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鬼才も認めたファッションフォトグラファー、キャスパー・セイェルセンという逸材

  • 2024.8.25
ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。
ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。

キャスパー・セイェルセン。キャスパー・セイェルセン。キャスパー・セイェルセン。2年間、この名前はあらゆる方面から私に迫ってきた。

友人たちは彼のことを話題に持ち上げ、彼がラース・フォン・トリアー監督のために撮影したキャンペーンについて話した。『VOGUE』には彼の写真が掲載され、ドリス ヴァン ノッテンDRIES VAN NOTEN)は2年続けて秋冬コレクションのルックブックに彼をフォトグラファーとして起用。

その後、同じデンマーク出身のセシリー バンセンCECILIE BAHNSEN)がパリのショーでセットとして使ったベルベット製の青リンゴも彼による作品だと知り、しまいには先月発表されたアレキサンダー・マックイーンALEXANDER McQUEEN)の2025年リゾートコレクションのルックブックを手がけたのも彼だと知った。キャスパー・セイェルセン。私の興味をそそるこの男は、一体何者なのか?

セイェルセンは、髭を生やした穏やかなデンマーク人で、ファッションの現状など、面白い切り口で物事を語る。Zoomで話をしたとき、彼は白シャツのボタンを外していて、はだけた胸もとにはバカンス帰りの小麦肌を強調するかのように、太陽の形をした金色のペンダントが輝いていた。タトゥーだらけの左手の指の1本には、リングが重ねづけされている。彼がまるで金色の輝きを放っているかのように見えたのは、身につけているジュエリーのせいではなく、運を味方につけているからだろう。

ロックミュージシャンとして名をあげることを夢見てコペンハーゲンに移り住み、その後、写真にのめり込んでいったセイェルセン。転機は映画監督ラース・フォン・トリアーの事務所から突然かかってきた、一本の電話だった。映画『ニンフォマニアック』(2013年)の脚本をベースにしたアートプロジェクトを自由に作る許しを得た彼は、後に「エロティシズムの視覚的な歴史」と評されるフォトエッセイ『Belongs to Joe』を制作。

私がセイェルセンの作品の何にこうも強く惹かれているかというと、一点の曇りもなく、鮮明に被写体をとらえているにもかかわらず、必ずしも「完璧」を追求しているわけではないところだ。彼の写真の多くは、何かが「ズレている」のだが、なぜそう感じるのか、どこがズレているのか正確に突き止めるのは難しい。それもあってか、セイェルセンの試金石のひとつが「かんじんなことは、目に見えないんだよ」という一節が出てくる『星のお王子さま』(1943年)だと知っても何ら驚かない。多方面で活躍する彼に過去のプロジェクト、そして今後の展望について聞いた。

すべてのはじまりは、プロデューサーからの一本の電話

ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。
ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。
ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。
ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。

──まずはじめに、ご出身はどちらですか?

私はデンマークの北部、オールボーという街の出身です。私が育った当時は、デンマークのリバプールのようなところで、大きな造船所やコンクリート工場があり、シュナップスが醸造されている治安の悪い工業都市でした。高校時代はドラムをやっていて、有名なバンドマンになるものだと思っていたので、コペンハーゲンに越してきました。同級生のほとんどがそうしましたね。かなり長い話なのでなるべく手短にまとめますが、そうしたら新しいドラムセットが必要になって、個人レッスンのお金も必要になったので、いろいろな仕事に就いたんです。

一時期4人でルームシェアをしていて、3人のルームメイトのうちの一人がドキュメンタリーフォトグラファーで、その兄がここコペンハーゲンで有名なコマーシャルフォトグラファーだったんです。彼は週に2回、スタジオの掃除をしてくれる人が必要で、その要員として私を雇いました。なので、この業界にはたまたま入っただけなんです。自分にクリエイティブなビジョンがあったわけではなく、新しいスネアドラムを買うためのお金が必要なだけでした。スタジオを何度か掃除しているうちに、彼がわりといいレコードコレクションやHiFiオーディオシステム、エスプレッソマシンを持っていることに気づいて。すべてがどこかシックに見えました。それで、自分もフォトグラファーになりたいと思ったんです。ですから、本当にクリエイティブな視点を一切持たずにこの道を進み始めたんですけれど、かなり早い段階でこれが自分のやりたいことだとわかりました。

──初期の頃はどんな感じでしたか?

