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声優人生50年・井上和彦インタビュー。自叙伝『風まかせ』で綴った原点と、記念公演『エニグマ変奏曲』での新たな挑戦に迫る

  • 2024.8.25

声優デビューから50年。『サイボーグ009』の009(島村ジョー)、『美味しんぼ』の山岡士郎、『NARUTO -ナルト-』のはたけカカシ、『夏目友人帳』のニャンコ先生/斑など、二枚目、クールな役柄からコミカルなキャラクターまで幅広く演じ分け、日本の声優界を牽引してきた井上和彦氏。

そんな井上氏は2024年3月に、自叙伝『風まかせ』(宝島社)を上梓した。風を読み、環境に応じて立ち回る——「長年の趣味・ウィンドサーフィンと声優のお仕事は、通ずるところも多いんです」と語る、井上氏独自の人生哲学が込められたタイトルも印象的だ。

今回は、節目の年を迎えた井上氏に、自叙伝に込めた思いや声優としての原点を、そして8月23日〜25日に控える50周年記念公演『エニグマ変奏曲』への意気込みを語っていただいた。

自叙伝『風まかせ』に込めた、井上和彦の人生

――2024年に声優人生・50周年を迎えましたが、率直にどんなお気持ちですか。

井上和彦(以下、井上):気づいたら50年経っていた、という感覚ですよね。20〜30代の頃は「40代ぐらいまでできれば良いかな」と思っていたんです。僕が声優を始めた頃は悲しいことに50代で亡くなる先輩方が多く、60歳を超える方ってあまり多くなかったんですよ。だから10年前は「60歳を超えた」としみじみして……。でも70歳まではすぐでしたね。その10年よりも、もっとあっという間に80歳まで行っちゃうんだろうな(笑)。

――2024年3月に発売された自叙伝『風まかせ』の出版も、声優50周年の節目としてオファーがあったのでしょうか。

井上:そうですね。声優人生が50周年、僕自身はちょうど70歳になるので、何かできると良いねと話していたときに「本を出したらどうですか」と。当初の方向性のひとつに「声優になる方法」を示すようなアイディアもあったのですが、多分ファンのみなさんは、どういう育ち方をして井上和彦が声優になったのか、そしてこの仕事を50年も続けちゃったのはなぜなのか、みたいな(笑)。そこが知りたいんだろうなと考えていました。

その中で、仕事を楽しく続けるヒントや、僕の生き方が皆さんの人生にとって少しでもプラスになる気付きがあれば嬉しいなと思い、本を出すことにしました。

――幼少期の話も、新鮮な気持ちで拝読しました。

井上:お芝居とは直接関係ないかもしれないですが、僕が育った横浜の下町はすごく恵まれた環境だったように思います。近所の人たちが親戚のようで、裕福ではないけども、みんなで力を合わせて生きていた時代だったんですね。

あの頃を振り返ると、テレビを買ったというのはすごくポイントが高かった。それによって多くのお客さんが、両親が営む中華食堂へラーメンを食べに来てくれたんです。僕はそこでプロレスを見たり、父親が好きな洋画の吹き替えを見たり。声優になろうと思って見ていたわけじゃないけど、思い返すとずっとそういう映像を見ていました。

――当時のアニメはどんなものを見られていたのでしょうか?

井上:やっぱり『鉄腕アトム』とか、絵が動くのが不思議でしたね。あとは『W3(ワンダースリー』『少年ジェット』『月光仮面』とか、何でも見ていました。

「人に楽しんでもらうこと」を知った、中学生時代

――『風まかせ』を書く中で、久々に思い出した記憶などはあったのでしょうか。

井上:ほとんどそうです。でも子どもの頃の話は、書きたかったことの20%ぐらいしか入れられなかったと思います。

――泣く泣く削ったものが多かったんですね。

井上:例えば、僕が住んでいた横浜市西区久保町というところに子ども会があったんですが、その活動を手伝った話はボリュームの都合で割愛しています。

中学生に上がるとき、子ども会をまとめていた方から「井上くん、小学校の子どもたちの面倒を見るジュニアリーダースクラブっていうのを作ろうと思うんだけど、お手伝いしてくれる?」って言われて「良いですよ」と。40日ほどある夏休みのうち、30日ぐらいは研修会に参加したりキャンプに行ったりしていましたね。

