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”社会人編”が辛すぎる…錦戸亮”耕助”のラストシーンが必見のワケ。NHKドラマ『かぞかぞ』第5話考察レビュー

  • 2024.8.22
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK

河合優実主演のNHKドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が地上波にて放送中。岸田奈美のエッセイを元にした本作は、2023年にNHKBSプレミアム・ NHKBS4Kで放送され大反響を呼んだ。今回は、第5話のレビューをお届け。(文・ 明日菜子)【あらすじ キャスト 解説 考察 評価 レビュー】
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【著者プロフィール:明日菜子】
視聴ドラマは毎クール25本以上のドラマウォッチャー。文春オンライン、Real Sound、マイナビウーマンなどに寄稿。映画ナタリーの座談会企画にも参加。

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK

【写真】河合優実&錦戸亮の神演技に涙する劇中カット。『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』劇中カット一覧

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK総合)第5話は、“娘”と亡くなった“父”の物語で始まった。近年放送されたドラマの中にも、娘と父をテーマにした作品はいくつかある。

例えば、作家ジェーン・スーのエッセイを実写化した『生きるとか死ぬとか父親とか』(テレビ東京、2021)では、長年迷惑をかけられてきた父親との関係を見つめ直し、『しずかちゃんとパパ』(NHK総合、2022)は、コーダ(聞こえない親を持つ子ども)である娘が難聴者の父から巣立つ過程が描かれた。

今年放送された『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系、2024)は、3ヶ月の余命宣告を受けた父親と、3ヶ月後に結婚式を迎える娘の限られた時間の中で紡がれた物語になっている。いずれのドラマも傑作だ。

作品によって程度の違いはあるものの、娘と父の物語と聞くと、「世話をかける父」と「しっかり者の娘」の構図が目に浮かぶ。『スカーレット』(2019)や『おちょやん』(2020)など、一時期はNHKの朝ドラでも“娘に迷惑をかけるダメなお父ちゃん”が定番だった。けれど『かぞかぞ』は、喧嘩別れになった父との最期を悔やみながら生きる娘の姿が描かれている。

「七実、ごめんな。ちょっと寝たら元気になるって思っててん。また朝になったらバカ話できるって思っててん」

今回の第5話では、亡くなった父・耕助(錦戸亮)の後悔も明かされた。この「ごめんな」は、かつて中学生だった七実(河合優実)を「うっとうしいな」と突き放してしまったことへの懺悔だが、その想いを伝えられないまま父は亡くなった。大人になった七実はいまも、自分を責めつづけている。

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK

物語は母・ひとみ(坂井真紀)が大動脈解離で倒れてから、5年の月日が経っていた。特別支援学校の高等部を卒業した草太(吉田葵)は、作業所に就職するために奮闘中。

心理カウンセラー兼『Loupe』のアドバイザーとして仕事復帰したひとみは、講演会などの表舞台にも立つようになった。さらに自動車の運転も習得し、以前の笑顔を取り戻しつつある。

相変わらず祖母・芳子(美保純)もパワフルで、ようやく岸本家は順風満帆に…と書きたいところだが、『Loupe』に就職した七実の社会人生活は、上手く行っていないようだ。

広報を担当する七実は、圧倒的な文才と企画力を武器に活躍しているのだが、事務仕事や社会人としての基本的なルールを守ることが非常に苦手だった。領収書を紛失して経理担当者に呆れられることもあれば、アポイントの約束を忘れてしまい、赤べこのようにペコペコと頭を下げに行くこともしばしば。

いつのまにか「申し訳ございません」が口癖になっており、誰かに謝るたびに心がすり減っていった。さすがにここまでの四苦八苦な社会人生活はドラマの脚色なのだろうが、発展途上中の多忙なベンチャー企業の中で、周囲と足並みを揃えることはなかなか難しかったと、原作者の岸田奈美はインタビューで語っている。

『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK
『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』第5話 ©NHK

それまで「大丈夫」という言葉で蓋をしていた薄暗い気持ちが、爆発したのは突然のことだった。仕事で取り返しのつかないミスを起こした七実は、信頼を取り戻すために、各所を駆け回る。

その結果、とあるWEB媒体の取材を受けることになるのだが、インタビュアーの関心は『Loupe』の新サービスではなく、七実本人の“壮絶な人生”に向けられた。

七実の写真が大きく掲載されたインタビュー記事についていたのは「悲劇だらけでも、大丈夫!」「何でも乗り越えられる無敵のスーパーウーマン!」という見出し。分かりやすいように他人にラベリングされたその言葉で、いままで押し殺してきた「大丈夫じゃなかったこと」が一気に押し寄せてきたのだ。

会社の人たちの信用を失うこと。弟のためにしっかりものの姉でいること。周囲の好意をにこやかに受け取ること。父が亡くなる直前にひどいことを言ってしまったこと。悲しむ母や草太の分まで頑張ろうとしたこと。母が一生歩けなくなってしまったこと。大好きな父が死んでしまったことも、全部、大丈夫ではなかった。

常に明るく振る舞おうとする七実が、自分の気持ちをより押し殺すようになったきっかけは、耕助が亡くなったことだろう。しかし、七実にとって本当に大切なのは、後悔を抱えて生きていくことではない。父の死をしっかり“悲しむ”ことなのだと思う。

けど、それは容易くない。父の死を悲しむことはつまり、大好きな父の死を受け入れるということになるのだから。

ラストシーン、うずくまる七実に父は「ごめんな」と声をかける。その抱擁はいまも消えない父の愛情を感じると同時に、娘を縛りつける呪いのようでもあった。「パパなんか死んでまえ」この言葉が娘の本心ではないことを父は理解している。許している。けれど、その声はいまだ娘に届かない。

(文・明日菜子)

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