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喜多川泰×けんご なぜ小説を書くのか、なぜ小説を推すのか 喜多川作品一挙4作文庫化記念対談

  • 2024.8.20

2024年夏、喜多川泰さんの人気小説『手紙屋』『手紙屋 蛍雪篇』『君と会えたから……』『賢者の書』の4タイトルが一気に文庫化。それを記念して、喜多川さんと、以前から喜多川作品のファンだったという小説紹介クリエイターのけんごさんとの対談が実施されました。 喜多川さんもけんごさんも「小説」にこだわるのはなぜなのか。じっくりお話をお伺いしました。

『手紙屋』は特に思い入れの深い一冊(けんご)

けんご 僕が『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』に出会ったのは、ちょうど僕も就職活動をしているときだったんですよ。TikTokで就活のアドバイスをしている方が紹介している動画をTikTokで見て、気になって読んでみたんです。

――『手紙屋』は、大学4年生の主人公が、書斎カフェで見かけた広告につられて、悩みのアドバイスをくれる手紙屋とやりとりをしながら、就職だけでなく人生を見つめ直していくお話です。

けんご 状況も心情も主人公に重なって、手紙屋の言葉になるほどと思わされることが多かったし、難しく考えすぎていたのかもしれないと我に返った記憶もあります。まわりがどうしているか、普通はどういう道を選ぶか、なんて関係なく、自分自身がどうしたいかをちゃんと考えたいなと……。それからいったん就職活動をやめて、TikTokで本を紹介する活動をすることにした。だから僕にとっては、ものすごく思い入れの深い一冊なんです。

喜多川 それは、嬉しいですね。

けんご もう一つ、『手紙屋』との縁を感じた出来事があって。今回の対談が決まって、近所のコメダ珈琲で『手紙屋 蛍雪篇』を読んでいたら、隣に座っていたおじいさんに話しかけられたんです。「いい本を読んでいるなあ、これ、就職の話だろう」って。「それは第一弾で、これは第二弾。受験勉強の話なんですよ」とお伝えしたら、「そんなの出ていたのか。でも、本がひとまわり小さくないか」「これは文庫化されたものなので」なんて話で盛り上がって。

喜多川 そりゃ、すごい(笑)。

けんご 年齢に関係なく、どんな状況にいる人の心も動かす力があるんだな、と改めて思いました。それは、喜多川さんの言葉が、いつでもまっすぐ投げられているからだと思うんですよ。僕はTikTok、つまり動画で本を紹介しているから、身振り手振りや表情、声のトーンで伝え方に工夫ができる。ときどき文章の仕事もしますけど、文字だけで想いを表現するのがいかに大変なことなのかも、多少はわかっているつもりなので、改めてすごいなと。

喜多川 僕も、最初に書いた文章はひどいものでしたよ(笑)。それに、文章を書こうなんて考えたこともなかったんです。もともと……というか今も塾の先生をしていて、生徒たちに勉強以外にもいろんな話をするんだけれど、かつての教え子にたまたま会ったとき「先生の授業は本当におもしろかった」「人生を変えてくれました」とお礼を言われたんです。でもね、具体的に何がおもしろかったのかを聞くと、何も出てこない。僕自身も、覚えていない。どこからそんなにエピソードが湧いて出るの、と言われるくらい、いろんな話を十年以上もしてきたのに、何も残らないんじゃつまらないなと書き残してみることにしたんです。

――それは、いつごろのことですか?

喜多川 2003年の大晦日に決意して、2004年1月1日から毎日、その日話したことを書き起こすようにしました。でもね、話自体は30分くらいなのに、書くのには3時間も4時間もかかるんですよ。しかも書きあがってみると、同じ話を何度もしているし、よくよく読めば意味の通らないこともたくさんある。

――けんごさんのおっしゃるとおり、話しているときは身振り手振りや、その場の雰囲気で伝わることも、文字にすると変わりますよね。

喜多川 そうなんです。でもね、何回か書き直していくうちに、それなりに読めるものになっていった。その作業を始めて1年半くらいがたったころ、生徒から相談をもちかけられたんです。そのときの僕にはどうにも時間がなくて、書き溜めていたエピソードのコピーを渡して読むようにすすめた。そうしたら、それがけっこう響いたらしくて。学校の友達とまわし読みしながら「こんな本があればいいのにね」なんて言っていたと聞いたのが、僕が小説を書いたきっかけのひとつです。必要としてくれる人がいるならば、書かないといけないのかなあと。

