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大王「世宗」がハングルを作ったときに大反対したのはどんな人たち?

  • 2024.8.25

朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)が民族固有の文字「訓民正音(フンミンジョンウム)」を公布したのは1446年9月だった。この「訓民正音」は“民に教える正しい発音”という意味で、世宗は公布のときに「学問がない人は、言いたいことがあっても、思いどおりに意思を表すことができない。これを不憫に思って、新たに文字を作った」と意義を強調している。

それ以前に民族に固有の文字はなく、中国から伝わった漢字が公式の文字だった。しかし、学問をする機会がない民衆は漢字を覚えられなかったので、両班(ヤンバン)を中心とする特権階級だけが、文字を自在に操ることができた。このことを理不尽だと考えた世宗は、民族固有の文字の創製に着手する。そして、優秀な学者を動員して作り上げた。

とはいえ、せっかく公布された「訓民正音」なのに、なかなか普及しなかった。それは、政権を担う高官たちの抵抗が大きかったからだ。彼らにとっては、庶民が知らない漢字に習熟していることが特権階級の証だった。

わかりやすい文字が普及してしまったら、自分たちの権威がおびやかされてしまう。それが嫌で、歴代の高官たちは「訓民正音」を軽視し、漢字が公式の文字であり続けた。

19世紀末、26代王・高宗(コジョン)の時代にようやく「訓民正音」は「国文」として広く使われるようになり、さらには「ハングル」という名で呼ばれ始めた。これには“偉大な文字”という意味が込められている。

世宗
ソウル中心部にある世宗の像
世界の言語思想発達史

以後、漢字に代わる公式の文字として普及が進んで現在に至っている。それにともなって、創製を主導した世宗に対する評価が飛躍的に高まり、彼は韓国で最も尊敬を集める偉人になった。

その名声は世界にもとどろいていて、イギリスの出版社が2011年7月に出した「言語と言語学の50大重要思想家」の中に世宗が選ばれている。つまり、ハングルの創製は、世界の言語思想発達史の中でも大変重要な出来事だったという評価を受けているのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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