――お兄さんとして小学生たちの面倒を見ていたんですね。

井上:「みんな来て〜」って呼びかけたりして。「今日は落下傘を作りましょう」と、ビニール袋と糸でパラシュートの形を作り、ビー玉を重しにして校舎から校庭に向かってみんなで投げた日もありました。雨が降ったらキャンプファイヤーができないから、木を持ってきてそこにろうそくを立てる「キャンドルファイヤー」を作り、その周りをみんなで囲ってゲームをしたこともあったかな。日々の中で、その場に合わせて人を楽しませながら引っ張っていく経験を積んで。

20歳ぐらいには「井上くん、声優目指しているんだって?」とまた声をかけてもらい、地元の小学生が作った紙芝居を、僕が読むというイベントもありました。それが今度は東日本大震災の話に繋がるんです。

――本の中でも、ボランティアに行った話をされていましたね。

井上:そうですね。たしか地震があった1カ月後ぐらい、2013年の4月に岩手県陸前高田市へ炊き出しに行ったときのことです。一緒に行っていた、友人のラジオDJ・KOUSAKUくんが子どもたちを集めて、急に「はい、何かやって」って僕に促すんですよ。「何か、って何?」ってなるじゃないですか。

――すごい振りですね! 結局何をしたんですか?

井上:ふとフラフープが見えたので「今からこのフラフープを投げるからね。おじさんが指でパチンと合図したら、これが不思議と戻ってくるんだよ」と。そうしたら子どもたちは興味津々ですよね。それでピューっと投げて、指を鳴らしたら戻ってくる。「すごい!」とみんなが反応してくれたので「これでつかみはOKだ」と(笑)。そのあとは「おじさんたちは声優っていう仕事をしているんだよ」と話し、近くにあった本棚から本を選び、KOSAKUくんと1ページずつ読み聞かせをしたんです。

こういう、何もないところから遊びやルールを作って「どうやったら楽しんでもらえるか」を考えるのは、中学生時代の経験から今まで、ちゃんと繋がっているんじゃないかな。

50周年記念公演『エニグマ変奏曲』で二人芝居に挑む

――8月23日から始まる、関智一さんとの二人芝居『エニグマ変奏曲』についても聞かせてください。どんな経緯があったのか気になります。

井上:ちょうど一年前、2023年の夏頃、ちいち(関智一さん)とご飯に行く約束があったんです。そこで「来年は50周年だから、何やろうかと思っているんだよね。一人芝居で何か楽しいの見つけてやろうかな」と雑談のようにこぼしたら「二人芝居やりましょうよ。俺、和彦さんと一緒にやりたい」って言ってくれて、その場でどんどん話が進んで(笑)。あとで事務所に伝えたら驚かれましたね。

――急展開だったんですね。今、稽古はもう始まっているんですか?

井上:まだ本読みを2回したぐらいなのでこれからです。8月に本格的に始まるまでは各自で練習かな。僕の課題は何より、セリフの量。ここまで長いセリフを言ったことがないし、フランスの戯曲だから言い回しも難しい。

でも、本当に楽しみです。ちいちは劇団も持っているし、脚本も全部自分で書ける。以前その舞台に出させてもらったこともあるけれど、がっつり2人でお芝居ができるなんて、本当に素晴らしい機会をもらいました。ちいちとは、20歳ぐらい離れているんですけど。

――あまりその差を感じない関係なんでしょうか。

井上:全然関係ないです。いや、もしかしたら気を遣ってくれているのかもしれない(笑)。

――8月23日から25日の3日間で5公演ありますが、ファンのみなさんにはどんなところに注目してほしいですか?