けんご 生徒さんたちの気持ちがよくわかるというか、実をいうと僕は小中学生のときにまったく勉強しない子どもだったんです。というのも、いずれはプロの野球選手になるものだと思っていたから、大人から勉強しろと言われても「そんな時間があったら素振りをしなきゃいけない」なんて言って、テストもまともに受けなかった。でも、『手紙屋』を読んではじめて、あのときもっとまじめに勉強しておけばよかった、と思ったんですよね。同時に、今からでも全然遅くない、学びたいのならいつだって始められると励まされるような気持ちになった。これからの人生に繋がっていく何かを学ぶ機会は、まだまだたくさんあるんだから、って。そういうことを教えてくれる本は、世の中に必要だと思います。

本は常識で縛られる社会のなかで自由を教えてくれるもの

喜多川 嬉しいですね。最初にノートに書いていたのは、塾の生徒たちに向けたものだったけど、子どもというのは基本的に勉強する生きものなんですよ。けんごさんのように、あまりやらなかったという人も、自分にとって必要最低限のことはする。でもね、大人は勉強しないんですよ。なぜなら日本では、勉強というのは受験のためにするもので、社会人になったあとは必要だと思われていないから。だから本をまるで読まない大人も多いし、読んでも何も変わらないと思っていたりする。でも不思議とね、そういう大人たちが子どもに対しては「本を読め」って言うんですよ。

けんご 確かに。

喜多川 なんで本を読まなきゃいけないのか、と聞いたら、たぶん彼らは何も答えられない。ただ漠然と、勉強の役に立つから、ちゃんとした賢い大人になれそうだからと思っているんだろうけれど、僕の持論では、たくさん本を読む人は、非常識な人間になっていく。だって、本というのは、常識でこりかたまった社会のなかで自由に生きていいんだと教えてくれるものなんだから。“ちゃんとした”ものなんかに縛られないで、自分らしい道を歩んでいくにはどうしたらいいか学ぶために本というのは存在していると思うんですよね。

――そういう、大人たちの“ちゃんとしたものにならなきゃ”“子どもをそう育てなきゃ”という思い込みを砕くためにも本を書いている、ということでしょうか。

喜多川 そこまで「こうしてやろう」って気持ちはないんだけれど……。子育てには、何も知らない子どもを大人たちが導いていく、という構図がありますよね。大人たちは完成した何かで、子どもは未完成なのだと、多くの人が思っている。でも僕は「未完成な大人が子供を教育することを通じて、自分自身の完成をめざす」ことこそが子育てだと思っているんですよ。大人になるということは、誰かに教育されることがなくなったかわりに、自分で自分を磨くためのスタート地点に立ったということ。僕の書く小説が、自分自身を模索するヒントになってくれたら嬉しいな、とは思いますね。

けんご 本を読んだことのない人に届けたい、という想いは僕も同じです。僕も、大学に入るまで小説なんてほとんど読んだことがなかったんですよ。大人になった感性でしか小説を味わうことができないなんて、もったいないことをしていたなあと今も思います。その後悔があるからこそ、喜多川さんと違って、十代の子たちに向けて本を紹介したい気持ちがとくに強いんですけど……「未完成な大人が子供を教育することを通じて、自分自身の完成をめざす」という言葉には改めて腑に落ちるところがありました。子どもたちにどうすれば本の魅力が伝わるだろうと読書しなおすことによって、僕自身が新たに学べることがたくさんあるんですよね。

