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【インタビュー】朝田今日子さん 「人生2度目の転換期へ」 年を重ねてわかった多様な愛の形とは?

  • 2024.8.25

閉経前後で心や体が大きく変化する「更年期」。英語では更年期を「The change of life」と表現します。その言葉通り、また新たなステージへ進むこの時期をどう過ごしていったらいいのか――。
聞き手にキュレーターの石田紀佳さんを迎え、さまざまな女性が歩んだ「それぞれの更年期」のエピソードを伺います。

今回お話を伺ったのは・・・
朝田今日子さん
1975年東京生まれ。1999年よりイタリアのウンブリア州で暮らす。阿佐ヶ谷のオリーブオイル店「ブオーノイタリア」店主。著書に『イタリア、ウンブリア地方のオリーブオイル・レシピ』(河出書房新社)、『オリーブオイルでとろけるやわらか野菜』(文藝春秋)などがある。

イタリアで迎えた大転換期

21歳のとき、美術を学ぶために、単身(拾ったネコと)渡ったイタリアで夫と出会い、二人が気に入ったウンブリア地方でオリーブオイルと出合う。
20代前半は朝田今日子さんの人生の大転換期だった。

「そのオリーブオイルはおいしいだけでなく、胆のうを除去していた母が食べても大丈夫だったんです。それで母が東京でオリーブオイルの店をはじめたのですが、7年後に激務のために体を壊してしまいました」

2008年、33歳の朝田今日子さんは8歳の息子を連れて帰国。
母は回復したが、息子の教育を日本でするため、2010年にはイタリアから日本に拠点を移す。生計を立てるために、オリーブオイルの店を継いだ。

「オリーブオイル店というと、なぜか優雅なように思われているのですが、実際は重労働なんですよ」 年に数回、2トン近いオリーブオイルが入荷する。

「もともと力持ちで細かい作業も好きだったので、若いころは、疲れてからが勝負! とばかり、頑張っていました。手伝ってもらっている人以上に働かなきゃと、目の前にある段ボールをどんどん運んで、細かいラッピングがある大量注文を最速で仕上げる。そんな仕事を15年ほど続けました」

ついに数年前に椎間板ヘルニアに。腱鞘炎も悪化し、コロナ禍の中、歩けなくなるほどの激痛に苦しむ。右腕は動かなくなった。

「水泳をしたり、ユーチューブの動画を参考に自己流で運動したのも逆効果だったようです」

幸い信頼のおけるトレーナーと出会い、なんとか動けるように。
「ここ数年はリハビリやトレーニングに通っています。子育てが終わって自分の体にも変化が起きています。これからどうするか、第二の転換期に入ったと思います」

毎日食べても飽きのこない、まるで白ごはんのような無塩パンをよく焼く。
塩分を気にしているわけではないが「小麦の甘味や香りが鼻の奥に抜けるのがたまりません」。

お店で扱っているオリーブオイルは、イタリア人の夫も驚いたほどの風味。

さみしくもうれしくもある息子の巣立ち

自分の人生の一部のように考えていた息子も大学生になって、 「あなたはそういう人だけど、僕は違うんだ、と意識的に言ってくるようになりました。
小さいころはおばさんみたいにおしゃべりで、なんでも話してくれていたのですが、今では会話は少なくなって、何を考えているのかわかりません。さみしいし、心配ですね。こちらから言いたいことはたくさんあるのですが、言ってはいけない、でも言わずにもいれなくて……」

会話が減ったとはいえ、マンガと食べ物など共通の話題もあり、荷物運搬など、今日子さんの仕事を手伝ってくれる。端から見ると、何も心配はなさそうだが、巣立っていこうとする子に対する母は、葛藤の真っ最中のようだ。

「さみしいけど、巣立ちは大きな喜びです。私も20代のときに将来のことなんて具体的に考えずにイタリアに行ったのに母は送り出してくれました。私もそうしたい」

しかし、やっぱり息子の内面は気になる。 「イタリアの小学校では、東洋人っぽいということでからかわれ、日本に来たらイタリア人気質でなんでもはっきり言うのでけむたがられたり、父親が一般的には祖父ぐらいの年齢なので友だちからそれを指摘されたりして、傷ついてきたのではないかなとも思います。本人はなにも言わないのですが」

それでも、一度だけ「お父さんのことをおじいちゃんって紹介してもいい?」と聞かれた。しかし、今日子さんは、自慢の父と思ってほしい、恥じることはないと「そんなこと言わないで」と止めた。