井上:僕が演じるノーベル賞作家のアベル・ズノルコは、一見とっつきにくい性格に思えるんですが、人間的な魅力があるんですよね。大人だけど少し子どもっぽい、かわいげがある。後半に向かうにしたがってそういう側面が見え隠れすると思いますし、ハッとさせられる展開も待っています。

個人的には、東京・博品館劇場で50周年の公演ができるというところも感慨深いです。デビュー時、ソロライブをやった場所が博品館なので、縁があってまたステージに立てるのはありがたい。そして、この『エニグマ変奏曲』の世界に浸れば浸るほど「これが50周年でやるお芝居なんだな」という気がはっきりしてきて、僕自身本当に楽しみです。

お芝居は、考えるより「その気でいられるか」

――声優や舞台のお芝居そのものについても聞かせてください。新たな役を務める場合は、過去の「演技の引き出し」を少しずつ引っ張ってきて、カスタマイズするような感覚なんでしょうか。

井上:結果的に「昔演じた役と通ずるところがあった」とはなるかもしれないですが、最初にそういう考えは持っていないかもしれない。

お芝居ってやっぱり何かの役、時には人間だったり、動物だったりするけど、何かには“なる”わけですよね。その何かになったときに「その気でいられるか」っていう。「こういう風に喋ったら良いのかな」「こういう声にしたらそれっぽく聞こえるかな」っていうのは、演じているとは言えないと思うんです。

――考えるのではなく、フラットに「最初からその役になっている」という感覚なんですね。

井上:そうですね。昔は僕も頭でっかちになって、思うように芝居ができなくて悔しい思いをしてきましたけど、人間って大したこと考えられないな、って。だって、意識して心臓を動かしていないですよね。体が全部勝手にやってくれているじゃないですか。

だから、体にちゃんと役であることを感じさせる。感じさせて、本当に体から役になってしまえば、自分が頭で考えていなかった反応が出てくる。それが、泥臭い練習の中で分かってきて。

――どんな練習をされてきたんでしょう。

井上:自分がいる空間をまず覚えて、家に帰ってさっきの空間を思い出しながらお芝居をしてみたり。逆に家の中を観察して、外に出かけて、外で自分の部屋にいる感覚を作って練習したりとか。

――それは、ご自身で編み出した方法なんですか?

井上:僕の師匠・永井一郎さんから教わりました。こういう話は養成所でも教わると思いますが、多くの人は何回かやってみて、できた気になってしまうんです。僕は自分で「できた」と思えない、むしろできないことが悔しくてしつこくやっていましたね。諦める感覚が昔からあまりなくて(笑)。

でもこの練習が一番大事だったと思います。地道に練習していくと、条件を整えてイメージすることで周囲の空間が作れるようになって、役になれる。そうすると自然と気持ちが動く。気持ちを動かすんじゃなくて、気持ちは条件を整えれば動くんです。

――実際、役作りに苦労される声優さんもいらっしゃるかと思うのですが、井上さんから見ていてそういう方々にはどんな傾向があると思われますか。

井上:とにかく早くかたちにしたいんですよね。だから、それこそそれっぽく見せてしまう。でもそれっぽくやっても個性は輝かないし人の心も動かない。僕の若手時代はそういう表現のところを、先輩方に飲みに連れて行ってもらったときに教わっていました。今はノウハウとして、養成所などでシステム的に学ぶことができますよね。

学校のように学べる場所があるのは、日本人に合っていると思う一方で、そこから個性を出して「役になる」ところは、経験値を増やしながら培っていく必要があるのだと思います。

多くの作品に関わり、画面の中で生き続ける

――幼少期のお話から演技論まで、詳しく聞かせていただきありがとうございました。最後に、今後の目標やチャレンジしたいことがあれば教えてください。

井上:できるだけ多くの作品に関わりたいです。エンドロール(クレジット・タイトル)に「井上和彦」っていう名前をたくさん残したい。

僕の先輩の中には、残念ながら亡くなられている方もいます。でも、月日が経ってもテレビでアニメが流れると、その声が聞ける。「先輩方が画面の中で生きている」っていう感覚がすごく嬉しいんです。僕もそういう風になって、いつまでも誰かに喜んでもらえる存在になれたら良いなと思います。

それに、年々お芝居が好きになっているんです。この気持ちのまま今後も、見ていて楽しいキャラクター、今までの井上和彦とはまた違ったキャラクターをたくさん演じたい。声優になって半世紀経ちましたが、ここから先も悔いのない1日1日を送りたいです。

取材・文=ネゴト / 松本紋芽

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