喜多川 伝えるためにどうすればいいかを考えるのは、それじたいが大きな学びですよね。僕自身、小説を書きながら「僕はこうありたいんだ」と改めて気づかされることが多々あります。多くの人は、生きていると目的と手段を見失ってしまう。それは僕も同じです。たとえば先日、ホームセンターで電動ドリルを吟味している男性がいました。その瞬間の彼が求めているのは長く使えて性能のいい電動ドリルだろうけど、もともとはそのドリルであけられる数ミリの穴が欲しかったわけです。穴をあけたかったのはビスを留めたいからで、それはたとえば本棚をつくりたかったから。では本棚をつくりたかったのはなぜか……と、自分の欲望をさかのぼっていくうちに、本当に大事なものが何か見えてくるんですよ。小説を書くというのは、そういう作業に似ている気もします。

けんご 喜多川さんの小説って、正解を教えてくれるものではないんですよね。七割くらいまでは導いてくれるんだけど、そこから先どこに進むかはあなたが決めるんだよというメッセージをどの作品からも感じます。それは、本当は何が欲しかったのか、どうありたいのかということは、人によって違うからなんだとお話を聞いていて改めて思いました。

起業して行き詰まってから経営の本を読んだ(喜多川)

喜多川 『けんごの小説紹介 読書の沼に引きずり込む88冊』を拝読したのですが、その88冊に入るためには、まず今も手にとって読めることが必要じゃないですか。僕が人におすすめしたいと思う本のなかにも、絶版になって手に入らないものが多い。そんななか、けんごさんが僕の本を読んでくれる今の状況は、本当にありがたいなあと思います。19年前に刊行されたデビュー作『賢者の書』がいまだに流通していることも、奇跡だなと。

――『賢者の書』は、何もかもがうまくいかずに絶望しているアレックスという男性が、14歳の少年サイードを通して9人の賢者に出会うことで導かれていくファンタジーです。

けんご 帯にある「あなたの心を奮い立たせる冒険の物語」という言葉が、まさにそのとおりですよね。僕は基本的に、前向きに挑戦し続けようと思えるタイプだけれど、それでも何かを諦めてしまっていることってあると思うんです。やってみたいことがあっても、それは今じゃないとか、さすがにもうタイミングを逃しているよなとか、やらない言い訳を考えてしまうことがある。でもそうじゃないんだ、どうなるかわからかなくても一歩を踏み出さなくちゃ、と思わせてくれる物語でした。

喜多川 僕はけんごさんくらいの年齢のときに起業して、まったくうまくいかなかった経験があるんですよ。実をいうとそれまでは僕も本を読んだことがなくて、うまくやれるという自信ばかりが先走り、知識がまるでついていなかったんですよね。どうすれば自分だけでなくスタッフのみんなも路頭に迷わせずに済むだろう、と初めて経営の本を読んでみたら「こんなことも知らずに、よくやれると思ったな!」と自分自身に呆れることばかり。本を読むたびに発見があって、おかげで少しずつ状況を変えていくことができたから、人にも本を薦めるようになった。

――その状況も、けんごさんと似ていますね。

喜多川 そうですね。だからこそ、何かを知ることができたら、いつだって人生を変えられるし、遅すぎるということもないんだということを書きたいのかもしれません。みんなにその気持ちを押しつけたいというよりは、先ほども言ったように僕自身がそうありたいと思っているから。

なぜ「小説」を書くのか、なぜ「小説」を紹介するのか

――小説というかたちをとっているのは、なぜなのでしょう?

喜多川 小説だけが未来だから、かな。ビジネス書も、自己啓発書も、歴史書も、すべて過去を語ったものでしょう。ビジネス書しか読まないという人も大人には多いですが、著者の経験を知っただけで、読む人の未来を大きく変えてくれるかというと、そうでもない気が僕はするんですよね。でも、物語だけが未来を導いてくれる。だから歴史小説も、過去を舞台にしながらも描かれている内容は未来だと僕は思っています。

けんご 喜多川さんの小説って、他の方の作品に比べてアマゾンレビューが桁違いに多いんです。それはもしかしたら、物語を通じてみんなが自分の未来を語りたくなるからなのかもしれないな、って思いました。おっしゃるように、ビジネス書で語られるのは著者の経験だけど、喜多川さんの小説を読んでいると、自分の経験をふりかえって、そのうえでどうしたいかを考えたくなるんですよね。たとえば『君と会えたから……』を読んで、僕は高校時代、部活中に亡くしてしまった後輩のことを思い出しました。

