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手は口ほどに #4:東京チェンソーズ、木工の工房長

  • 2024.8.23
手は口ほどに #4:東京チェンソーズ、木工の工房長

木が好きで、幼稚園のころから自然の中で遊ぶのが好きだった。「木の名前を覚えたいとか、そういうのではない。ただ、その空間に自分がいられるだけで充分なんです。自然とは常に寄り添っている感覚があって、なにか悩んだときも、気がつけばいつも木の隣にいた」。

木工にはまったのは10歳のとき。「憧れ夢広場と名付けられた小学校の特別授業で、糸鋸を使って、色の違う木を切り合わせて組み込んで絵を作る職人を見て、自分でもやりたいって思った」。誕生日に両親に電動糸鋸を買ってもらい、見よう見まねで木の象嵌をやってみた。

いま関谷さんが働く東京チェンソーズの工房では電動糸鋸を使う機会は少ないが、大型の木工機械や手工具で木工に向かう。檜原村で伐採された枝や根っこを使った雑貨や家具は、「木山もの(そまもの)」と名付けられている。木を植えて材木をとる山を指す、古い言葉「杣(そま)」が語源だ。

森のトレーと木株
山に残される未利用材で作る「木山もの(そまもの)」ブランドの製造は、すべて工房長の関谷さんが担う。太さが不十分だったり不揃いだったりする木は、みるみるうちに「森のトレー」に。トレーの縁には樹皮が残されて、森に立っていたときの姿を感じさせる。
関谷さんのアップの写真
工房長となってからは、チェンソーで山の木を伐り倒したりする作業はしていない。「ただ、こういう材料が出たよって言われて山に見に行って、工房に持って帰ってくることはあります。山の中で感じる林業の現場の感覚も、大事だと思っている」。
木株を持っている手の写真
「木によって違うから、飽きない。ずっとやっていても、常に新しい発見がまだまだある。乾燥とかは基準がないので本当に難しくて、まだまだ勉強が足りない。湿度や気候が違うだけでも、条件が変わっちゃうから」
木にホゾを付けている写真
トレーを作る機械に材料となる木を固定するために、まずは底にホゾ穴を刻む。「固定する機械では加工できない根っこだったり、グネグネ曲がった木だったりは、チェンソーを使ってざっくりと精度を出す」。
トレーをくり抜いている写真
取り付けられた木が高速で回り、先のとがった刃物でトレーのくぼみを作っていく。音、手の感覚、見えているもの、すべてに集中する瞬間。まずは、安全な加工を心掛けて、しっかりと工具を保持する。
木くずが飛び散った写真
「1本まるごと」は、東京チェンソーズの大切な理念の一つ。「一本一本を大切にしてあげたいといった感覚で木と接していて。ありがちな言葉でいえば、木と対話するみたいな思いは、常に僕の中にある」。
トレーの底
トレーの底をキメの細かいやすりで丁寧に磨いて、ツヤツヤになるまで仕上げていく。住宅の建材などでは使いにくいとされる曲がった木の断面が有機的な柄となって、唯一無二の美しさを感じさせる。
工房のひきの写真
工房で働いているのは、関谷さんを含めて4人。女性もいる。「この仕事には、筋肉も必要。家具屋さんで作業を教わったときに最初に言われたのが、指立て伏せできるようになれって。板とかも重かったりするので」。

「中学生のとき、2年ほど不登校の時期があったんです。そのときに、母親と頻繁に河川敷に散歩に行って猫と遊んだりしていて、癒やされた感覚があった。仕事を何にするかとなったときに、都心に自然を増やす仕事ができたらいいなと思って」

最初は造園業、その後、24歳のときにまずは常勤アルバイトとして東京チェンソーズにやってきた。木を伐ったり、道をつくったり、苗木を植えたり。東京チェンソーズ代表の青木亮輔さんと共に木育サミットに参加したのをきっかけに、「木工を仕事にする気はなかったけど、いよいよやってみるかとなった」。

東京チェンソーズは、面積の93%が森林である東京都檜原村の会社だ。「きこり」と聞くと斧やチェンソーで木を伐採する仕事をイメージするが、それは全体の一部でしかない。植えて、育てて、伐って。「1本まるごと」を標榜して、材木の販売だけではなく、未利用材を使った雑貨や家具やおもちゃをつくり、森林空間そのものの活性化も行う。こうしたすべてを「山仕事、承ります」と発信する東京チェンソーズの存在は、日本の林業に一石を投じている。山の森から流れ出す川は、下流の街を通り、海にいたる。山が荒れていくと、都心の災害や環境問題にもつながるのだ。

スツールをつくっているカット
有機的な形状の枝を使った「山のスツール」を制作中。座面の編み込みをするときには、スツールを両足で挟み込み、固定したり、クルッと回したり。手はもちろん、足も自在に駆使する。
座面の編み込みをしている写真
「座面を編むのだけでも、2時間に1台なので、1日4台。枝で骨組みを作るのも1日に4台なので、2日で4台のペースですね」。工房の床に座り込んだ関谷さんの作業は、一心不乱に続く。
スツールの写真
有機的な形状の枝を使った「山のスツール」(写真左)と、直線的に加工された丸棒を使った「街のスツール」(写真右)。美しい木目、動きの力強さ、節の表情がオリジナリティを感じさせる。HP:www.chainsaws-store.jp/
工具の写真
この後、どんなものを作りたいかを問うてみた。「木山ものシリーズで次に何を出すかはまだ決めていませんが、木が持つ素材の美しさや可能性を引き出せるものを作っていこうという思いが、いつも基本にある」。
木が積み上げている写真
東京チェンソーズの工房では「6歳になったら机を作ろう」といったイベントをはじめとする、「木育」の活動も行っている。カスタムした軽トラで街へ出向き、木工ワークショップを展開する「森デリバリー」も人気。

「趣味で木工をやっていたころは、製材された乾燥した木しか触ったことがなくて。東京チェンソーズに来てからは、湿った原木も加工するんですが、乾燥の具合によっても違うから切るのが難しい」。それでも、山を見て、木を見て、あの枝先は建材にするには太さが足りないから捨てられるのかなって思うと、木工で何かを作りたくなる。

「縮み木というグネグネ曲がった木は、歪みの部分の断面を磨くと艶が出てきれいなんです。皮をむいた後の丸太の表面もツヤツヤしていたり、凹凸があってキラキラしていたりする」。木も人も、一本一本、一人ひとり違う。「家具になったとしても、道具として使うだけじゃなくて、木と触れ合って、愛でてほしい」。木のことを話しているのが、人に真っすぐ向き合っていく大切さを語ったようにも聞こえる。

10歳で木工を始めたときから、器用だったわけではない。「自分のことを器用だとは思っていませんね。それよりも、吸収力だと思っていて。うまい人がやっているのを見て、質問して、吸収する。そして、また作るときに反映する」。これまで、そして、これから。長い時間をかけて、関谷さんの中に、技術という養分が蓄積されていくのを感じた。

profile

東京チェンソーズの関谷俊さん

関谷 駿(東京チェンソーズ)

せきや・しゅん/1992年、東京都墨田区生まれ。羽村市育ち。東京環境工科専門学校を卒業後、造園土木業を経て、2016年から東京チェンソーズの常勤アルバイトとなる。「木育サミット」に参加したのをきっかけに、木のおもちゃ工房の会社に転職。2018年に正社員として東京チェンソーズに復帰して木材加工を担当し、現在は工房長を務める。10歳のときに電動糸鋸を買ってもらって木工を始めてから、木との付き合いは20年を超える。

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