夫のいるイタリアと家族と仕事のある日本の間で

今日子さんが10代のころ、両親の離婚問題でさまざまなことが起こり、自分のことを「だ〜れも知らないところに行きたい」と思って決めたイタリア留学だった。

ローマで出会った夫となる人、シルヴィオさんは40歳も年が離れていたが、 「びっくりするくらい気が合いました。イタリア語はもちろん、イタリアでの食生活、音楽、芸術、人との接し方、仕事、サイクリングなど自分の好きなこと、今の自分が大事にしていることすべてを教えてもらった人です。二人でよく自転車旅行に出かけました」

シルヴィオさんは80代。イタリアに親しい友人が多く、気候も文化も違う日本で暮らすのは難しく、現在は別居している。
以来、年に2度イタリアに渡り、滞在する生活を10年以上続けてきた。

「日本にいると自分が半分だけのような気もします。イタリアにいる自分とどっちが本当の自分だろうかと。少なくとも子どもが独立するまでは今の仕事を続けないと生活が成り立たないのですが、夫との時間は限られているし、これからどうしていくか、今すごく悩んでいます。今年の夏は思い切って長く仕事を休んでイタリアに滞在しようと思っています」

年を重ねてわかった多様な愛の形

店先にはオリーブの木が花を咲かせていて、光がまわる明るい店内はイタリアを彷彿とさせる。
オリーブオイル、蜂蜜などは店頭売りのほか、オンライン販売も行っている。休業日には、ウンブリア地方の家庭料理教室を開催するが、すぐに満席に。

シルヴィオさんと暮らしたおかげで、今日子さんには年上の友だちがたくさんできた。ジャーナリストで多才なシルヴィオさんの友人はみなユニークで、今日子さんは多くの刺激を受けた。

「イタリアで夫と暮らし始めたころ、夫も友人たちも前妻や元彼とも家族のようにつきあっていることに違和感があって『どうして? そんなの私には理解できない』と友だちに疑問をぶつけることもありました。
友人は『パートナーだったときとは違う愛情はあるのよ』と言うのですが、当時はそれがなかなか理解できなくて。でも徐々に理解できるようになってきました。先日、当時のことを友人に話したら『あなたそう言ってたわよね〜』とほほ笑んでくれました」

性愛や精神的な愛、ときめく愛や成熟していく愛。年齢によって、個人によって、風習によっても、愛の形はさまざまだろう。

今日子さんはときどき、これほど夫と年が離れていなかったら、また別の人生だったろうな、と思うこともある。日本人の知り合いからは、とっとと再婚して第二の人生を歩めば? と言われることもあった。

けれどもシルヴィオさんへの愛情は移り変わりながらも深くなる。
彼との出会いは今日子さんにとって唯一無二の大切な人生だ。

「出会ったころはみんな、50〜60代。年齢のわりにすごく元気な人ばかりでした。それが今、歩けなくなった人も多くて。活動的だった夫も思うようには動けないからもどかしいと思います」

更年期の最中にありながら、夫を通して老年期にも直面する今日子さん。今後オリーブオイル店を続けるかも悩んでいる。

「えいや!って、すべてをやめたくもなりますが、このオリーブオイルで血糖値が下がったとか、体調がよくなったと喜んでくださるお客さまがいる。自分も役に立っているのかもと思うと、うれしいんですよね」

美術を学ぶために行ったイタリアで、オリーブオイルを使った料理を含め、暮らしをまるごと芸術にするような日々をみつけた。

今日子さんには、これから絵を描きたいという夢もある。
それがどうなるかは、まだだれも知らない。

〜私を支えるもの〜

幼いころからイタリアの話を(イタリアに行ったことのない)母から聞いて写真も見ていた。実際に暮らしてみると街中すべてが芸術で魅了された。
イタリアの自然も人も大好きになった。「今の自分が大事にしていることのすべて」を教えてもらった夫と出会った場所でもある。

20代から良質なオリーブオイルを使ったシンプルな地中海食を心がけてきた。
そのせいか「久しぶりに健康診断を受けたら、数値がよくて医師に驚かれました」。

20年以上家族や友人のために作ってきた料理が、これからの人生も支えてくれる予感。
「いろんなことがあるけど、ごはんがおいしいのが一番ですね」

仕事での重労働と手作業によって、腰と腕を傷めてしまった。
一時は歩けないくらいの痛みだった。コロナ自粛期間にネットで探した理学療法士のパーソナルトレーニングを受けるようになって、現在は回復傾向に。
「今でもだましだましですが、自宅でできることも教わって、毎日やっています」

撮影/白井裕介 聞き手・文/石田紀佳 編集/鈴木香里

※大人のおしゃれ手帖2024年8月号から抜粋
※画像・文章の無断転載はご遠慮ください

この記事を書いた人

大人のおしゃれ手帖編集部

大人のおしゃれ手帖編集部

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