――十七歳の夏を舞台に描くボーイミーツガールの小説ですが、「明日を生きることを約束された人なんてこの世に誰もいないのに、どうしてみんな今日一日をもっと大切にしないんだろう」というセリフなど、生死について考えさせられますよね。

けんご ふだんは、後輩のぶんまで頑張って生きよう、とまでは思わないんです。ただ、人ってあっけなく亡くなってしまうんだよな、ということは実感としてあって。あたりまえに流れる日常に改めて感謝したくなったし、生きていることはそれだけで奇跡なんだと読みながら思わされました。自分の人生を僕は自分なりに一生懸命生きなくちゃいけないんだな、と。それはやっぱり、小説というかたちだからこそだと思います。著者の経験や想いを越えて、登場人物たちの生きざまに触れることで広がっていくものがあるんだろうな、と。

喜多川 同じ本を読んだ経験を誰かと共有できる、というのも小説ならではのおもしろさかなと思います。決してみんな、読んで同じことを感じているとは限らない。実は同じ本を通してまったく別の経験をしている可能性は高いんだけど「読んだことある?」「あるある、いいよね!」って語りあうだけで通じ合えるものがあると思うんです。不思議ですよね。映画のように、まったく同じ映像を観ているときと、その感覚は違うんです。お互いに「わかる、あそこの場面いいよね」と言いあいながら、思い浮かべている映像が違うかもしれない。それは、自分だけの、誰にも明け渡すことのできない大事な世界です。でもその大事な感性で誰かと共鳴しあえたとき、得難い経験がまた一つ増えていく……。そんな無限の可能性が、小説にはあると感じます。

けんご 人それぞれ感性が違うからこそ、「伝える」ってことが難しい部分もやっぱりあると思うんです。とくに今の若い子たちは、オフラインでのコミュニケーションが苦手であることが多いなと思うのですが、そういう子たちにアドバイスはありますか?

喜多川 上手に伝える必要はまったくないと思うんですよ。僕自身が、何度も「書く」ことを繰り返していくうちに小説というかたちを生みだせるようになったように、へたくそでも、失敗しても、自分はコミュ障だなんてレッテルをはらず、誰かに伝え続けることが大事なんじゃないのかな。僕も、いまだに伝えることが上手だなんて、思っていないですよ。ただ一生懸命ではあると思う。何も伝えたいことなんてない、という人も、心の奥底を覗いてみれば、きっと一つや二つ、誰かと共有してみたい想いや経験があるんじゃないのかなあ。

けんご なるほど。

喜多川 先ほども言ったように、同じ小説を読んでいても、同じ情景は思い浮かべていないかもしれない。でも確かに通じ合えるものがあるとしたら、それが「伝わる」ということでしょう? どのみち100パーセント互いを理解できることなんてないのだから、一生懸命、自分の想いを伝えよう、相手の想いを聞きとろうとすることが大事だと僕は思いますね。

けんご でも、こちらが一生懸命に伝えようとしても、耳を傾けてくれない人もいますよね。僕自身、TikTokで活動していても、やっぱり、どうしても「本を読もう」と思ってくれない人はいるなあと、歯がゆさを感じていて……。

喜多川 けんごさんの活動を拝見するに、十二分によくやっておられると思います。それ以上を求めるのは、しんどくなるだけですよ。僕は講演活動もしているのですが、みずからの意志で来たはずの人のなかにも、まるで聞いていない、響いていない人がちらほらいますから。でもね、そもそも、言葉がどう響くかというのは、伝える側というよりも受け取る側の問題だと思うんです。僕はよく人生を変える講師と言っていただくけれど、人生が変わったとしたらそれは変えようとしたその人の努力によるものだということは、たびたびお伝えしています。

けんご ありがとうございます。僕自身は、伝えようとすることをやめたくはないので、頑張り続けようと改めて思いました。喜多川さんは今後、改めて挑戦したい小説のテーマはありますか?

喜多川 そうですねえ。歴史小説は書いてみたいと思っているけれど。まあ、いつになるのか、出るのか出ないのか。自然の流れに任せながら、僕も、僕にできることを頑張っていきたいとおもいますね。

取材・文:立花もも 撮影:島本絵梨佳

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