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大学で出会った彼女たちは、私がかわいいかどうかなんて気にしていなかった

  • 2024.8.18

チクッ。人差し指を針で刺したような小さな衝撃。緩慢な動作で視線を手元に落とすと、全く変化はないようだった。だが僅か数分のうちに、人差し指の先端がムズムズしてくる。その違和感はだんだん大きくなり、ジクジクと波紋のように広がっていく。「かわいい」が入ってきたのだ。

最初は人差し指の先端、次に人差し指全体から右手全体、さらには右腕前腕・二の腕に広がり右半身へ。痛みではないが慣れない。筋肉が痙攣し人差し指の先端を中心に皮膚の上をジクジクとした痒みのような違和感が伝播する。最終的には脳が揺らされ、ぐるぐると回る視界の中意識を失った。大学登校初日、これが私の「かわいいショック」の始まりだった。

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入学初日から私は、ジリジリと現実に焦らされていた。なぜかというと、かわいい人が多すぎるからだ。スラリとした脚、薄いお腹、艶やかな髪、よく手入れされた指先。抜群のスタイルでお洒落な服やアクセサリーを着こなし、似合うメイクや髪型をよく分かっている。お姉さん系、K-pop系、地雷系、アメリカンヘルシー系、ユニクロシンプル系。多様な種類のかわいい人で溢れていて、頻繁に目を惹かれる。

どの人も輝いて見えるが、その分自分が彼女たちの影になったように思える。「彼女たちに比べると私は全くかわいくない。このままでは誰からも評価してもらえない…」そんな危機感をひしひしと感じていた。

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幼少期から気づいていた。「かわいい」がどれほど大きな判断基準になるかを。かわいい子ほど、誰からも好意的に接してもらえる。かわいい子の周りに人は集まる。大人でも子供でもそれは変わらない。いや、子供の方が顕著だ。親や先生からどれだけ関心を獲得できるか、友達や好きな人を取られないように勝ち抜けるか。狭いコミュニティの中では「かわいい」が一大基準だった。

だから、小学校・中学校・高校と周りの基準に合わせた「かわいい」のために努力をしてきた。食べないダイエットや流行のヘアアレンジなど、必死になった。終わりのない持久走をしているようで、正直辛かった。みんなの「かわいい」に沿うように努力している間、ずっと自分を否定されているように感じた。それでも、合わせなければ世界から取り残されたように疎外されるあの恐怖が後をつけてきた。「元からかわいい子はいいな」と日々思っていたが、それは嫉妬ではなくかわいい子ではない自分への諦めと失望だった。周囲の人にかわいいと言われなければ自信を持てなかった。

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そんな状態で大学に入学した。そして困惑した。周りにはたくさんのかわいい子がいるが、キャンパス内を見回してもみんな共通の「かわいい」が何か分からなかったからだ。もちろん流行はあるが、個々が自身に似合うもの・理想のスタイリングを第一に流行を選別して上手く自身のスタイルに取り入れていた。それがとてもカッコよく見えた。周りの評価ではなく、自分が「かわいい」と思うものを身に纏って自分の道を行く彼女たち。なんだか自分が恥ずかしく思えた。

入学から数ヶ月経ってだんだんと気づいてきたことがある。彼女たちは私がかわいいかどうかなんて気にしていないということだ。あなたの好きにすれば?という若干距離をとった他者との接し方の前で、私は無力だった。でもそれまで持っていた危機感は薄れ、周りに合わせる「かわいい」ではなく、自分の中にある「かわいい」に目を向けることができた。彼女たちの考えに影響を受け、それに合わせたとも言えてしまうかもしれない。でも私の中には明確な違いがあった。以前と違って、自分が思う「かわいい」を追い求めるのがとても楽しいのだ。鏡を見るたびにワクワクして、笑顔になる。自分磨きが楽しくて、周囲の褒め言葉がなくても満たされる。

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周りに合わせた「かわいい」を追い求めることが辛かった、苦しかった。きっと誰にでもそんな時がある。自分なりの「かわいい」を信じられるまでの変化も、戸惑うし大変かもしれない。でも本来、「かわいい」はキラキラして、前を向けるような幸せなのだと心から思える。彼女たちから受けた「かわいいショック」は私をジワジワと作り替えた。これからも「かわいい」がある方へスキップしながら、ご機嫌に進んでいく。

■長井 首のプロフィール
一般女性。人間関係がうまくいかず、文章の世界に逃げ込む。等身大の自分を表現することが目標。

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