ルームメイトの兄のもとで長いこと働いて、その後別のコマーシャルフォトグラファーのもとに移りました。そこでは車やビールなどの大きなキャンペーンを撮っていたので、かなり専門的で技術も必要でしたね。毎日16時間働き、スタジオで寝ていました。自分の写真は全く撮らなかったです。単に時間がなかったので。

そこをやめたとき、自分が何をしたいのか、自分のスタイルはどういったものなのか、何もわかりませんでしたが、それでも結構な数のクライアントがそのままついてきてくれました。ちゃんとしたポートフォリオを持たずに、行き当たりばったりでキャリアをスタートさせた感じですね。ビジネスとしてはよかったんですけれど、フォトグラファーであるということが一体どういうことなのか、わかっていませんでした。

もう写真を撮るのはやめようと思った時期がありました。予算もセンスもアイデアもないアートディレクターの案件ばかりやっていて、カフェでも何でもいいから、ほかのことをやりたくて。その時点で15年くらい一人でコペンハーゲンでコマーシャルフォトを撮っていて、ファッションは全くやっていませんでした。そうしたらある日突然、ラース・フォン・トリアーのプロデューサーから電話がかかってきて、『ニンフォマニアック』のキャンペーンをやらないかと誘われたんです。

──それについて詳しく聞かせてください。

フォトグラファーの道を諦めかけていたところだったんですけれど、キャストを見たら、自分の憧れの人たちばかりだったんです。シャルロット(ゲンズブール)ユマ(サーマン)にデンマークでも指折りの俳優たちが勢揃いで。ラースも実は、私が写真を始めたきっかけとなった存在の一人なんです。彼の初期の頃の映画が本当に大好きで。

あの映画のキャンペーンを覚えているかどうかわからないですけれど、とてもユーモラスなものでした。簡単に言うと、オーガズムに達している人たちの白バックのポートレート写真です。当時、私は違うスタイルで撮っていましたし、ほかにもいろいろな理由があってキャンペーンのオファーに対しては懐疑的でした。でも、プロデューサーが「お願いします。絶対にうまくいきますから」と言われて、脚本を送られました。それが脚本というよりかは3、400ページもある小説仕立ての文学作品で、これがまたすごくて、ただただ圧倒されましたね。

キャンペーンとは別に、この脚本で何かやりたいと思って。そこで(プロデューサーの)ルイーズに電話にして、自分のアートプロジェクトをやりたいと言いました。調べてみると、舞台裏写真を掲載したハリウッド映画の本はたくさんあったんですが、スチルカメラマンが脚本を独自に解釈して作られた本は、まだ一冊も出されたことがないと知って。自分なりの解釈で何かやりたかったんです。

『ニンフォマニアック』の百科事典のようなものを作りたい、人工物や骨董品といったものを撮りたいと伝えました。そうしたら後日、ラースがアイデアを大いに気に入ってくれたという連絡を受けて。ただ条件がひとつありました。それは、私が完全に主導権を握って制作すること。俳優の何人かを撮影したいのであれば、サポートするが基本的には私が自由に作る。ラースは本が印刷されて完成したら確認すると。彼はプロデューサーが干渉するのを嫌うので、やりたいようにやってくれていいと言われました。私のことを信頼していると。

──かなり大事じゃないですか。それで、どのように進めたのですか?

写真の多くは、映画が撮影される前に撮ったものだったので、まっさらな視点で世界観をとらえている、映画をただ複写したものにはならないと確信していました。被写体となる骨董品は揃っていて、鞭は製作チームが送ってくれたものです。映画の中心的なシーンに登場するドイツにある木も撮ったんですけれど、映画ではどうとらえられているかではなく、自分の感性に従って撮りました。憧れの人が私に任せてくれたので、このプロジェクトが長年仕事で撮ってきたような写真から抜け出すための足がかりになる気がしたんです。本のための写真を撮っていた数カ月間のことは、ほとんど覚えていません。人生で初めて、すべてが流れるように進んで。何も考えなくても、自分の写真がどんどん撮れたんです。

降ってきたチャンスを掴んでたどり着いたファッションフォトグラフィーの世界

『アクネ ペーパー』16号より。
『アクネ ペーパー』16号より。

──ファッションフォトグラフィーの世界に入ったきっかけは?

イースターの休暇に家族とギリシャに行ったんです。スマホが圏外の場所で、電波が入るところがひとつしかなかったので、そこで毎日メールをチェックしていました。(ある日)ファッション誌の『Self-Service』からメールが来ていて、削除するところだったんですけれど、マリ=アメリー・ソーヴェからの撮影依頼メールだと気づいたんです。彼女がゲストエディターを務める2014年41号に掲載される5つのポートフォリオストーリーのうちのひとつとカバーストーリーのひとつを撮らないかという内容で。(当時はまだ)ファッション関係のことはやっていなかったので、彼女が誰なのか全く知りませんでした。その仕事を引き受けて、知らないうちにこの業界に入り込んでいた感じですね。下積みとか、通常のプロセスはなんだか全部避けて通ってしまって……。

雑誌が発売され、コペンハーゲンに戻ってきて、今まで通り仕事を続けました。そうしたらロンドンの元エージェントから電話がかかってきて、『これはチャンスだから、何とかものにしないければならない』と言われて。その日を境に、自分の人生の傍観者から主体者になった感じです。『Self-Service』は私がファッション業界に入ったきっかけで、あのプロジェクトはある意味、自分が写真で何をしたいのか気づかせてくれました。後悔したことは一度もありません。

『アクネ ペーパー』(2021年)より。
『アクネ ペーパー』(2021年)より。

──写真を通して表現したいことは何ですか?どういったビジョンのもとで創作されていますか?

