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町田康『家事にかまけて』第1回:家事ロードー、家事ロードー、家事ロードー

  • 2024.8.20
町田康「家事にかまけて」:第1回 家事ロードー、家事ロードー、家事ロードー

仕事というのは辛いものである。なぜ辛いかというと、そこに責任と義務が生じるからである。それと引き換えに銭を貰う。それが仕事である。

そしてまた仕事には別の辛さもある。それは、己の無能を直視しなければならない辛さ、である。自分は多少はマシな人間だと思いたい。いや、本音を言えば優れた人間だと思いたい。というかそれくらいの自惚れがないと競争社会で生き抜くことはできない。

だが仕事をすると、否が応でも己の無能がそこに立ち上がってくる。殊に俺なんかの場合はそれが顕著だ。俺は物書きで、ひとりで仕事をしているから、それを上司や同僚のせいにすることができない。会社の組織構造や社会情勢のせいにできない。

本日が締切だというのに何のアイデアも浮かばないのは。アホみたいなダサい文章しか書けないのは。一から十まで自分のせいだ、というあからさまな証拠が目の前のディスプレイに無慈悲に表れる。それはとても辛いことだ。そんな時、人間はどうするか。そう。逃避をする。

酒を飲みに行ったり、キャバクラに行ったり、パチンコを打ちに行ったりするのである。俺も人間なのでそういうことをする。

だが俺の場合、貧乏という宿痾(しゅくあ)があり、そういうところに行く原資がない。と言うと、「金がなくても行く人は行くでしょう」という人がいるだろう。だが俺には貧乏とは別に、吝嗇(りんしょく)、という業病があって、そういうところで遣う銭を、惜しい、と思ってしまう。

そしてまたそれに加えて人間の根本に、へんくつ、という病根があって、「人が楽しそうにしているところにはなるべく行きたくない、と頑なな心が俺の中に存している。だからそうしたことはしない。ではどうするのかと言うと、家から一歩も出ないで、金のかからない、仕事以外のこと、をする。

〽ソレハナニカトタズネタラ、アー、家事ロードー、家事ロードー、家事ロードー

家事をこなす人のイラスト

という訳で俺は仕事を怠けたくなった場合は、家事、則ち家の中の細々した、炊事や洗濯、清掃といったようなことをすることにしている。

その際、仕事場で机に向かっていた俺はまず、「いやさ」と言う。続けて、「いやさ、腹が減った。古(いにしえ)より腹が減っては戦が出来ぬと言ふ。僕にとって仕事は真剣勝負、戦も同じことだ。ならば」と言う。

そして、「取りあえずは腹拵えをして、それから仕事に立ち向かおうじゃありませんか。どうですか?みなさん」と言い、脳内に群衆の歓呼を聞いて、椅子から立ち上がり、台所に行って自ら食事の準備をする。則ち炊事である。

しかしそれが終わったら、終わってしまったら仕事に取り掛からなければならない。己の無能とサシで勝負しなければならない。それはあまりにも辛いことだ。そこでいったん仕事部屋に戻った俺が考えるのは、食べ終わった食器をそのままに放置しておくのはよくないことではないのか?と考える。

そして、仮にこのまま仕事に戻ったとしても、その食器のことが気懸かりになっている状態で、果たして僕は十全なパフォーマンスを発揮できるだろうか。いやさ、できないでしょう。ならば、器を洗ってしまうなんてなことはものの十分もあれば済むことなのだからやってしまって、一切の気懸かりがない状態で仕事に取り掛かった方がいいに決まっている、ということで、また立ち上がってイソイソと台所に向かう。

そこからは一瀉千里(いっしゃせんり)、次から次へと家庭生活に関する懸念事項が発覚して、キッチンのシンクにうろこ状の汚れが発生していたり、網戸の一部が破れて補修の必要があることがわかったり、洗濯物が溜まっていたり、柔軟剤が切れかけていたり、家の中にアリか侵入していたり、ふと気がつくと壁紙がかなり汚れていることに気がついたり、廊下の電球が切れていたり、といろんなことをやらないと仕事に復帰できないことがわかって、嬉しいやら悲しいやら、時折は、「アア、面倒クセー」など言いながらも、心の奥底では、それをしていれば己の無能に向き合わないで済む、と喜んでいることを自覚しつつ、それらを次々とこなしていく。

そして家事労働それ自体にも仕事では味わえない小さな達成感や満足感があり、気がつくと机に埃が溜まって、数日間まったく仕事が進んでいない、なんてことも間々ある。

そこで、アー、コレデハイカヌ、と思い、慌ててハンディーモップを買ってきてデスク周りを清掃する。そうするとすっかり埃が取れて綺麗になって、よかったなあ、と思いつつ、こんな風に家事にかまけていたらあかん、と自らを戒める気持ちもなくはなく、ひとつ水垢離を取って精神に活を入れようと考え、服を脱いで猿股姿で風呂場に向かい、気がつくと四つん這いでカビ取りをするなどしている。

そんな風に言うと俺の家はいつもピカピカで模範的なように聞こえるが、そんなことはなく、よくある住み荒らした古い家である。しかし、だからこそ、やるべき家事が常に発生しているとも言える。仮にこれが雑誌で紹介されるようなピカピカの家だったら、やるべき家事はもはやなく、となると仕事をして己の無能を直視しなければならなくなる。

その辛さから免れることができるという意味において、俺の汚れてみすぼらしい家は俺にとって倖いで、家事は俺にとって快楽と達成を齎す逃避である。

俺は爾今この稿でその詳細を記していこうと思っています。よろしくお願いします。

profile

町田康

まちだ・こう/1962年大阪生まれ。作家。『くっすん大黒』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、「きれぎれ」で芥川賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞など受賞多数。他の著書に「猫にかまけて」シリーズ、『ホサナ』『ギケイキ』『しらふで生きる』『口訳 古事記』など。

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