思う。

主人公は役所に勤める筆耕係(公文書を清書する)アカーキー・アカーキエヴィチ。 本筋と関係ないが、まずこのネーミングセンスが良い。 アカーキー・アカーキエヴィチ。 リングアナだったら口にしたい名前だと思う。 「赤コーナー、アカーキー・アカーキエヴィチ!」 話を戻すと、アカーキー・アカーキエヴィチは気が弱く真面目な性格で、仕事を受けるとすぐ清書にとりかかるような男だった。 同僚に小突かれたりすると「そっとしておいてください。何だってみなさんは僕をからかうんです」と言うような真面目すぎる男。 着ている服にも無頓着で、いつも服にちぎれた干し草だとか糸くずなんかがへばりついている。

そればかりか、やっこさんには一種独特な特技がありまして、通りを歩いていても、窓からありとあらゆるゴミが投げだされる、ちょうどその頃合いに窓辺を通りかかるという間合いのよさ。だもんで、いつもその帽子の天辺にスイカの皮やメロンの皮といったゴミをのっけて運んでいくんであります。ダ・ヴィンチWeb

いや、さすがにスイカの皮やメロンの皮は気づくやろ! 無頓着のレベルあれへんがな! と思うのだが、それぐらい彼は周りに興味がない。 物語の舞台であるペテルブルグは当然寒い。 なのにアカーキー・アカーキエヴィチの外套は見窄らしいもので、役人仲間の笑いの種になっていた。 その襟は年々縮小していて、ほとんどなくなっている。 襟なくなることある? と思うが、理由は他の箇所のツギ当てに使っているからだそうで、まあ、確かに襟があろうがなかろうが防寒の観点から見たら大差ないようには思える。 しかし、さすがにこれは酷いのかもしれないと思い、ペトローヴィチという男に修繕してもらおうとするが「新調した方がいい、ボロボロすぎる」と言われる。 金はなかったが何とか生活を切り詰めて結局新調することに。 するとみんなが外套を褒めそやし、パーティーにまで誘われる。実際にはみんなが褒めているのは冷やかし半分なのだが、上司に誘われたパーティーなのでアカーキー・アカーキエヴィチは渋々参加をする。 そしてパーティーの帰りに追い剥ぎに遭い、外套を盗まれてしまう。警察に相談に行っても組織は腐敗していて取り合ってもらえず盥回しに。そうこうしていると高熱が出て倒れてしまい、そのまま死んでしまう。 相続人がいるわけでもなく、最初からペテルブルグにアカーキー・アカーキエヴィチなんて存在していなかったかのような雰囲気に。 しかし、ある日突然、夜な夜なお役人の格好をした幽霊が出没する、という噂が広まった。 なんでも泥棒に遭った外套を探していて、似たものを着ている人を見つけると誰彼構わず引っ剥がしてしまうという。

九等官だけじゃない、三等官のおえらいさんまでもが、夜の夜中に外套を引っぺがされて背中や肩から風邪を引いたといいます。警察では通達を出しまして、とにかくその幽霊をひっつかまえろ、生死は問わない、逮捕したうえは見せしめに厳罰に処すという。ダ・ヴィンチWeb

幽霊に「生死は問わない」というあたりがゴーゴリのユーモアである。 アカーキー・アカーキエヴィチは結局あのとき助けてくれなかった警察のお偉方を見つけ「とうとう出会したぞ! よくも俺の外套を鼻で笑ったな!」と言って外套を剥ぎ取る。 そして、それ以来幽霊がぷっつりと出なくなった。 しかし、その後も町外れでは幽霊が出ると聞くが、それはアカーキー・アカーキエヴィチとは違うものだ、というところで物語は終わる。 この最後の蛇足のようなエピソードが実に上手いと思う。 「幽霊が出なくなった」という終わりではなく、少し余韻が残るような終わり方はビリー・ワイルダーの『あなただけ今晩は』の「それはまた別のお話」で終わる映画のようで実に見事だ。

この小説の構成の妙は、アカーキー・アカーキエヴィチが死後に強盗そのものの風貌になってしまうことである。 人間社会の歪さ、一人一人の人間は良くても組織に組み込まれると流されてしまう人間の弱さ、いじめられっ子だった人間がいじめっ子になるというような表裏一体の部分を深刻にではなく実に滑稽に描いている点である。 それを語るのに、外套というアイテムのチョイスも見事である。 社会的な体裁、対面、見栄、プライドといったものの象徴として抜群で、その外套がないと生活していくことも困難なペテルブルグが舞台というのもほぼ完璧である。 人間を、人間社会を、実にシニカルに、それでいてユーモラスに描いたロシア文学の嚆矢とも言えるゴーゴリの「外套」を是非読んでみてください。

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