自分のアプローチについて話すのは難しいです。私は、いくつかの方法で写真を撮っています。例えば、スタジオとロケの実質的な違いについて話をするならば、スタジオで撮影するときは日常生活の中の奇妙なディテールを作品に取り入れるのが好きなんです。ロケで撮影するときは、ロケ地をスタジオのように見せようとします。一種の無人地帯みたいな場所のように写すためにね。

私は異なるものを組み合わせるのが好きですし、コンセプトを決めるのが好きです。それはときに複雑なものだったりしますし、完成した写真を見たときに自分にしかわからないものかもしれません。私は、自分自身に障害を課すのが好きなんです。何でもやっていいとなると、ある意味自由がありすぎるとも言えて、あえてルールを設けています。

セットは自分で作るのが好きで、いつも参考にするものがいくつかあります。別に嫌いなわけではないんですけれど、ファッション誌を買ったり、現代写真を見るのはやめました。絵画や彫刻、映画など、写真以外のものからインスピレーションは得ようとしていますね……。

言葉や文章にもとても惹かれます。行動が描写されている文章を読むと、それを自分なりに自由に解釈するんです。あるポッドキャストを聴いて知ったんですけれど、デヴィッド・ボウイは作詞するとき、適当な文章をただ流用してリミックスしていたそうです。

ものすごく月並みだと思われてしまうかもしれないですが、私はいつも『星の王子さま』を参考にしてしまうんです。物語に登場するひとつひとつの惑星が、小さなセットみたいだなと思うので。最近、タレントを星の王子さまになぞらえて、「惑星」で囲むような撮影をしたんです。小さな盆栽、コップ一杯の牛乳、ジョーン・ディディオンの本など、とてもシンプルでアイコニックだけれどまとまりのあるものを彼の周りに配置しました。深い意味はないかもしれませんが、出来上がった写真を見ると、なぜ盆栽がこっち側にあって、牛乳とはどう関係しているのか考え始めるんです。こういった小さな惑星を表現するのが好きで、いつもあの本に立ち戻ります。

『星の王子さま』(1943年)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作
The Little Prince (Le Petit Prince)『星の王子さま』(1943年)アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ作

──「直感」というものが作品でどのような役割を果たしているのか興味があります。

直感がすべてです。昔アシスタントをしていたコマーシャルフォトグラファーからそう学びました。準備万全で臨み、プランA、プランB、そしてプランCまで考える。そうすれば、晴れ渡る青空の画が撮りたいのに土砂降りでも、求めている画を撮ることができます。クライアントが望む写真を撮るためには、スモークや鏡といったあらゆる技を知り尽くしていなければなりません。それくらいしっかり準備しておけば、撮影では直感を働かせることができます。準備が万端だと、方向性を変えることができるんです。撮影中にたまたま振り返ってみたら、空に二重の虹がかかっていて急遽それを撮ることにする、みたいにね。万全を期すことと直感は、切っても切れないものなんです。

『d la Repubblica』(2022年)より。
『d la Repubblica』(2022年)より。

──あなたにとって「いいファッション写真」とは何でしょうか?

私にとって大切なのは間違いなくストーリー性で、あとは被写体となるタレントにインスパイアされるかどうかです。私は形や質感、シルエットから大いにインスピレーションを受けています。お気づきでしょうが、異なるものを組み合わせるのが好きなのでね。

とてもシックでエレガントなのに、靴の中に小石が入ったときのような、いわばどこか違和感があるファッションがすごく好きなんですけれど、主に好きなのはベージュ、パープル、レザー、ナイロンのやフェルトの質感といった、私個人の変わったフェチを混ぜて盛り込んだファッションです。黒板を爪で引っ掻いたときのあの不快感や、有機的なものとすごくシャープでメタリックなものが同じ絵の中に収まっているのが好きなんです。どちらかと言うと、ファッションをキュレーションしている感じに近いですね。

セシリー バンセン 2024-25年秋冬コレクションより。
FASHION-FRANCE-WOMEN-CECILIE BAHNSENセシリー バンセン 2024-25年秋冬コレクションより。

──セシリー バンセンの2024-25年秋冬のランウェイショーのためにデザインした、大きなベルベットの青リンゴについてもう少し詳しく聞かせてください。

最初は写真を頼まれたんですけれど、その後コンセプトを考えてくれないかと言われました。自分で言うのも何ですが、私は自分のことをフォトグラファーだとは思っていないんです。ドラムを叩いていた頃と同じで、カメラを手にしたのは自然の成り行きですが、たまたま自分の道具がカメラなだけで、アイデアそのものを構想することのほうがよっぽど好きなんです。そこで、あの大きなベルベットのリンゴを思いつきました。本当はこういう、物理的な何かを生み出すことをもっとやっていきたいです。今はAIで多くのことが行われているので、逆に未来のクリエイティビティの形かも知れませんね。ほんの5年前と比べて、フォトグラファーの数は10倍になりましたが、出回っている案件は以前の半分ですし。

いつの時代も、私たちは実際にどこかへ足を運んで、匂いを嗅いだり、生きているものをこの目で見たりする必要があります。(物理的な表現では)好きで撮っている質感を、人びとが実際に手で触れられる方法で使うことができるんです。

──ファッションの仕事を始めてから、業界にはどのような変化がありましたか?

あらゆるものにアクセスできるようになり、あらゆるものがデジタル化されているにもかかわらず、出回っている写真の数がどんどん少なくなっているのがわかります。まるで1,000枚の画像しかない貯蔵から、何か引き出そうとしているようなものです。グイナビア・バン・シーナスが壁紙のタペストリーを掲げているジル サンダーJIL SANDER)の90年代のキャンペーン写真は、ピンタレストで200回くらい保存されていて、そのせいで見飽きました。この例えで年齢がバレますね。

私はグーグルが検索エンジンとして公開された1996年にアシスタントをやめたので、プロジェクトのためにリサーチが必要なら図書館に行くしかありませんでした。今はムードボードもプロジェクトのブリーフもどんどん絞り込まれているので、そんな暇はないですが。なぜ昔はもっと独創的な写真が多かったと言うと、今ほどの速さで作品が真似されることがなかったからだと思います。これは、ファッションに対しても言えることかと。

デザイナーやミュージシャン、フォトグラファーが活躍するクリエイティブシーン全体がより民主的になってきています。つまり、私が見ている限りでは、本当に才能がある人は何千人といるが、中堅どころがかつてないほど多くいるということです。デヴィッド・ボウイのような逸材の人数は相変わらず限られていますが、そのすぐ下のレベルの人たちが、今はとても多いのです。

──コペンハーゲン・ファッションウィークでは何か予定されていますか?

自分が本当に好きな若手ブランドをいくつか手伝う予定です。例えばボネチェ(BONNETJE)とか。私が撮影をして、妻がスタイリングをします。

『IDA - HERE SHE COMES』(2024年)より。
『IDA - HERE SHE COMES』(2024年)より。

──この業界はこれからどうなっていくと思いますか?

ビッグブランドにとっても、今は本当に大変な時期です。なので皆、新しいアプローチをとるようになるでしょうね。フォトグラファーの立場から言うと、これまで見てきたように、変化が必要です。白い背景にロゴを入れたキャンペーンはもう通用しません。90年代に見られたような、もっとクリエイティブでアーティスティックなものへと回帰し、変わっていかなければなりません。今は間違った方向へ向かっていると、経営幹部が気づくといいです。これまで打ち出されてきた多くのキャンペーンは、非常につまらなくて、とても無難で、ブランドの経営層などがこれらをもう一度見直し、周りとは違う何かをしなければなれないと気づいてくれることを期待しています。

アレキサンダー・マックイーン 2025年リゾートコレクションより。
Generated imageアレキサンダー・マックイーン 2025年リゾートコレクションより。
アレキサンダー・マックイーン 2025年リゾートコレクションより。
Generated imageアレキサンダー・マックイーン 2025年リゾートコレクションより。
シャンシア 2024年春夏コレクションより。
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ドリス ヴァン ノッテン 2022-23年秋冬コレクションより。
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アクネ ストゥディオズ 2022年春夏メンズコレクションより。
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ドリス ヴァン ノッテン 2021-22年秋冬コレクションより。
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アクネ ストゥディオズ 2021-22年秋冬メンズコレクションより。
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アンブッシュ®︎ 2021年春夏コレクションより。
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ザ・ヴァンパイアズ・ワイフ 2020年春夏コレクションより。
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セルフシネマ 2020年春夏コレクションより。
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ヤン・リー 2019年プレフォールコレクションより。
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コルヴィル 2019-20年秋冬コレクションより。
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ディラーラ フィンディコグルー ブライダルコレクションより。
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Text: Laird Borrelli-Persson Adaptation: Anzu Kawano

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